平野 智絵

ダウン症の弟がいた、元きょうだい。住宅関係の仕事をしていて、数え切れないほど多くの家族…

平野 智絵

ダウン症の弟がいた、元きょうだい。住宅関係の仕事をしていて、数え切れないほど多くの家族の暮らしを見てきました。 「きょうだい」であることは、私のアイデンティティの大きなひとつだけど、ひとつでしかない。 知的障害者の看取り体験についても、どこかにいる、きょうだいの参考になれば。

最近の記事

「きょうだい」の許可

先日、室内でも車椅子を使っている、お客様の家を訪問した。 キッチンのリフォームをしたいということだった。 室内は、モノが散乱していた。 車椅子で、手の届く範囲にモノを置いて生活している結果、 そのお客様の生活としては、それがベストな状況なんだろうと察した。 訪問介護のファイルが棚に置いてあったので、 介護職の方が訪問されていることは分かった。 (この仕事をしていると、お客様に直接聞けないことも多くあり 室内に置かれている様々なモノから その人の生活を察知するクセがついて

    • この1年で学んだこと

      昨年の春から、「障がい者が働く」ことについて理解したいと、沢山の本を読み、たくさんのお話をきき、たくさんの職場に訪問した。 少しずつ、学んだことをアプトプットしていこうと思う。

      • 【本棚③】『異彩を、放て。: 「ヘラルボニー」が福祉×アートで世界を変える』

        私がいつも使っているエコバッグは、ヘラルボニーのアーティスト 佐々木早苗さんが描かれた作品を商品化したもの。スーパーでのいつものお買いものや、IKEAで買った大きいものも入ってしまう、とても便利な愛用品。持ち手のクタクタ感がそれを物語っているでしょ笑 会社で使っているコースターは、ヘラルボニーの小林覚さんが描かれたもの。 コーヒーをこぼしたりしてシミがついちゃったけど、いつもそばにあるのがいいカンジな軽快な作品。 ま、要は、ヘラルボニーの大ファンな訳です。 ヘラルボニー

        • ほぼ日手帳「365にち」によって、人の寛容さに気づいた。

          2022年、岸田良太さんのほぼ日手帳「365にち」に、私が福祉関連について体験したこと・興味を持ったことを書き綴った。 この手帳を手にした時、この手帳には、キッチリしていないことを受け止める寛容性があると感じ、2022年は寛容になろうと誓った。 結果、私は、またやっちまった。 私は、当初、「私が」周りの人に対して寛容になろうと思っていた。 周りの人をありのまま受け入れる、受容する、寛容になる、と。 ところが、だ。 実際にこの手帳と共にいたところ、 「周りの人」が私に寛

        「きょうだい」の許可

          工賃向上が必要だと思う理由

          ご縁があり、某就労支援施設の工賃向上に寄与するプロボノ活動にチャレンジしてみることにした。 「親なき後に自活して生活できるように」工賃向上に取り組んでいる社会福祉法人様が多く、家族だった立場としては本当にありがたいと思っている。 私が工賃向上が絶対に必要だと思っている理由は、 「入院した時に、個室利用をするため」です。 障害者は、医療費はかからない。 だからなのか、入院した時のことは語られていないように感じる。 障害者が入院した際に、どういうことが起きたのか? 「

          工賃向上が必要だと思う理由

          ほぼ日手帳「365にち」を手に入れ、来年は寛容になろうと誓った。

          毎年、弟の誕生日に、「ほぼ日手帳カズン」をプレゼントしていた。 毎日毎日、必ず机に向かい、日記を書く習慣があったからだ。 生まれ変わったら、物書きになるといいよ、とずっとずっと思っていた。 関西に引っ越したのは、弟が小学校6年生の2学期。 それまで、養護学級(特別支援学級のこと。当時はそうゆう名前だった。)で学校生活を送っていたのに、当たり前のように普通学級に突然入れられ、きっと、いきなりサバイバル生活が始まったに違いない。 いきなり普通学級である。地元の小学校が、そう

          ほぼ日手帳「365にち」を手に入れ、来年は寛容になろうと誓った。

          パラリンピックのボランティア体験

          地元で活動していた、オリンピック・パラリンピックの事前キャンプのボランティアが終了した。 ・・・といっても、大した活動はしていないのだけど。 ボランティアに参加することで、初めて、パラアスリートとお会いした。 それも、陸上競技場で練習をしている姿を見ることができた。 このご時世なので、選手とは一定の距離を取らなければならないし 大したコミュニケーションが取れるわけではないのだけれど、 何らかの障害を持っているパラリンピアンに直に会う機会を持てたことを幸運に思った。 大フ

          パラリンピックのボランティア体験

          折り鶴に込められた想い

          スポーツとは縁遠い私が、柄にもなく 地元のオリンピック事前キャンプのボランティアをしています。 オリンピアンのみなさんは、練習場と宿舎の往復のみに移動が制限されていて 日本を感じてもらえる機会があまりないかもしれないと思い、 夜な夜な、折り紙で、ゴールドメダルを作ってみました。 弟が病気と分かった時、 弟のために、千羽鶴を折ってくださった沢山の人がいました。 人徳なのかな、いつも笑顔で温厚だったから みんなに好かれていたんだよね。 こんなにも、周りの人と良い関係を築い

          折り鶴に込められた想い

          「仕方ないよ」と思いながらする作業

          弟は、作業所でみんなと仲良く作業をしていた。 真面目だったから、毎日ちゃんと通っていた。 極めて温厚で、言葉数も少なくなっていた弟は、大抵のことは 「いい感じ」とか「楽しい」とか「大丈夫」とか こちらが答えて欲しい想定内の模範解答をしてくれていた。 いつもの朝。 歯磨きするのに鉢合わせた洗面所で、何気なく「お仕事、どう?楽しい?」と 単なる朝のコミュニケーション程度で聞いてみたのに… 「。。。仕方ないよ。。。」 想定外の想像だにしていなかった返答に、私は絶句。 そ

          「仕方ないよ」と思いながらする作業

          就労施設での生産性のボトルネックはどこ?

          弟が亡くなった後、野暮用でお世話になった作業所に行ったので、 せっかくなので、弟の代理のように、朝から夕方まで、弟がしていた作業と同じことをしてみた。(コロナの前だったからできたこと。) いかんせん、弟は人柄がよく、みんなに好かれていたため、 「(弟の)お姉さん」というポジションの私は、熱烈歓迎されてしまい 初対面なのに、作業所の多くのお仲間から声をかけてもらえる存在でした。 職員の方は、「(私が来たので)みんな、今日は外面がいい!」と言っていたし お話ができる、お仲間か

          就労施設での生産性のボトルネックはどこ?

          岸田奈美さんのようなお姉ちゃんにはなれなかったけど

          3月21日の「世界ダウン症デー」に、岸田奈美さんが、朝日新聞と東京新聞に大きな新聞広告を出された。 ダウン症について、Wikipediaでも、わたしの記事でも、エッセイでも、本でも、なんでもいいので、知ってもらうきっかけになってほしいのです。    お礼といってはなんですが、今回、橋口さんと岩下さんが作ってくれた「四枚そろえると家族の絵とコピーがそろうポストカード」をプレゼントします。 ポストカードのプレゼントに応募するフォーマットに、岸田奈美さんに、直接、メッセージを届

          岸田奈美さんのようなお姉ちゃんにはなれなかったけど

          病院で生活できる社会性

          半年ぶりに、弟がお世話になっていた社会福祉法人に野暮用で伺った。 亡くなったということがまだ実感としてなく、グループホームでのんきに今でも生活しているんじゃないかと思ってしまうことがある。 弟がいない世界に、まだ慣れないんだよね。 弟は、ある日突然、病院に入院する事になった。 幸いだったのが、病院での生活に順応してくれたことだった。 この時、グループホームで生活する、という選択をして良かったと思った。 ある日突然、体調が悪くなって入院。 いきなり大部屋で、知らない他の

          病院で生活できる社会性

          豊かな感情を持つ見世物

          鬼才デヴィッド・リンチ監督の出世作『エレファントマン』が 映画上映40周年で4Kにリマスタされ公開されていたので観に行った。 上流階級やひと角の人の持つ、無意識の残酷な善意と、 外見で差別される過酷な人生の中で、「普通」に憧れる感情豊かな主人公が 印象的だった。 インクルーシブな社会を考える上で、観ておきたい映画だと思った。 映画を見終わった後に、ふと、20年ほど前の出来事を思い出した。 バンコクの大使館にお勤めのご両親に会いに行く友人について行き 初めてタイに行った。

          豊かな感情を持つ見世物

          世は移ろいゆくもの

          子供の頃から通っていた近所の病院が、解体されている。 職業病だろうか、長く自分が知っている建物の解体現場って 心が締めつけられるように苦しくて、悲しい。 その病院のとても優しい院長先生には、お世継ぎがいなかった。 先生の高齢化もあって、きっと廃業したのだと思う。 もしかしたら、コロナが廃業の引き金のひとつになったのかもしれない。 とても洒落たタイル貼りの医院が、毎日、少しづつ小さくなっていく。 働き者の看護師の奥様が、毎朝、私の出勤時間帯に犬の散歩に出かけていた。 夜に

          世は移ろいゆくもの

          もうすぐ初盆

          弟が亡くなってから、泣きべそ記録絶賛更新中。 宙に向かって弟のあだ名を呼ぶことは、もはや生活の一部となっている。 慣れない。 突然の闘病生活、他界、コロナ禍と、環境の変化が著しかったため 現実を受け入れられず、自分の一部が、時間が止まったままになっている。 心の支えをなくしてしまい、自分の人生を粗末にしてしまいそうで怖い。 ずっと心に思っていた、何らかの形で障害者支援をしたいと思っていた気持ちを 少し行動に移してみた。 グループホーム創設支援等ができないか、という思い

          もうすぐ初盆

          「ヘルプマーク」の活用〜不寛容な社会で身を守る

          先日、弟がお世話になっていた就労施設に行った時のこと。 昼食時、食堂で初対面の知的障害者の方々と食事をしました。 軽度な方は、障害を持っていると全くわからないほど普通に会話が成り立ちました。 積極的に話しかけてくれたりもしました。 なんなら、いきなり映画へお誘いいただいたりしたりして! 久々にナンパされた(笑) そして帰りがけ、彼らの後ろ姿にあったカバンに 「ヘルプマーク」のタグをつけているのは1人でした。(私のぱっと見調査) ※ヘルプマークは、東京都だけでなく全国

          「ヘルプマーク」の活用〜不寛容な社会で身を守る