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スイスで介護ヘルパー!その6「ジョージと私にしかわからないジョーク(中編)」#入居者さんの思い出


シュミットさんと2人の時間

(前編からの続き)リフトは基本的に、二人で操作するよう言われている。何かあった時に対処できないからだ。それでも立ちリフトは、離陸しない分リスクは少ない。実際私は、シュミットさんのお世話の時にヘルプを呼ばなかった。2人きりでいたから、シュミットさんと私は距離が縮められたと思っている。

 というのは、残念ながら中には、仕事の手は動いているものの同僚同士のおしゃべりに夢中になる人がいて、入居者さんの存在はほとんど忘れられている(当然、話の輪に入っていない)ということがしばしばあるからなのだ。
 

シュミットさんの若かりし頃


 部屋には数々の思い出の写真が飾ってあり、私は手が空くとそれを眺めていた。「これ、ジョージのお子さんたちですよね?」?」(ジョージと呼び捨てしておきながら、お互い敬語はくずさなかった。かなりおかしな会話ではある)。
 シュミットさんはそう!と言ってから、ため息をついた「私だってね、若い頃はあなたのように痩せてたの!」(こんなくだけた口調で書いてしまったが、実際はシュミットさんも私に三人称で話していた。ただ彼女のセリフも日本語のですます調で書くと、どうも違うという気がするので、こうさせていただく)。

 確かに写真のシュミットさんは、ほっそりしていて別人のようだ。車椅子の生活で運動量が少なくなったからだろうと思ったが、彼女の考えは違った「あなたイライラしたりする?イライラしてると、太らないのよね」。
「いや、いっつもイライラしてます!娘のこととか。ああ、だから太らないのかな?」私の場合は、やせ家系だからなのだが。とりあえず、そう答えた。

 写真の中でシュミットさんは子どもたちに囲まれ、可憐にたたずんでいる。今はキャハハと笑う彼女が、かつては日々の生活の中で神経をすり減らしていたというのは、なんだか不思議な気がした。 
 

こんな義母だったなら!


 当時、私はある男性と交際していた。私のプライベートに関心を持って質問してくる入居者さんは殆どいないので、聞かれるがままに答え、話していた。彼の職業がパン職人であること、最近、喧嘩が多いことなど。
 そして私は聞いた「ジョージは、旦那さんとうまくやってますか?喧嘩とかないですか?」。
「まあね。喧嘩にはならないねえ」
「へえ。いいですね!ジョージは旦那さんのこと、なんて呼んでるんですか?」
「ヴァルティ」。お名前はヴァルターというのだが、スイス人は「~ちゃん」などの親しみを込める時によく語尾をイ行にしたり、~リを付けたりする(ミュースリも、ムースから派生した語)。つまり、ヴァルちゃん、みたいな感じだろうか。「わあ~いいなあ。仲いいですね!」と感激する私に、悲しい目つきのまま、口元だけで笑い返していたシュミットさん。

 会うと、「彼氏は?元気?」なんて聞いてくるくせに、ある日突然「あなたは、うちの息子にいいかもね!」なんて発言まで飛び出した「息子と同い年だから」。シュミットさんは半身不随のため入居したが、実はほかのみなさんに比べて格段に若い、80代前半だったのだ。
「え?でも息子さん、結婚してるんですよね?」・・・要するに、よく考えもせずに発した、適当な思いつきなのだった。とはいえ実際、義母に苦労して離婚した身としては、ジョージのような義母だったらどんなに良かったろう!とは思ったのである。

私たち2人だけに通じたジョーク


 シュミットさんの旦那さんは、ご近所に住んでいた。毎日通ってきては、お昼を一緒に食べ、しばらくお部屋でお話して、また帰っていく。だからお昼は食堂で、そして夜は小さいテーブルで食べていた。小さいテーブルというのは、食堂の奥まったところ、テレビのある共同スペースよりも手前に置かれたテーブルで、午後はレクレーションやおやつに利用されている。が、食事中は介助の必要な入居者さんが集まるテーブルだ。夜はシュミットさんもそこにいた。

 食事はひとりでできるのに、何故か。ゲップをするからである(ということは、旦那さんがいる時は人前でゲップしなかったということだ!)。そして私が小さいテーブルで食事介助を担当する時は、よくシュミットさんと話していた。

 はじめの頃はなかなか打ち解けてくれず、私が苦労して料理についてなどの質問をしてみたところで、なんだかつまらなそうな顔をしていた。が、打ち解けてからは、2人にしか通じないジョークを言っては笑い合っていた。
 
 それは例えば、こんな話。シュミットさんがある時、トイレから立ち上がったら、そこには立派な便が鎮座していた。普通は匂いや表情、仕草などでもよおしたことがわかる。または正直に申告してくれる人もいる。それで、こちらもおしりふきを取ってきたり手袋をはめたりして準備するのだ。が、シュミットさんはその時、涼しい顔をしていた(かつ私は嗅覚がにぶい)。

 だから思わず「わあ!何ですかジョージ、大きなサプライズじゃないですか!」と言ってしまった。それが、シュミットさんの笑いのツボにはまったらしい。
 以来、何の脈絡もなく「サプライズ!」と言っては、キャハハと笑うのだった。

 または、こんな話。申し訳ないが、またまたゲップの話に戻る。実は私の元夫(イタリア人)はゲップを極端に嫌い、家の中でもゲップを許さなかった。人前ではゲップするな、するならトイレに行ってしろと言うのである。
 私は我慢していたが、娘はまだ小さく、ゲップをうまく抑えられない。で、ひとつ出てしまうと夫は怒り狂い、食事中だろうが何だろうが「トイレに行けー!!」と叫ぶ(これが原因で離婚したわけではないが、まあ当時は何もかもが異常だった)。
 この話をシュミットさんにしたところ、やたらとうけてしまったのだ。私の顔を見れば「トイレに行け!」と言ってキャハハと笑う。もちろん、自分がゲップした後も。ことの詳細は私たち2人しか知らないから、私の耳にこっそり「トイレに行け」と言ったりする。私にしてみれば当時は修羅場だったのに、シュミットさんにはただのギャグなのだった。
 
 いや本当に、シュミットさんはいたずらっ子のようだった。太陽が顔を出すと、「お日さま照ってる」という歌を無邪気に歌っていた。それを聞きながら、一体ここに来る前はどんな女性だったのだろうと考えたが、どうしてもジョージのイメージをくずすことはできなかった。(後編へ続く)


 おことわり。本文に出てくる人物名は架空のものです。プライバシー保護のため、内容も部分的にフィクションを加えてあります。


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