平川いく世

日本語教師をしていたローマで、ライターを始める。2006年、夫とスイスに移住。2007…

平川いく世

日本語教師をしていたローマで、ライターを始める。2006年、夫とスイスに移住。2007年より海外書き人クラブで記事を執筆。2012年「春香だより〜父イタリア人、母日本人、イギリスで生まれ、スイスに育つ娘との親バカ育児記録(文芸社)」を自費出版。2020年離婚。現在は介護ヘルパー。

マガジン

  • 入居者さんの思い出

    過去にお世話させていただいた入居者さんの中から、特に忘れられない方々のストーリーをつづっています。介護の専門用語は出てきません(もしくは文中で説明します)。どうぞお気軽に、スイスの介護の世界をちらっと覗きに来てくださいね!

最近の記事

スイスで介護ヘルパー!その11「ドイツ語が聞き取れなかった私とアッカーマンさん(後編)」#入居者さんの思い出

(前編からの続き) 入居者さんたちは、話したがっている  入社早々、このことに気づいた私は、積極的に入居者さんたちと会話を持とうと努めていた。私は辛抱強くお話を聞きますよとアピールし、まずはわかってもらうのだ。そうすればきっと、良い話し相手としていつも私を探し、頼ってきてくれるだろう。そういう魂胆だった。  今までの人生経験から私は、お年寄りの方々が概して「話したがっている」ということを知っていた。そこをうまく利用して、(同僚たちの輪にはなかなか入れないけれども)入居者

    • スイスで介護ヘルパー!その10「ドイツ語が聞き取れなかった私とアッカーマンさん(前編)」#入居者さんの思い出

      「え~っ、私また1号室から10号室!?」マリアが大声を上げた。 誰がどの部屋を担当するか、私たちは希望を出せない。やり方がコロコロ変わるのだが、あの当時は2人がチームを組んで10人ずつ担当すると決められていた。どちらがどこへ行くか、最終的にチームの2人で話し合う。  けれど全介助の入居者さんは2人がかりでやるしかなく、選択の余地がない。逃れられない。 「私、もう5日連続で1~10よ? 5日連続、アッカーマンさんよ!?」  マリアの悲痛な叫びに、オフィスでは笑いが起こった。そ

      • スイスで介護ヘルパー!その9「100歳をすぎて安楽死の機会を与えられ、ベルガーさんは…(後編)」#入居者さんの思い出

        (前編からの続き) とうとう老いを感じ始めたベルガーさん  101歳のお誕生日が近づくころ、ベルガーさんは急に物忘れが激しくなった。朝食を食べたことを忘れる、歯みがきをしない、わけもなく怒り出す。7時に飛び起きることもなくなり、いつのまにか午後のお昼寝が日課になっていた。  もう年だ、目が見えない、足が痛いとぼやくベルガーさんに、困惑した私は内心思った「100歳を過ぎて、そんなこと言われても…。いやいや、これでも他の入居者さんより、よっぽど充実した毎日を送ってるように見

        • スイスで介護ヘルパー!その8「100歳まで元気すぎたベルガーさん(前編)」#入居者さんの思い出

            ベルガーさんは入居時、すでに100歳近かったにもかかわらず、「かわいいよ~」との評判だった。それで楽しみにしていたところ、ついにベルガーさんを担当する日がやってきた。  頭髪は残り少なく、小柄で、お腹もかなり出ていらっしゃる。けれど背中はぴんとまっすぐで、お髭も整えていて、お声はちょっと高め、いつもはきはきとお話しになっていた。 元気はつらつおじいちゃん  毎朝7時になると、自分でセットした目覚まし時計で跳ね起き(本当に跳ねるように起き上がるのを私は目撃した)、

        スイスで介護ヘルパー!その11「ドイツ語が聞き取れなかった私とアッカーマンさん(後編)」#入居者さんの思い出

        • スイスで介護ヘルパー!その10「ドイツ語が聞き取れなかった私とアッカーマンさん(前編)」#入居者さんの思い出

        • スイスで介護ヘルパー!その9「100歳をすぎて安楽死の機会を与えられ、ベルガーさんは…(後編)」#入居者さんの思い出

        • スイスで介護ヘルパー!その8「100歳まで元気すぎたベルガーさん(前編)」#入居者さんの思い出

        マガジン

        • 入居者さんの思い出
          12本

        記事

          スイスで介護ヘルパー!その7「シュミットさんからのプレゼント(後編)」#入居者さんの思い出

          (中編からの続き) 力つきる前に言ってくれたのは  そんなシュミットさんも、ついにコロナに倒れた。食べられなくなり起き上がれなくなると、ターミナルケア(終末期医療)となり、まだ新米だった私は部屋に入ることを禁じられた。なのに誰もいないのを見計らって、一度こっそり入ってしまった。  ベッドには、何もできず寝ているだけのシュミットさんが。丸々としていた顔は、すっかりやせ細っている。私はいつも通り「ハロー、ジョージ!」と元気よく挨拶したが、反応はなかった。  唇がガサガサだっ

          スイスで介護ヘルパー!その7「シュミットさんからのプレゼント(後編)」#入居者さんの思い出

          スイスで介護ヘルパー!その6「ジョージと私にしかわからないジョーク(中編)」#入居者さんの思い出

          シュミットさんと2人の時間 (前編からの続き)リフトは基本的に、二人で操作するよう言われている。何かあった時に対処できないからだ。それでも立ちリフトは、離陸しない分リスクは少ない。実際私は、シュミットさんのお世話の時にヘルプを呼ばなかった。2人きりでいたから、シュミットさんと私は距離が縮められたと思っている。  というのは、残念ながら中には、仕事の手は動いているものの同僚同士のおしゃべりに夢中になる人がいて、入居者さんの存在はほとんど忘れられている(当然、話の輪に入って

          スイスで介護ヘルパー!その6「ジョージと私にしかわからないジョーク(中編)」#入居者さんの思い出

          スイスで介護ヘルパー!その5「ジョージと呼んでいたシュミットさん(前編)」#入居者さんの思い出

           今から5年前、まだ入社して間もない頃のこと。入居者さんのデータを見ていて、シュミットさんが私と同じ日に生まれたと知った。変わったおばあちゃんだなあとは思っていたが、まさか同じ誕生日だったとは。以来シュミットさんに対し、大きな親しみを抱いた。 かなり特異なシュミットさんの言動  非常によく笑うのだが、ふだんはなぜか愁いをふくんだ悲しげな目をしていたシュミットさん。今思い出してみても、丸顔にボブカットの彼女が、退屈そうに頬づえをついていた姿が浮かんでくる。  シュミット

          スイスで介護ヘルパー!その5「ジョージと呼んでいたシュミットさん(前編)」#入居者さんの思い出

          スイスで介護ヘルパー!その4「ジャワ島で生まれたコスさんの日常ルーティーン(後編)」#入居者さんの思い出

          (前編からの続き) コスさんの日課  そんな中、業を煮やした娘さんが、スケジュール表なるものを送ってきた。毎週月曜日から日曜日まで、起床やらコーラスやら食事やら、ご丁寧に分刻みでエクセルに入っている。しかも曜日ごとに背景を色分けしてあり、月曜日の部分は赤、火曜日は青・・・といった具合。これを毎週プリントアウトし、スタッフ全員が目を通し、部屋に貼っていつでも見られるようにしてほしい、とのご要望。誰かが「こんなにカラーが入ってたら、インク代がかかるね」とつぶやいた。  そし

          スイスで介護ヘルパー!その4「ジャワ島で生まれたコスさんの日常ルーティーン(後編)」#入居者さんの思い出

          スイスで介護ヘルパー!その2「バトルはあれど、憎めなかったイェガーさん(後編)」#入居者さんの思い出

          (前編からのつづき)   冗談好きだったイェガーさん  2つめは、「あなたの髪と、わたしの髪で、バーゼル市」というのだ。バーゼル市の紋章が白地に黒い杖というデザインなのだが、イェガーさんはそれをなぜか髪の毛の色で連想したのである。私のみならず、タイ人の同僚もこのジョークの対象となった。あまりに何度も言われたので、「あなたの髪…」を聞いただけで笑ってしまう。すると、「あ、これもう聞いた?」と、真顔で言うのだった。  あとのひとつが、「ブシじゃないんだから」。ブシは武士では

          スイスで介護ヘルパー!その2「バトルはあれど、憎めなかったイェガーさん(後編)」#入居者さんの思い出

          「スイスで介護ヘルパー!#入居者さんの思い出」について、ご説明さしあげます #みなさまへ

          「スイスで介護ヘルパーやってます!」というタイトルで、5月より入居者さんの思い出をnoteに投稿しています。まだ2編しか公開していませんが、読んでくださった方、大変ありがたく思っております。数ある中から私の文章を見つけ、長文にもかかわらずお読みいただき、本当にありがとうございました!  本日はこれについて、少々ご説明申し上げたいと思います。  介護の仕事であったエピソードを、一度書いてまとめてみたい……。そういう想いは、以前からありました。家族や友人に「介護については、

          「スイスで介護ヘルパー!#入居者さんの思い出」について、ご説明さしあげます #みなさまへ

          スイスで介護ヘルパー!その3「ジャワ島で生まれたコスさんの日常ルーティーン(前編)」#入居者さんの思い出

            にぎやかな引っ越し  コスさんは緑色の丸い目をくりくり動かして、歩行器を押しながら入居してきた。ストレートの短い白髪にカチューシャ。紫の長いネックレスをかけ、白いレースのブラウスにクリスマスカラーのジャンパー、下はトレパンというちぐはぐな出で立ち。背は低く、上半身は太く、下半身は細めという体形である。  家族親戚もぞろぞろやって来て、にぎやかに引っ越しを手伝っていた。部屋にはベージュのソファーが置かれ、グリーンのクッションも並べられた。居心地のいい部屋に仕上がり、

          スイスで介護ヘルパー!その3「ジャワ島で生まれたコスさんの日常ルーティーン(前編)」#入居者さんの思い出

          スイスで介護ヘルパー!その1「バトルはあれど、憎めなかったイェガーさん(前編)」#入居者さんの思い出

          長い付き合いだったイェガーさん  3日間の休みが明けた。出勤してみると、イェガーさんが亡くなっていた。  入居者の死亡が出ると、名前と遺影が施設の受付に掲げられる。それを見るたびヒヤッとするのだが(ドキッとする時期はとうに過ぎた)、とりわけ仲良くしていただいた入居者の死は、今でも受け止めるのが難しい。  笑うことがほとんどなく、化粧っ気もおしとやかな言動も一切なかったイェガーさん。ところが若かりし頃はカメラに向かって、微笑みすら浮かべていたのだ。写真につい見入ってしまっ

          スイスで介護ヘルパー!その1「バトルはあれど、憎めなかったイェガーさん(前編)」#入居者さんの思い出

          スイスの平川です! #みなさまへ

          お世話になっております。スイスの平川です。。。。メールの冒頭ではいつも、自分がまるでスイス特派員であるかのように挨拶している私ですが、実際はただの海外ネタで書いているライターです。  この度は、こちらのnoteを始めることにいたしました。ライターというのは副業で、本業は現在のところ「介護ヘルパー」なのですが。実はライターの方を本業にするのが昔からの夢なので、新たなステップに進むべく、スイスでの介護職について書いてみようと思ったのです。 プロフィール過去に書いた記事 ご参

          スイスの平川です! #みなさまへ