「恩返し」

これは、私が受けた就活の二次(最終)面接での出来事。

「他者への奉仕を大切にしているのは分かった。逆に、恩返しについては、どう思っているのか。」

細かい文脈は違うかもしれない。けれど大まかな趣旨はこんな感じの質問だった。

提出したエントリーシートでは、確かに、状況を読んで適切に行動できること、他者への奉仕ができることなどを書いていた。当時は、性格診断のMBTIや性格タイプのINFJを知る前だったけれど、我ながら、自己分析の内容に大きな相違はなかったと思う。

恩返し、と言われて、私はフリーズしてしまった。
面接官の質問の意図が読めなくて、何を答えたらいいのか、すぐには判断できなかった。

とはいえ、黙っている訳にはいかないので、とりあえずひたすら高速思考する。

「もしかしたら、私の経験の中で、自分で気づいていない、周囲からの恩があるんじゃないか、と指摘されているのか。」
「文脈的に、サークルの話のはず。サークルの中で何か心当たりはあるだろうか。」
(サークルのために、見返りも求めずに貢献しまくった記憶ばかり浮かぶ。)
「自分の認識では、どちらかというと貢献する側だったんだけど。ここでもそういう話をしているし。」
「何かしてもらったっけ…?記憶に浮かばないなぁ。」
「むしろ仇で返された記憶なら、いくらでも蘇ってくるけどなぁ。」
「浅慮な人間の集団の中で1年以上も我慢したし、心身が限界を迎えて、絶望のどん底まで追い込まれた状態で責務を全うしたし。」
「私としては、『あんなサークル』見捨てても良かった、というか保身のためにそうすべきだった所を、最後まで見捨てずに(自分を捨てながら)付き合ったんだけど。」

これ以上は負のループにハマるので一旦打ち止め。
どんなに思い返しても、貸しと仇にまみれていることしか分からなかった。

けれど、
私は「他人に期待しない」ようにして生きている。
私の他者貢献は、それがベストだからという理由で、いつもこっそりやってる。そして、例え気づかれなくても、お礼なんかなくても、自分の居心地が良くなったのなら、それで満足する。
だって、お返しをもらえて当然だと思っていたら、もらえなかった時に、相手に失望するから。
仇についても同じ。本当は、浅慮がいかに罪深いかくらいは思い知ってほしいけど、そういうのって、最終的には相手次第。私にコントロールできることじゃない。私に出来るのはアプローチくらい。
だから、期待しない。
私からすれば、他者へ貢献した分だけ、自分の居心地が良くなる、それだけで収支を合わせる。
そのように心をコントロールしている。

そんなこと、面接で言う訳にもいかず。
実際は、どうしたのだったか。よく覚えていないから、適当に当たり障りのないことを返して会話を終わらせたのだろう。これ以上思い出したくなかったし。
地雷に抵触したことや、せっかくコントロールした心が崩されかけたのもあり、自分で忘却の彼方へと葬り去ってしまったらしい。
もし当時の面接官の方が読んでいらっしゃったら、本当に申し訳ないです。

それから約1ヶ月あとくらい、ちょっとした出来事で、「恩返し」について想起することがあった。

後任の後輩と、事務的な引き継ぎ手続きをする用事で会って、用を済ませた後になって、その子からお菓子をもらったのだ。

自分のことには鈍感な私だから、どうしてお菓子をくれたのか分からず、後輩も、最後まで理由は教えてくれなかった。だからその場では、たっぷりお礼を言ったうえで別れた。

帰ってから、心当たりを探す。
何かのお詫びか、お礼の品だろうか。
一応、自分が気にしていなかっただけで、両方とも心当たりはある。
どちらにしても、何かしらのお返しがもらえるなんで思っていなかった。もらえなくったって、別にいいと思っていた。

だからこそ、
こんな風にお返しをいただけることは、本当に望外の喜びだった。
本当の真相はわからないけれど、もしそうだとしたら、2倍も3倍も嬉しかった。

恩返しを期待しないのは、人生を賢く楽に生きるコツだという考えに変わりはないけれど、
お返しをもらえることがこんなに嬉しいことなら、周りの人にも、積極的にしていきたい。

人にされて嫌なことは他人にもしない、
人にされて嬉しかったことを他人にもしていく。

これは、健全な人間関係を築くための、ゴールデンルールだもの。

ちょっとした後輩の行動から、こんなにも気付かされることがあった。周囲の人の行動から教訓を得るのに、年齢や立場って、関係ないのだなぁ。

これはそんな、日常風景から得た教訓の備忘録。
これが、たとえ1人でも、誰かの心に響くとしたら、これ以上嬉しいことはない。

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