自分に合わない靴で、20年も歩いていた

長尾剛
「手にとるようにユング心理学がわかる本」 かんき出版 2008年
https://books.rakuten.co.jp/rb/5248256/

この本では、MBTIの祖先、ユング心理学における8タイプの説明がある。

その中で内向的直観タイプにこんなことが書いてある。
『このタイプは、他人と交わるのがとても難しいので、ふだんは「補助機能」の力を借り、少なからず無理をして社会生活を営んでいます。』

心当たり、大ありです。
私自身、自己判断だけれどもINFJだとして、
20歳のときの経験をきっかけに、初めて内向的直観を使いだしたような気がします。

私の場合、幼い頃から無意識に主機能(内向的直観)を使っていたわけではなく、
ずっと、主機能を封じながら(←自覚ゼロ)、周りや世間一般の正しさを信じて、その通りにやっていたんだと思います。

親や祖父母、学校のシステム、先生の話、世間一般の常識·····
私は、大学に進学して外の世界を知るまで、本当に、親、先生、周りの人の価値観が正しいと思ってました。

特に、私の親や祖父母は、気遣い至上主義(?)なところがあって、
周囲の人(つまり母たち自身の)需要を暗黙のうちに汲み取って、的確に行動することが「正解」でした。
私は下手くそでした。
けれどそれで私は、自分の考えや行動は間違いだらけだと、ずっと思い込んでいたんです。

それはつまり、自分の感覚を全く信じてこなかった、ということで、、、

そんな私が、初めて自分の考えを、信念を持って信じたのは、大学生のときでした。
どんなにどんなに考えても、周りの人の行動が正しいとは思えなくて…
その結果、うつ状態(の中でも適応障害だと思う)になって、どん底を知り、絶望して、死ぬまで消えないトラウマを作ったけれど、

ただただ、自分を否定して周りを信じようとする自分を自覚できたのは、良かったことだと思います。

気づいたきっかけは、うつのどん底状態のときに話を聞いてもらっていた人が、
「いやぁ、そこまで深く考えてないんじゃない?」
って、当たり前みたいに言ったことです。
初めてそのことに気づいた時、私は本当に失望したんです。

正直、今でも、かつて信じていたものこそが自分を苦しめていた元凶だと思うと、裏切られた気分になります。
だって、そういうものこそ、私の周りや世間一般に蔓延っている価値観だもの。


でもやっぱり、直観を使って生活する方がずっと楽。

今年から、新しい環境で仕事を覚え始めていて、
生まれて初めて言われたんです。
「覚えるのが早い」って。
大学でやっていたバイトでは、1年以上経って初めて、動けるようになったって言われました。
それまでも、要領が悪いとか、何回やっても覚えないとかはもう散々言われてきました。

INFJが内向的直観を使ったら、こんなにも楽なんだって思いました。
具体的には、「なぜこれをするのか」を意識して理解したかな。あとは、周りの人の言葉を鵜呑みにしないこと。必ず自分に当てはめて取捨選択しました。
私にとっては、点の羅列を覚えるのではなく、点と点を線で結んで形を作って覚えるほうが、理解が早かったんです。

親や先生、学校やバイト先、
誰もどこでも、点の羅列を与えるだけで、それを結ぶことまで教えなかった。
初めて触れたのは、大学の学問だったなぁ。


一方で、家族との生活はしんどくなりました。
これはもう、確実に。
家で主権を握っているのはSタイプだから、
本当に誤解されるし、馬鹿にもされるし、できないやつ判定もされる。
どうやら私は、親たちから何も考えてない風に思われているみたい。
私からすれば、親たちもそうみえるのだけど。

よく、母や祖母は諭すように言う。
「学校のお勉強なんて、社会で役に立つとは限らない」って。
確かに、私もそう思います。
だけど同様に、家族に教えられたことの多くも、
私には役に立たなかった、
自分には合わなかった。

どうやって折り合いをつけるのか、まだ悩み中です。未だに親たちは、私を自分たちの思う「正解」に嵌めようとするので、、、
もしかしたら、また別のnoteに吐き出すかも。

かつての私は、親たちに与えられた靴を、窮屈だとすら考えなかった、
何も知らないままの方が、家族を疑うこともなくて幸せだったかもしれない。

でも、
私はもう、知らなかった頃には戻れない。
自分に合う方法は自分で見つけられるようになったから、

だからどうか、ひとつの在り方として尊重してほしい。

S(感覚)とN(直観)、お互い共感できなくても、せめて理解し合って、一線を引きながら尊重し合いたい、
そう思う今日この頃です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?