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能×IT(能楽師 安田登さん) 

要約=====
能は幽霊が主人公。こういう芸能は世界にそんなにない。語りの主体が幽霊。基本的には、夢幻の世界の能は『テクノロジーがしょぼい』(笑)のであまり相性が良くなかった。今シンギュラリティが騒がれているが、実はなんどもあった。文字の発明によってあらゆることが変わった。直近では文字を使うことによってみることができる。能の方からテクノロジーに寄与できることを考えたい。

シンギュラリティとは?2045年くらいたつと地球上に存在するコンピューターの知性が人間の知性を超え始める。その特異点。それを超えてしまうと物理学でもわからない。人間の知能を超える存在が生まれることにより存在そのものが根底から覆される可能性を示唆。

学生時代に甲骨文字を研究したとき、「心」という文字がないことが分かった。心がないということは悲しむ悩むがない。ひょっとしたら、その時代のひとにとっては心がなかった。もう少し冷静に言うと「心というものを認識していなかったのではないか?」紀元前1000年にこころが突然登場する。それは、いままでとっても虐げられていたひとたちが最初に認識した。長い間生贄にされていたのに自分たちがそれだと認識がなかった。未来を考えられなかった。こころは過去未来をイメージする力。ひとは、こころを手にしたことによってこころによって変えることができる。同時に未来への不安や過去への後悔という副作用も手に入れた。その副作用をどうにかしようとおもった人がイエスであり釈迦であり孔子。

産業革命以降に生存のために手にいれたこころが自分の生存をおびやかすようになった。そのことを紀元前3000年前の神話を比較すると共通点がある。いくつかあるが、ひとつが「女性の時代」というともろに女性が中心。古代中国でも最高の軍隊は女性が中心。そこには'論理がない'。僕たちはなぜ論理がないかを解釈してはいけない。解釈せずに追体験することが「能」のちから。主人公がそもそも幽霊なので、感情移入はできない(笑)

手に入れたもの。文字とともに手に入れたものは実は非常に人間にとって邪魔なものが多い。例えば帽子を手に入れる。なくても帽子が必要なかったのに、帽子が必要になってしまう。手に入れたことで特に「知」を手に入れることができた。脳の外在化。外に出すことによっていろんな思考が可能になった。それによってひとは「知」を手に入れたが、

波がみえたとか、土がみえたとか、昔のひとはもっとみえたはず。そこにあらわれる幽霊も見えたはず。これってまさにAR。日本人はもともと脳内ARが盛んな民族。だから能楽は大道具小道具が少ない。何もない。プロジェクションマッピングしなくても脳内で見れる。脳内AR、武士のためのものだった。AR民族だったのに近頃論理的になり過ぎて弱まっている。ところが、ホロレンズを外したあとってみえるでしょ?途中までそれをつけていてそれを途中で切ってみる。ひとはAR脳があるからこそ、未来をビビットにイメージできる。だから江戸時代は武士がとても大事だった。

能の特徴は、ウォークスルー。なにがくるかわからない。いまのプログラミングは当然ながら全体を俯瞰して書く。そうするとすごく面白いものは出てこない。「ぼくたちのイノベーションは興味のないものが自分のなにかに反応したときにはじめて起こる。興味のあるものからは絶対に起こらない。自分のテリトリー内から飛び出すのがウォークスルー。ウォークスルー的なプログラミング言語ができたらすごく面白い。それに寄与するのが能だと思っている」

能もVRも観客を甘やかしてはいけない 能楽師・安田登氏が期待する「人の能力」の引き出し方 | メディア環境研究所|博報堂DYメディアパートナーズ (mekanken.com)



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