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スイスで介護ヘルパー!その4「ジャワ島で生まれたコスさんの日常ルーティーン(後編)」#入居者さんの思い出

(前編からの続き)


コスさんの日課

 そんな中、業を煮やした娘さんが、スケジュール表なるものを送ってきた。毎週月曜日から日曜日まで、起床やらコーラスやら食事やら、ご丁寧に分刻みでエクセルに入っている。しかも曜日ごとに背景を色分けしてあり、月曜日の部分は赤、火曜日は青・・・といった具合。これを毎週プリントアウトし、スタッフ全員が目を通し、部屋に貼っていつでも見られるようにしてほしい、とのご要望。誰かが「こんなにカラーが入ってたら、インク代がかかるね」とつぶやいた。

 そして、そのスケジュールが守られることはほとんどなかった。コスさんは人に指図されるのを嫌ったし、娘さんが言うほどアクティブでもなかった。おそらく若い頃はそうだったのだろう。
 しかし今となっては、食事とわずかなイベント参加以外、ひたすらテレビの前に座っている・・・。

 テレビっ子だけではなかったコスさんの素顔

 それでも娘さんの要望以来、私がコスさんを見る目を変えたのは事実である。

 たとえば、コスさんは実は音楽好きであった。当時、かろうじて残っていたイベントのひとつがコーラス。コスさんはいつも楽しみにしていて、次はいつ、どこであるのか、連れていってもらえるのかとくり返し聞いてきた。やがてお部屋で着替えを手伝っている時に、歌を聞かせてくれるようになった。クリームを塗ってあげながら、きよしこの夜を一緒に歌った。ただし、コスさんは音程がかなり外れていた。若い頃はきっとお上手だったのだろう。


 さらにコスさんは、私たち職員が携帯している電話機の、ナースコールを真似するようになった。どこかの部屋からコールがチリリン、と鳴るたび、高い声で「トゥルルン!」と真似をする。そんなことをする人はだれもいないので、面白いなあと思った私は、ますますコスさんに興味を持ち、よく話すようになった。

 コスさんは、母親がオランダ人だそうだ。とはいえ、かなり小柄なので、オランダ人は世界一身長が高い国民じゃなかったっけ?とは思った。が、コスさんはオランダ語が話せることが自慢なのだった。私が知っている唯一のオランダ語「ダンキューベル(ありがとう)」を言うと、「え?」と聞き返し、「それを言うなら Dank u wel!」と毎回発音を直してくれた。
 
 朝、担当者を決める際に「〇〇さんと、コスさんとどっちをやりたい?」と聞かれたなら、私は「コスさん!」と答えるようになっていた。コスさんはどちらかといえば頑固で、決してお世話しやすいタイプではない。けれど私にとっては、気楽に話せる入居者さん。服のまま寝たがるコスさんに手を焼いていたが、やがてパジャマに着換えてくれるようになった。奥の手や魔法の言葉があったわけではなく、ただ単にお互いの距離が縮まったのだと思う。
 
 そんなコスさんの決まり文句が、「私はジャワ島で生まれたの!」。コスさんの部屋は暖房が常にオン、窓も閉めきっていて、いつ行ってもサウナのようだった。ご本人も汗をかいていたので、「寝る時は上着を脱ぎましょうよ」「靴下はいて寝るのやめましょうよ」と説得してみるのだが、「私は暑いのが好きなの、ジャワ島で生まれたから!」と得意気に言うのである。お父様のお仕事の都合で、幼少時をインドネシアで過ごしたそうだが、当時の記憶はほとんどないらしい。半分オランダ人だけあって、お肌は色白、みどりの目をしたコスさんから、インドネシアは全く連想できなかった。

 それでも「ジャワ島で生まれたの!」と自慢していたコスさんを、今もあのお部屋の前を通ると、よく思い出す。(おわり)

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 おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。

 


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