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スイスで介護ヘルパー!その8「100歳まで元気すぎたベルガーさん(前編)」#入居者さんの思い出


  ベルガーさんは入居時、すでに100歳近かったにもかかわらず、「かわいいよ~」との評判だった。それで楽しみにしていたところ、ついにベルガーさんを担当する日がやってきた。

 頭髪は残り少なく、小柄で、お腹もかなり出ていらっしゃる。けれど背中はぴんとまっすぐで、お髭も整えていて、お声はちょっと高め、いつもはきはきとお話しになっていた。
 


元気はつらつおじいちゃん


 毎朝7時になると、自分でセットした目覚まし時計で跳ね起き(本当に跳ねるように起き上がるのを私は目撃した)、トイレ歯みがきの後はたっぷりの泡をつけて髭をそる。そして自分でシャワーをする。
 シャワー姿を見られるのは恥ずかしいという本人の希望により、当初ずっと一人でシャワーしていた。朝は部屋に行くと、シャワー中のベルガーさんに向かって、「ベッドを整えておきますね~」と声をかけたものだった。

 このベッドというのが、黒と赤のバラのベッドカバーをきっちりとかぶせ、その上にワインレッド色のサテンのクッションを6つ並べる、と決まっていた。娘さんに「パパは、こうするのが好きなの」と言われた私は、直々に指導を受け、それを忠実に守っていた。ベルガーさんのお世話といえば、ベッドを整えるのにとにかく時間がかかった。

 ほかにも、必ずソファーに座って足をのせて靴下をはかせるとか、朝食前には必ずクシで髭をとかすとか、細かい決まりがいくつもあり、守られないとベルガーさんは不満だった。私ははいはいとやってあげていたので、決まりはすべて暗記していた。が、新しい人が来て違うことをやろうとすると、ふだんは温厚なベルガーさんが珍しく文句を言う。時には「もういい、自分でやる!」と部屋から追い出したこともあったという。
 

若さの秘訣


 毎朝ぴしっと糊のきいたワイシャツにベスト、そして片手にステッキ(杖ではない)。木曜日は体操だからと、朝からジャージに運動靴だった。体操がない日も、廊下でひとりスクワットをしていたし、椅子から立ち上がったり障害物をのりこえたりするのはお手のものだった。

 お散歩にお供すると、いつのまにか庭を何周できるかに挑戦していて、「話しかけないでほしい」と言われた。それで私も話すのをやめ、ひたすら付き合った。確かに、ベルガーさんは数少ない「外出を許可されている入居者」の一人だったから、散歩の付き添いも実は必要なかったのだ。が、女性に手をつないでもらうのは好きだった。

 部屋に賞状やメダルをたくさん飾っていたベルガーさんは、かつて射撃の名人だったそうな。棚には分厚いファイルがあり、過去のメダルの数々がファイルポケットにきちんと整理されていた。ぽつぽつと穴が開いた紙の的を見せ、ここまで見事に命中することは滅多にないよ!と指さしながら熱く語っていた。少なくとも10回はこの話を聞いたと思うが、私は毎回まるで初めて聞いたかのように感心していた。

 若い頃は、ブラジルでビジネスをしていたそうだ。大きい工場をひとりで仕切っていたという。アルゼンチンにも数年滞在した。

 もっと若い頃の話となると、今度はアルプス山脈のカレンダーを見せ、どこだかわかるかと聞き、生まれた村の話を聞かせてくれた。彼の生家が偶然、そのカレンダーの写真に写っているそうで、この家に住んでいた、この隣には叔父がいた、という話もくりかえし聞いた。

 けれどベルガーさんの興奮した話しぶりがあまりに愛らしいので、私もつい調子を合わせて、初めて聞いたかのように反応してしまう。彼の口調は独特でつい真似したくなるし、私に絵の才能があったなら、絶対にベルガーさんの似顔絵を描いただろうと思わせる、まるで仙人のような細い目、広いおでこにあのお髭。
 お部屋に入って「あれ?ベルガーさんがいない」と思ってベランダに行くと、必ず椅子に座って静かに日向ぼっこをしているのだった。
 
 壁には愛妻の写真もあり、娘さん同様ふくよかな女性だった。奥様もかなり長生きされたようだし、写真の様子からは非常に仲の良い夫婦に見えた。
 それなのにベルガーさんは、握手をすると「おお~きれいな手をしておるのぉ」と言って手の甲にキスしたり腕まで撫でてきたりするし、部屋を出ようとするとハグしたがるし(若者同士では普通にするが、入居者さんでする人はまずいない)、ベッドに入った彼に挨拶して出ようとすると「一緒に寝るか?」と言って布団を広げてきた。それがセクハラだと感じなかったのは、ひとえにその言い方がユーモラスだったからだ。

 昔のことをしんみり語るかと思えば、孫に教えるように説明してくれたこともあった。それでも私の中では、やっぱりかわいらしくてお茶目というのがベルガーさんのイメージなのだ。
 

100歳の誕生日パーティー


 そんなベルガーさんが、とうとう100歳になった。当時レク担当だった女性は、世界中のダンスを披露してお祝いしましょうと提案してきた。

 私たち職員のうち、生粋のスイス人は1割ほど。あとは全員、スイスで生まれ育った外国人か、片親が外国人か、ドイツ人か(ドイツ人は外国人に入らないと思うが、スイス人は区別したがる)、または移民(私を含む)だ。職員の国籍は多岐にわたるので、世界のダンスパーティーも可能なのである。
 とはいえ、全員が喜んで祖国のダンスを披露する・・・という運びにはもちろんならない。ボランティアを募った(特別手当が出るわけでもない)ところ、二人の手が挙がった。踊るのが大好きというスロバキア人女性と、日本人の私。

 レク担当のメキシコ人女性によるフラメンコに似たダンスと、スロバキア民族のフォークダンス、そして盆踊りという、豪華プログラムになった。ベルガーさんは大いに喜び、写真をとりまくった。
 かくして、派手な衣装のメキシコ人、セクシーなスロバキア人の隣に紺色の浴衣姿の私、そしてベルガーさんという不思議な写真が、その後お部屋に掲げられることになった。(後編へつづく)

おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。

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