はしのはなし ─意外と身近な明治の橋─
橋って色々な形のものがありますね。アーチとか吊橋とか。それぞれ橋の形には理由があって面白いのですが、今回は一番シンプルな『桁橋』の話です。それも100年以上前の桁橋が意外と近所にあるかもよ?というお話。
桁橋についてのお話
そもそも桁橋って何よ?
桁橋というのは橋桁だけで荷重を支えるものをいい、例えば川に丸太を渡せば桁橋となるわけで人類が始めて発明した橋と言えます。一方で経済性が高く使い勝手がいいことから素材や作り方を進化させて今でも私達の生活を支えてくれるとても偉大な橋でもあります。家から一番近い橋が桁橋だという方も多いかもしれませんね。
日本初の標準設計の桁橋
その進化の途上で通称『ポーナル桁 (※1)』と呼ばれる錬鉄や鋼鉄製の桁橋達が生まれます。明治時代、日本は近代化の柱として外国人の力を借りながら鉄道の敷設を進めていました。イギリス人技術者チャールズ・ポーナルもその一人で、明治15年(1882年)から29年(1896年)の間日本に滞在し数々の橋の設計や技術者の育成に携わりました。その功績の一つに桁橋の標準設計があります。主に1スパン(橋脚と橋脚の間の距離)25m未満の橋を桁橋の分担する領域として、その設計を共通化させ効率的な橋づくりを実現するというものでした。そこで生まれたのが当時のイギリスの桁橋を雛形にポーナルが設計した桁橋です。これが後にポーナル桁と呼ばれるようになりました。
イギリス式からアメリカ式への転換
ポーナルはじめイギリス式の鉄道技術の導入には幕末にイギリス留学をしていた当時の鉄道庁長官 井上勝の影響もあったようです。ところが明治26年(1893年)、アメリカ留学派の松本荘一郎が井上に替わり長官となって以降橋梁の設計でもアメリカ人技術者ワデルが指導をするようになるなどアメリカの影響が大きくなりました。桁橋をはじめ様々な橋の設計思想がアメリカ式のものへと置き換わり、ポーナル桁は淘汰されていきます。
ポーナル桁の特徴
ポーナル桁の特徴としては桁の外側を縦に走る『スティフナー』と呼ばれる補強部材の取り付け方です。後年のアメリカ式桁橋(※2)では桁の上下端に突き当たった所でスティフナーが切られていますが、ポーナル桁の場合は端に行ったあとで曲げて上下の部材にリベットで結合させています。
この設計の意図は調べきれていないのですが、明治35年(1902)以降に標準化したアメリカ式の桁橋は製造が容易となったという資料も存在する為、後から見ればやや合理性に欠ける設計だったのかもしれません。一方で現在私たちが橋を見る時には、この部分に注意して見れば橋の生まれた年代を推測できる大変ありがたい特徴ともなっています。一部私鉄では明治40年代まで作られていたようですが、以降は作られていないとされる為、コの字型スティフナーを持つ橋は基本的に100年以上前の橋というわけですね。
意外な所にあるポーナル桁
そんな歴史的に大きな意味を持つポーナル桁ですが、意外と私達の生活の傍にもあったりします。基本的に鉄橋や鋼橋は桁部分を橋脚から取り外して移動できるため再利用が可能です。ポーナル桁の場合も鉄道車輌の重量化などの理由で橋が更新されたとしても、桁に大きな問題がない場合は破棄されず様々な場所で転用され第2第3の橋生を過ごしていることが多々あります。百年経っても健康というのはすごいですね。
鉄道橋としての転用
一番オーソドックスな転用の形と言えます。私鉄などに払い下げられるなどして昭和時代開業の路線にも何食わぬ顔で架かっていたりします。
道路橋としての転用
幅員を車道に合わせるために大手術を施されていますが自動車の往来にも耐えて頑張っています。意外と都内にも隠れていますよ。
人道橋としての転用
元々鉄道を支える橋なので人道橋としては非常に頼もしいですね。実際に触れながらじっくりと見られるので非常に嬉しい転用の形でもあります。駅構内の跨線橋という形でも転用されるケースもあります。
鉄道と関係なさそうな場所での転用
上の写真で気付いた方も居るかもしれませんが、ポーナル桁はその性格上基本的に鉄道に関連する橋梁として転用されることが多いです。ただ稀に鉄道の面影のない場所にも転用されることもあります。下の写真は鉄道が影も形もないダムにあるポーナル桁です。当時の工事誌を読むと戦後に幾つかのダム工事に使われてきた中古の桁をコンクリート運搬線の敷設の為に持ってきた記録が残っているので、それが今でも現役で残っていることになります。橋に歴史ありですね。
探そう、ポーナル桁!
このように意外と身近なところにポーナル桁が隠れていることが伝わったでしょうか?ポーナル桁は数も多く、全てが正式な土木遺産や文化財として登録されているわけではありません。しかし間違いなく日本の近代化を支えてきた貴重な土木遺産のひとつであり、近現代の日本の歴史を語る生き証人です。という難しい話は抜きにしても百歳越えの橋探しというのはお出かけの時のちょっとした宝探しにもなって楽しいですよ。
皆さんもポーナル桁を探してみませんか?
いや、みんな探して。
参考文献と注釈
参考文献
・『鉄道考古学を歩く』 浅野明彦
・『橋を透して見た風景』 紅林章央
・『鉄道の「鉄」学』 松山晋作
・『明治期における我が国の鉄道用プレートガーダーについて ─概説』
西野保行 小西純一 中川浩一
・『ポーナル桁を転用した鉄道こ線道路橋の形態について』
贄田秀世 大井晴夫 鈴木博人
・『北日本年鑑 1962年版』 北日本新聞社
・『湯田ダム工事誌 1965』 東北地方建設局湯田ダム工事事務所
・『歴史的鋼橋検索 向野跨線道路橋』
注釈
※1:『作錬式(鉄道作業局錬鉄式)』という呼称もありますが、ポーナル設計を基にした明治時代製造の桁橋には鋼鉄製のものも存在しており、本記事で紹介する桁橋の中にも鋼鉄製桁が存在すると思われることからより包括的な『ポーナル桁』の通称を使わせていただきます。
※2:米国式の他にも一部輸入桁にはドイツ製のものもありますが、スティフナーの処理は米国式同様真っすぐです。
※3:昭和5年開通当時は道路橋として利用。2002年より人道橋となる。
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