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私がブタである理由【根拠のない劣等感】

私がこの世に生まれたことを喜ばなかった人がいる

その最たる人は、一歳年上の兄。

たった一年で主役の座を奪われたのだから、当然だろう。

その上にもうひとり兄がいて、2人合わさるとさらに凶暴になる。

母親は、やさしくしてくれない夫が、娘にだけは甘いという点で、自分ではコントロールできないのであろう嫉妬心に支配されていた。

そんなわけで、幼い頃の私は、「兄2人&母」の総勢3人の暴言の名手たちから、理解のできない言葉を浴びせられる日々だった。

理解のできない言葉とは、たとえば。

1.「グズ」「のろま」系の、体力レベル揶揄
2.「ブタ」「タコ」系の、動物揶揄
3.「女はこっちにくるな」系の、性差での優越感
4.「お前は黙ってろ」系の、とにかくケチつけたい感


1.なぜ、グズでのろまであるのか、わからない

早くやろうと必死にやっているけれども、延々と言われ続ける。

そりゃそうだ。

一緒に成長しているのだから、年齢差は絶対に縮まらない。

でも、幼い頃は、それがわからない。

なぜ自分が、こんなにもグズでのろまなのか、自分でも理解できないのだ。

その結果、やはり自分は劣っているのだと思ってしまうことになる。


2.なぜ、人間である私が、ブタ呼ばわりされるのか、わからない

そもそも、「ブタ」とは、どういう意味なのか。

「タコ」って言われても、足は2本しかない。

とりあえず、よくわからないのだ。


3.「女は」って言われても、じゃあ、なぜ母は許されるのか、わからない

いとこのあの子は、なぜ、文句言われないのか。

いろいろ考えていると、「女は」という分類自体が、よくわからないのだ。

4.とにかく、何でもかんでもケチをつけられるのが、よくわからない

理由なんて何もないときの、伝家の宝刀、最後の切り札。

「なんで?」の答えは、とにかく、「お前はダメ」「お前は来るな」。

なんて便利な言葉。

つまり、「私だから」ダメだってことなのか?


そんなこんなで、いまだに、人から何を言われてもサッパリ理解できない。

日本の、「情」を重んじる社会を疑問に思う

「言われたとおりにやって」と言われたかと思えば。

「鵜呑みにするな」と言われる。


もちろん、人のせいにするつもりはないんだけれども。

やはり、「納得できる理由」というものを、きちんと述べられない風習というものが日本にはあるように思う。


「なんで?」と聞いても、「とにかく、やれ」式。

あるいは、「みんなが、やってるから」。

「隣のあの子は、いい子でしょ」。


嫌いな理由も、「とにかく気に入らない」。

「つらい」と訴えても、「我慢しろ」。

根拠よりも「情」を大事にするのは、世界で唯一、「終身雇用制」を採用している日本の体制を見ても、よくわかる。

もちろん、「情」には、いいところも、たくさんあるだろう。

しかし気をつけないと、力で相手をねじ伏せることにもなる。

情を優先しすぎると、支離滅裂にしかならない

「論理的」というのは、実はそんなに難しいものではなく、ただ、「なぜ?」の問いに、「なぜなら」と冷静に答えるだけ。

それを、「みんながやってる」「みんなに迷惑をかける」「世間に顔向けできない」「あの人を裏切ることはできない」という、まったくもって理解のできないような、こじつけとしか思えない理由から、選択と決断をせまられてしまう。

子どもからすると、まさに周囲の言ってることは、「支離滅裂」。

サラリーマンの愚痴というのも、似たようなものなのではないか。


なので、タイムマシンがあったら、やってみたいこと。

「ブタ」と言われたときに。

「私のどこが、どうブタなのか。どういう点がブタと類似しているのか。理由を3つ教えてほしい」

と、家族のみんなに聞いてみたいものだ。


人に何かを言うときは、理由を3つくらい用意しておくことをオススメする

「お前のために言っている」と言いたいのであれば、理由をきちんと説明するのが、本当に相手のためというものだろう。

感情まかせに言うと、自分も相手も、しこりを残してしまうのだ。

いつまでたっても、言われた理由が、よくわからないから。

はて、私がブタである理由は、いまだにわからない。


そんな私が救われたのは、「あなたのせいじゃないよ」と言ってもらえたからだった。

自分のせいには、しないほうがいい。


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