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こういうのが見たかったんです|『Barbie』


※ネタバレあり



映画『Barbie』、公開されてすぐ見に行った。

大好きなグレタ・ガーヴィク監督の新作
バービー人形を映画化ってどうするの、でもグレタなら絶対なにかやってくれるはずと期待しながら劇場へ。



最高だった。こういうのが見たかったんです。公開から少し経ち、『Barbie』に対する様々な意見を読んで、自分でも改めて冷静に考えてみたりしたけどやっぱり最高だったと言いたい。



「この映画で描かれているフェミニズムは初歩的で素朴なもの」「当たり前すぎることしか言われてない」という意見を見た。その通りだと思う。でも私はだからこそ飛び上がるほど嬉しかった。だってこんな「オブラートに包む」みたいなことせずにフェミニズムのメッセージをたくさんの人に届けてくれる映画、そうそうなかったと思う。

後半、家父長制的な価値観に呑まれてしまったバービーたちの洗脳を解くため、人間であるグロリア(アメリカ・フェレーラ)は言葉を尽くす。
やっぱり言葉だ。だれかが言葉にしてくれることで、自分がずっと抱えていた心のザワザワの輪郭に触れられることがある。声を上げていいんだと気づくことがある。「映画なんだから映像で語るべきだ」と思われるかもしれない。でも、あえて全て言葉にした。バービーたちは自分たちの言葉を獲得する必要があったから。最初はだれかに借りたものでも、それはきっとその人のなかで育っていくはず。
私も言葉を諦めないでいたいですね。

結局あのあとケンたちはどう変わって、バービーたちはケンたちにどう接して、どういう関係を築いていくのかが大事っていうかまさに我ら人類の今の課題だからこそ気になるのだけど、その解答みたいなものは描かれることはなく。そりゃそうだ。我らが現実世界で見つけて進んでいくしかないですよねという気持ち。「これってグレタ的『君たちはどう生きるか』じゃん…泣」などと考えたりもしました。

ラストの婦人科も、不意をつかれて劇場の人たちも笑ってた。人間になるということ、ヴァギナを手に入れるということ(もしくはこれから作るということ)は、もっと複雑で困難な世界に踏みだすということだと思う。老いるし、病気もするし、セルライトはできるし、生理はきてもこなくても面倒くさいし、精神も常に凪いだ状態でいられるわけがない。生殖も死も存在する世界。でもそういう困難も全部引き受けて人間になることを選んだバービーの清々しいラストだと感じた。

とか思ってたら「ラストはまさかの下ネタでしたw」という感じのレビューを見かけてしまい、嘘でしょ???と声が出た。
婦人科に行くことが下ネタて。どうしてそうなっちゃったのかわからないけど、言わずもがな婦人科に行く人たちには色んな目的がある。検診だったり薬をもらったり色々。インタビューでグレタも「バービーが最後にすることはすごく普通なこと」と言っていた。といっても知らないからそう言ってしまうなら、婦人科に用がある人もない人もみんなが知るしかないよなと思う。



インターセクショナリティに対して鈍感だったとか、色々あるけど、やっぱり『Barbie』は『Barbie』として最高だったな。たくさんの人がピンクの服着て劇場に集まってる光景は希望。あと当たり前だけど、ひとつの映画ですべての問題に触れることはできないのだから、それぞれの問題に対して切実な映画がたくさん作られなきゃいけない。
がんばりたい。

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