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幸せ探し。

手で触れる・さする効果について
前回お話しましたが
心身の無意識の緊張が緩み
幸せ感を感じられる
神経伝達物質が出やすくなることからも
触れることの
効果は十分に感じられます。

幸せに興味のないひとは
そんなにいないはず、笑
それほど人類が哲学的に考えたり
求める普遍的なもの。

幸せの定義はひとそれぞれで

遺伝、環境要因により
個人差もありますが
自然現象でもあるので
不安感や孤独感が弱まっていれば
おのずと感じられます。

わたしたちの脳は
生存のために恐怖
強い怒り悲しみを
感じたこと
(ワクワク感とは違う意味のストレス)
を覚えておくような
仕組みになっているので
不安感やプレッシャーは
多かれ少なかれ誰にでもあるものです。

ただ、日常を振り返ったときに
幸せ感を感じにくいと
認識している場合
気づいていても
気づいていなくても
不安感・孤独感など
ネガティブと分類される
感覚が慢性化している
可能性はあります。

◆幸せ感の科学的(共通認識)な定義
⇒アドレナリン・セロトニン・オキシトシン
などの神経伝達物質・ホルモン
※「神経」に働きかける物質と
「血流」を通して
身体の各部位に運ばれる分泌物。
例えば、
何かに夢中になっている・ワクワクしているとき・目標目的がある
精神の安定状態(フラット感)
ひと(自他)や動物・植物などとの触れ合いにより愛情が生まれたときなど。

わたしたちは
目標や夢を持ちたい、持つべきだ
人間関係を良好にしたい
感情に左右されたくない

などのための悩みや行動が
要因となることがありますが
ここでいま起こっている
ありのまま感に(感覚、感情、思考)
に目を向けるだけで
すでに十分です。
※不十分な気がするのは思考で
そう思うこともOK、完璧に起こる。

なぜなら「長く続く不安感・孤独感など」の正体が

わからない

ことにもあるからです。
ここで起こっている
感覚や感情などに
気がつけない
分からない
のは優先順位が低かったり
気がつきたくない
知りたくない
というストレスなどですが

何れにせよ
無意識に不安な感じや
孤独な感じが生まれ
それを解消するためにひとは
自動的に行動が起こっています。

まずは「解消するために選択している
・行動している」
ポイントが多いことに気づき
そういった行動や想いが
悪いとか良いといったような
ジャッジメントを脇に置き
ただそうなんだ。と気づくだけ。

★ジャッジメントについて
⇒人は一瞬でいろいろなことを
瞬時にジャッジしているので
いまジャッジしたなどと
認識することは少ないです。
そういったジャッジメント・
認識が起こるまでの「過程」を
細かく観ていく。

その過程をみていくと
本質的な自己について
頭での理解・言語を超えた見抜きが
起こるかもしれませんが

そのとき、
どんなに一人のような状況が起こっても
孤独という感覚はもともとない
ことが自然と明らかになります。

孤独については
それが強すぎなければ
芸術的な感性や磨かれたり
魅力となるなど
個人的には全くネガティブに
捉えてはいないですが

孤独感は本当のところ
なかなか感じにくい感覚です。
愛していた人や動物との別れなどで
濃い寂しさや深い悲しみが
起こったとしても
完全に世界から
孤独したような感覚は本来ないので
成長の過程で
創られたものです。
だからこそ、
副次的なのでスパイスとも
言えるのかもしれません。

例えば、赤ちゃんが
分かりやすいかもしれないですが
お腹が空いたなどの生理現象や
一緒に居た大人が居なくなったとき
生命の危機を感じるシステムは
あったとしても
世界の中に一人取り残されたような

孤独・・

を感じられる
シュールな赤ちゃんは
なかなかいないと思います。(笑)
動物も同じではないでしょうか。

それは、わたしたちが
世界をどのように認識しているか?
にあります。

(続く)♡







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