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スイスで介護ヘルパー!その3「ジャワ島で生まれたコスさんの日常ルーティーン(前編)」#入居者さんの思い出



 

にぎやかな引っ越し

 コスさんは緑色の丸い目をくりくり動かして、歩行器を押しながら入居してきた。ストレートの短い白髪にカチューシャ。紫の長いネックレスをかけ、白いレースのブラウスにクリスマスカラーのジャンパー、下はトレパンというちぐはぐな出で立ち。背は低く、上半身は太く、下半身は細めという体形である。

 家族親戚もぞろぞろやって来て、にぎやかに引っ越しを手伝っていた。部屋にはベージュのソファーが置かれ、グリーンのクッションも並べられた。居心地のいい部屋に仕上がり、コスさんの新しい生活が始まった。

 ところがコスさんは、この部屋にほとんどいなかった。いつも共同スペースの、テレビのまん前に陣取っていたからである。

 自分でできたけど・・・

 コスさんは早起きだった。ひとりで起きて身支度し、さっさと食堂に行ってしまう。私たち介護チームは、朝の7時に早番が始まる。7時15分ごろ、朝のミーティングを終えてさあ出動という時に、コスさんはすでに食堂で、ひとり朝食をとっていることが多かった(朝食だけは、席に着いた人から順にサービスされる)。そして食後は、テレビの前に落ち着く。

 ほどなく、コスさんの衛生問題が浮上した。体をきちんと洗えていないというのである。排便のあと、おしりもきちんとふけていない。下着やシーツが排泄物で汚れている。ひとりでトイレに行けるがオムツは変えず、濡れているのに平気でいる。

 かくしてコスさんの担当は、朝食前に捕まえられたらラッキーということになった。うまいこと言って、部屋に連れ戻す。けれどすでに食堂にいる場合、あとから部屋に連れていくのはひと苦労。テレビ視聴を中断されるのを嫌がるからだ(当然である)。

コスさんの日課

 コスさんのお気に入りは、アルテ。主にドキュメンタリーを放送しているドイツのチャンネルだ(スイスの公用語はドイツ語・フランス語・イタリア語で、隣国のテレビ番組は普通に視聴できる)。このアルテを朝から延々と見ている。気がつけばリモコンは、コスさんの所有物となっていた。歩行器のかごに、いつもリモコンが入っている。夜は部屋に持ち去ってしまう。紛失するたび、ほかの入居者さんからクレームが出る。

 クレームはまた、チャンネル選択にも及んだ。アルテでなく、ほかのチャンネルが見たい。どうしていつもコスさんが決めるのか。これは頭の痛い問題だった。確かにみんなの希望が公平にとりあげられるべきである。ただ、他局の長いラブシーンは目のやり場に困るし(みんな無言で見てるけど)、スポーツなどは好みが分かれる。アルテは無難なチャンネルで、私たちとしても楽なのだった。

 とはいえ、コスさんが常にテレビに夢中になっていたかといえば、そうでもない。隣に座って一緒にテレビを見ていると、よく「食事は何時なの、もう食堂に行ってもいいの?」と聞いてきた。まだ早いですよ、あと1時間ですよと答えると、ああそう、と納得して視線をテレビに戻す。その20分後には、また同じ質問をくり返すのだった。
 
 コスさんがすっかりテレビ漬けになっていることを知った家族が、私たちに連絡してきた。母は好奇心にあふれ、何にでも挑戦する女性なんです。毎日テレビの前に座っているとはもったいない。ぜひ何かさせてください。
 おりしも、レクリエーション担当の女性が辞めた後、新任がなかなか見つからず、レクやイベントは手薄になっていた時期。パズルが大流行したこともあったが、主要メンバーの老化によりだんだんと廃れていった。自然と、みんなテレビの前に集まるようになる。それに伴い、トラブルも増えていった。(後編へつづく)
 

 おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。


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