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人生休憩明け記録-13-『嫌われる怖さではなく、普通からはみ出すのが怖かったあの頃。』


毎年この時期は、
車無理。焼ける。
無理、暑い。
(エアコンのある部屋で)涼しい最高幸せ。
を何百回何千回と言っている気がする。

この週末は、家族でプールに行き、ホテルに泊まった。
プールで2時間ほどぷかぷか浮いたり泳いだり、娘は大はしゃぎ。夏の醍醐味といえば娘にとってはプールだろう。
そんなはしゃぐ様子を見て、私たち夫婦はそれだけで嬉しい気持ちでいっぱいだった。

その帰りに、お腹が空き、コンビニがなくマクドナルドが見えたので看板に誘われて、立ち寄る。

ナゲットとポテトを注文して、車で食べる。
揚げたてのホクホクのポテト、ナゲットも揚げたてのサクサクジュワ〜。3人揃って、「なにこれ。うまー!最高!プールの後はマックだー」と大はしゃぎ。

そこから寝るまで、私たちはマック最高だったね。プールの後に食べるポテトとナゲットは格別。運動後のポカリ、温泉後の牛乳。そしてプール後のマック!と3人で永遠と話していた。

その話す時間がなんとも楽しかった。
誰かと美味しいや好きや楽しいを共有するのはなぜこんなに幸せなのだろうか。

高いお金を払って何かを得るのも良いかもしれないが、私はあの時のあれはこうだった。最高だった。面白かったと、何年たっても色褪せない、共有できる思い出を作る方が良いなと思った。

自分がもし明日死ぬとなれば、娘と夫と手を繋ぎ、プールの後のナゲットとポテトあの時美味しかったよねなんて。

最近自分は人生の最後をどう過ごしたいか。晩年をどうありたいか考えるようになった。
家族や自分に恥じない生き方をしたい。

だからこそ。自分に正直に生きたいし、小さな成功体験を積み重ね自信を持ちたい。

31歳にしてやっと、気づいた。
娘のおかげで、自分に優しくすることの大切さや何気ない日常がいかに幸せか、そして家族っていいなとたくさんのことを教えてもらっている。

10代の頃なにもない自分を恥じた。
本当は中身のないなにも取り柄のない自分を知られたくなくて、あまり友達と深く関わらないようにしていた。

それでも親友と呼べる友人はいた。
こんな私とつるんでくれる友人もいた。
私は幸せな人だとつくづく思う。

昔、友人からよく言われたこと。
周りに気を遣いすぎていると。

私は気を遣っているのではなく、普通からはみ出すのが怖かった。

学校が楽しくなくても、楽しいと。勉強が好きではなくても好きと言ってみたり、
自分は昔からやっぱりどこか変で、当時はADHDのことも知らなかったが、どこかいきづらさを感じていて、おかしいと思われたくなかったのかもしれない。

何者かになりたかった。
何か一つ夢中になれる自慢できる取り柄が欲しかった。

あの頃の自分に会いに行けるとすれば、
私は、そっと抱きしめてあげたい。自信を持って、好きなことをしていいし、嫌いなことはやらなくていい。と伝えたい。

…あの頃の自分がいるからこそ、今の自分がある。過去に戻りたいとは思わない。
だって何でも話せる夫と娘がいる。そして、30代になっても変わらず大切な友人がいる。それだけで胸が張れる。

そして何歳からでもチャレンジはできる。

楽しく歳を重ねていこう。おー!

⭐︎備忘録Photo⭐︎

季節ごとにいろんなフルーツが食べられるのって幸せ。
フラミンゴの赤ちゃんって色が違うのね。
アライグマのりんごを食す姿に10分くらい見惚れていた。
夏は揚げ浸しが美味しい。1週間に一回は作っている。
ビールには、空芯菜炒めと餃子。


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