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なぜ「物の見方」は重要なのか? ~「大人の成長」を考える入り口~

さて、今回からは折に触れて、私の留学時代の最も大きな学びであり、帰国後様々な研修などでテーマとしている「大人の成長」について紹介していきたいと思います^^


1. 振り返り ~適応課題、ダンスフロアとバルコニー~

これまでの投稿では、まず、

・新たな知識・スキルを身に付けることで特定の正解を導き出せる「技術的課題」よりも、
・正解はもとより課題が何かも容易には特定できず、したがって対処するには自らの「価値観」や「物の見方」自体を問い直す必要のある「適応課題」

が、現代では増えてきているということをお話しました。

そして、そうした適応課題に対処するには、

・熱があり、実際に変化が起こる場所である「ダンスフロア」と、
・一歩引いて広い視野から客観的に事象を分析できる「バルコニー」を、

行ったり来たりすることが重要であることにも触れましたね。

これらに通じることとして、

・難しい課題に対応するためには、自分の「物の見方」を客観視したり、それを問い直すことが重要になってくる

ということが挙げられそうです。

では、それはどうしてなのでしょうか?

その重要性を、政策的な側面から今回は考えてみたいと思います。


2. 政策は、複層的なレイヤーで実行される

まず、頭に入れておきたいなと思うことは、

・政策とは、国が「これをします!」と言ったら明日から世界が変わる訳ではなく、
・その政策を「実行」するには様々なステークホルダーがおり、複層的なレイヤーで実行される

ということです。


一例として、「先生の時間外在校時間を減らしたい!」というところで、国も色々な施策に取り組んでいます。

https://www.mext.go.jp/content/230914-mext_zaimu-000031836_1.pdf

・教職員の勤務時間の上限等を定める指針の策定
・教職員定数の改善や支援スタッフの配置充実
・基本的に学校以外が担うべき業務の明確化
・・・などなど。

ただ、国がそれをすればすぐに政策が実現される訳ではなく、

・教職員の人事・給与を所掌する都道府県教育委員会が、国の方針を踏まえた具体的な取組を検討し支援策も含めて実行したり、
・教職員の服務管理をしている市町村教育委員会が、ICTの校務への積極的活用や地域との連携を積極的に推進したり、
学校レベルで、会議の効率化や教育課程・行事の見直しに取り組んだり、

することと相まって、効果を挙げると考えられます。

そして、これらの施策を実行する上では、民間のサービスを活用することや、支援母体としてのNPOと連携するということも事例としてあるので、
こうした者もステークホルダーとして含まれ得ると言えそうです。


このように、

・政策が実際に変化を生み出すには、複層的なレイヤーの中で、多様なステークホルダーがビジョンを共有して取り組む必要がある

と言えそうです。


3. レイヤー間で、伝言ゲームのように「人」による解釈が介在する

そうした政策の実行プロセスを考えたとき、人間はAIではないので、
以下の図(分かりやすさのために単純化しています。)のように、それぞれのレイヤーの間で「人」による解釈があり、それを通して政策は伝わっていきます。

意図された通りに現場で実行される施策はほとんどない…。


みなさん、「伝言ゲーム」ってしたことありませんか?
いくつかのグループに分かれて、先頭の人から最後の人まで、先頭の人が聞いたメッセージを正確に伝達することが出来るかを競うゲームです。

経験のある方もいらっしゃるかもしれませんが、途中で結構ニュアンスが変わってしまい、最後には「え、こんな話じゃなかったのに!」となることがしばしばあるんです。

それは何故か、というと、

「我々人間は、メッセージをそのまま受け取るだけでなく、自分の中にある『レンズ』を通して受け取っている」

からなんです。


上の図でいうと、国→都道府県→市町村→学校という流れになっていますが、実はそれぞれの組織の中でもさらにレイヤー構造になっています。
例えば学校の中でも、校長先生、教頭先生、主幹、学年主任、…とイメージしていただけると分かると思います。

ものすごく複雑な階層で伝言ゲームが行われているんです。

そうすると何が起こるかといいますと、
・伝言ゲームで伝言を書いた人の意図と違う形で最後の人にメッセージが伝わってしまうのと同様に、
・意図した通りに現場で実行される施策はほとんどない
ということになります。

(なお、この図では単純化のために、主として国や都道府県、市町村の意図したとおりに、というニュアンスになっていますが、実際はそうでもなく、「現場が政策を変える」こともままあり、それが悪いとは必ずしも言えないと思っています。それはまた別の機会で。)


4. どれくらい解釈は異なるのか?


これ、気になりますよねー。

正直、人によって180度正反対のこともあると思います。

具体的なイメージを持つために、2つだけ例を作ってみました。
まず、現在の学習指導要領(何をどの学年で教えるかのメルクマールを国が決めているもの)のコンセプトの1つでもある、「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」についてです。

人によって全然違いますね。

次は、コロナ禍もあって加速したGIGAスクール構想(子供1人1台タブレットによる学びの充実)についてです。

こちらも千差万別ですね。

いかがだったでしょう?
「なるほど、ここまで人によって違うのか。。。」ということがお分かりいただけたのではないかと思います。


5. おわりに ~「変化への免疫」を乗り越えるということ~

ここまで聞くと、解釈のズレがあるのが「悪」だと考えられるかもしれませんが、実は私、必ずしもそうは思っていません。

逆に、間に「人」が介在するからこそ、
最初のメッセージに自分なりの「熱」や「魂」を込めて次のレイヤーに伝えていくことが出来れば、
政策の意義がより伝わったり、想定以上のインパクトを挙げることも出来る!

と考えているからです。


そのためには、先ほどの2つの例の上側にあったような、私たちの心の中に自然にある、いわば「変化への免疫」を乗り越えることが必要になります。

そのために、自分の「物の見方」を一歩引いて客観視し、アップデートしていく強力なツールとしての「構築発達理論」(Constructive Developmental Theory)について、今後紹介していきたいと思います。

ぜひお楽しみに~!

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