見出し画像

三軍も帥を奪うべきなり。匹夫も志を奪うべからざるなり。(論語 巻第五)


(意味)


 数万を率いる総大将でもその大将の身を奪うことはできるが、一人の男でも心の中にある志を奪うことは誰にもできない。

 ※ここで「三軍」とは大軍のこと、「べき」「べからざる」は、「可」、「不可」の意味です。

志とは


 さて、自分の中に芽生えた「志」は、誰も奪うことができないということですが、それは相当な覚悟を持った意志とも言えます。周囲から邪魔(時には思いやりだったとしても、その志からすると、邪魔となります。)が入り、くじけそうなこともあるでしょう。それでも諦めない、捨てられないほど強い覚悟なのです。

 今回論語の解説書を読む中で、「志」という言葉に、なんともむずかゆいような、後ろめたいような生ぬるい雰囲気を感じ、この記事を書いています。孔子の志は、仁、義を兼ね備えた君子となること、君主をお支えすること、弟子たちを君子に少しでも近づけること、などかなと推測します。

 私の「志」ってなんだろう。

「事業を成功させること、それによって世の中に役に立つこと」具体的な内容は避けていますが、ざっくり言うと、そんなとこでした。30代の頃は、それに向かって自分が何か事業を立ち上げて、リードしていくのだ、という意志がありましたが、40代に入り、管理職となり自分の役割も大きく変わり、目指すべき方向がかつて抱いていた「志」とはやや異なっているのかもしれません。
 否、向かう方向は変わらないのですが、それを成すために、より多くの人たちと一緒に、彼、彼女らを支える人材になりたい、という、「なりたい人物像」に変化が現れたのかもしれません。必ずしも自分が全てのトップに立つと言うことは目指していないなと感じています。

不惑未だ遠し

 そんなことで、まだ四十にして不惑とはならず絶賛惑い中ですが、なりたい人物は古典を読む中で見えてきていて、それを「原則」として設定し、行動として日々実践し習慣化しています。そこに関してはブレずにやれているのかなと思います。気がつくと、それが「志」になっていた、となればいいな、と思います。

(参考)

https://note.com/hiro2log/n/nb8a62547c2a0

(引用)

「声に出して読みたい論語」(斎藤孝著 草思社)


この記事が参加している募集

#読書感想文

190,929件

#最近の学び

181,973件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?