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漫画編集者がオススメする API Heritage Month に読みたいグラフィックノベル

 アメリカ合衆国に暮らすアジア系の人々は2019年時点で2000万人、また19の国々にルーツを辿ることができると言われています (Pew Research Center調べ)。

 一方、現在アメリカ国内では、アジア系を狙ったヘイトクライムと見られる事件が立て続けに起こっています。今年1〜3月の間に95件と、去年の同時期より2.6倍に増えています (数字はNHKニュース記事より)。

 5月は、Asian American & Pacific Islander Heritage Month (アジア系・太平洋諸島系アメリカ人ヘリテージ月間) とされ、アジア系太平洋諸島系の人々をお祝いする催しが全米中で行われていますが、前述のような社会問題が多発している今年はアジア系の文化や歴史を知ってもらう意味で、例年になくその重要性が高まっています。

 こちらの記事では漫画編集者という立場から、この機会に読みたい、アジア系にまつわるグラフィックノベルをご紹介したいと思います。

 グラフィックノベルの世界を見渡してみると、社会問題を題材にした作品が多く、商業的な意味合いの強い日本の漫画市場とは一味異なります。またその中で、アジアに出自を持ったアーティストの活躍には目ざましいものがあります。彼らの多くは移民2世以降で、アメリカ人でありながらも、自らのルーツである文化と切り離せないことに自覚的です。

 今日本で起きている入管法改正などの問題を考える上でも、アメリカの移民について知るのは、大きなヒントになりうるのではないでしょうか。未邦訳のものも多いですが、どの作品も比較的読みやすい英語で描かれているので、ぜひ手にとっていただけたらと思います。

Adrian Tomime (エイドリアン・トミネ)『Shortcomings』(未邦訳)

  日系アメリカ人のBenと日本人ガールフレンドのMiko、"アジア系"と括れば彼らは同じグループ。しかし好みも違えば、人を眺める目も違います。映画の感想を言い合ったり街を歩く時でさえ、会話には異なるフィルターが。忍び寄るような居心地の悪さが、巧みに描かれていきます。

 このBenがとても嫌なやつ…!皮肉で斜に構えていて…さらに、日本人ガールフレンドの手前否定しますが、白人女性に並々ならぬ憧れを抱いている。トミネ氏は主人公だからといって、決してこのキャラクターに感情移入させるようには描いていない。むしろこの世界のリアルや、人間のどうしようもなさを掬い取ろうとしているようにさえ見えます。

 トミネ氏は日系アメリカ人4世。個人を深く描くことが、パワフルに社会全体を描写すると教えてくれる、素晴らしい技量を持った作家です。

Kiku Hughes (キク・ヒューズ)『Displacement』(未邦訳)

 日系4世のキク・ヒューズ氏。この本は「事実でありフィクションであり、歴史であり記憶である」と、あとがきで述べています。ヒューズ氏の祖母は戦時下、トパーズ強制収容所に連行され終戦までの時を過ごします。ヒューズ氏が生まれる前に亡くなり、経験を直接聞くことは叶わなかったそうですが、この作品の出発点は、自分にもその歴史が刻み込まれていることを感じてだといいます。

 漫画では主人公のキクが、突然第二次大戦時にタイムトラベル。本の冒頭で、祖母の足跡を辿る旅に連れてこられても無関心だったキクが、祖母の生きた時代を追体験していくことで、歴史と自分自身について知っていくというストーリー構成になっています。

 第二次大戦時の収容所の経験を描いたグラフィックノベルとしては、ジョージ・タケイの自伝『〈敵〉と呼ばれても』が有名ですが、こちらはその後の世代が経験を語り継ぐべく、ファンタジーの手法を取っています。”A memory is too powerful a weapon.” (記憶は非常に力強い武器である) という言葉が本の中に出て来ますが、自伝と違うアプローチを取りつつも、その言葉が揺るぎない事実だと思わせてくれる1冊です。

Jen Wang (ジェン・ワン)『Stargazing』(未邦訳)

 バイオリンが得意で真面目な台湾系アメリカ人のChristine。風変わりな女の子Moonとその母親が、家の敷地内にある別宅に仮住まいするようになります。自分と性格がまるで違うMoonとの交流を通じて、Christineの世界が開かれていきます。

 作者があとがきで書いているように「自分がアジア系アメリカ人の子どもらしくないとしたら、一体何者なのか」という問いが、この作品のテーマのひとつです。アメリカ社会を生きていく中で、それぞれが"こうありたい""こうあらねば"という壁にぶつかっていきますが、この作品ではそれが実に良く描かれています。

 Jen Wangの両親は台湾からの移民。Jen自身は北カリフォルニアで生まれのベイエリア育ち。高校の頃は日本の漫画ばかり読んでいたそうです。コマ割りや構成、間の作り方など、漫画からの影響かなという点が多く、また小学校中学年以上の読者を想定しているため、大変読みやすいです。

 Jenの最新作『The Prince and The Dressmaker』はアイズナー賞とハーヴェイ賞を受賞しており、なんとディズニーのアナ雪チームによって、ミュージカル映画化されることが決まっています。

Thi Bui (ティー・ブイ)『The Best We Could Do』(邦題『私たちにできたこと』椎名ゆかり訳)

 作者のブイ氏は1975年ベトナム生まれ。難民としてアメリカに渡ってきました。この本は彼女自身、そして家族の物語。

 冒頭が大変印象的で象徴的。主人公が出産するシーンから始まります。命をつなぐということ、親になることが作品の大きなテーマですが、このエピソードを出発点に、ルーツであるベトナムでの話につながっていきます。その後、現在と過去がクロスオーバーしていく形で語られていきますが、実にその描き方が生々しく、時に痛ましい。

 歴史やルーツを知ること、はたまた母国と呼べる場所を持つことが、自分や家族を知るということとイコールなのかーー 移民の人々が持ちうる問いを鋭く突きつけてくる作品です。

 椎名ゆかりさんの邦訳版は、フィルムアート社さんから刊行されています。

Gene Luen Yang (ジーン・ルエン・ヤン)『Dragon Hoops』(未邦訳)

 中華系移民2世の苦悩を綴った『アメリカン・ボーン・チャイニーズ』の作家・ヤンの最新作は、バスケットボールがテーマ! コミックアーティストのほか高校教師も本業とするヤンが、勤務校のバスケットボールチームを取り巻く人々をインタビューしながら描く、ドキュメンタリー仕立てのグラフィックノベルです。

 バスケットボールチームは実に人間関係が濃密な空間。黒人コーチ、その師匠である白人コーチ、黒人生徒、シク教徒のインド系、中華系など… 各章で異なる人に光を当て話が進んでいきます。最後はヤン自身に。

 ヤンは台湾出身の移民2世。自らの体験を元に描いた『アメリカン・ボーン・チャイニーズ』では、白人になることに憧れを抱く主人公を果敢に描きましたが、この作品では自らを傍観者に置くことで、アメリカ社会の人種をめぐるポリティックス、自分自身を新しい形で表現しています。作家の知性が光ります。

 ちなみに紙の本は、表紙がバスケットボールの表面のような手触りになるよう、スポットニスが施されていてかわいいです。

下記の記事でも、アメリカ社会への理解を深める素晴らしいグラフィックノベルを紹介しています。読書の一助になれば幸いです。


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