見出し画像

トーキョー観察記(2)雑踏と楽しさの、絶妙な関係

 東京に来て、私は街を歩いてばかりいた。歩くことは単純に楽しかった。歩行は血行を良くし、思考を円滑にする。大体ラジオか、長めのポッドキャストを聴きながら歩いた。

 街を歩けば、変わりゆく風景をゆっくりと眺めることが出来る。気が向いたときに立ち止まって、街の細部を眺め、気になった店をのぞいたりする。見どころの少ない住宅街では、思索にふける。こういう時に良いアイデアが浮かんだりする。街歩きには、複数の本を同時に、あちらこちらへつまみ読みするような楽しさがあった。疲れたらどこかのカフェにでも入り、脚を休めながら本を読む。散策、ラジオ、思索、読書、コーヒー。私にとってはこれだけで至上の娯楽だった。

 なぜいつも歩いていたのか。私の根本には、雑踏への恋しさがあったのだと思う。

 勿論、人のいない街を歩く楽しみというのもあった。それでも東京の場合の「人がいない街」はあくまで、街がひと時休憩している、それだけの時間であって、常に人の気配、鳴りやまない微かな心拍のようなものが聞こえていた。だから、能代や弘前の寂れた通りを歩く時の、死にたくなる様な淋しさを感じることは、ほとんど無かった。

 ある時、私は「雑踏」と「楽しさ」の関係について、ある図式を思いついた。それはこうだ。雑踏が増していくにしたがって、ある段階までは「楽しさ」も正比例して増していく。しかし、ある段階でその「楽しさ」の増加は頭打ちになる。そこからは、雑踏が増加するにしたがい、今度は「不快感」が増していき、どこかの時点で「楽しさ」を上回る。だから、街にはその規模に応じた「最適な混み具合」が存在するのだと思った。

画像1

 この図式に当てはめた時、東京でもいくつかの街が、楽しさのスイートスポット、「最適な混み具合」を見せていると思った。個人的な印象だけれど、思いつく筆頭は吉祥寺。続いて立川、高円寺、中野、下北沢、などなど。これらの街は、いつ行っても賑わいが楽しいけれど、混みすぎて不快になる事はそれほど無かった。

 街全体でのバランスという側面もある。たとえば中野の場合、JR中野駅からサンモールのあたりは結構混雑するが、中野サンプラザ周辺に広い空間があり、そこから明治大学方面に行くと区立公園があり、雑踏のガスがうまく抜ける感覚があった。これが全てのエリアで混雑していれば、印象はかなり違ってくる。

 一方、人口過密地帯である新宿、池袋、渋谷あたりは、踏み込む前に一瞬気合を入れるような「圧のある雑踏」を感じた。この感覚を弘前の人に伝えるとすれば、真冬の暖かい室内から、屋外の猛吹雪に踏み出すときの、覚悟を決めて乗り込む感じ、とでも言うべきだろうか。ちょっと気力、体力がないと乗り込めない感じがあった。

 この図式を、私はさらに四分割してみた。左から順に、①のエリアは「人が少なくて寂しい街」、②は「落ち着いて過ごせる人数の街」、③は「ちょうどよく混んでて楽しい街」、④は「混みすぎてて、ちょっと圧を感じる街」。

画像2

 ①の「人が少なくて寂しい街」には、私の故郷を含む多くの地方都市が入ってくると思う。より具体的には、政令指定都市よりは小さい街がほとんどで、ただし人口が少なくても意外と賑わい・人の熱を感じる街もあれば、県庁所在地なのに妙に冷めた感じの街もある。とりあえずおおざっぱな分類だけれど、東京でこの種の寂しさ、あるいは停滞感を感じさせる街には、私が行けた範囲では踏み入れなかった(別の意味で寒々しい街は有ったが)。

 ②の「落ち着いて過ごせる人数の街」は、東京の中央線沿いでいけば、三鷹より以西、国立あたりまでが思い浮かぶ。映画館や大きいライブハウスは無いけれど、歩行範囲内でほとんどの買い物が出来て、図書館や古本屋、古着屋、カフェなどにも事足りず、都心より敷地が有利なので広めの大学があったりもする。基本、公共交通も含めて「歩いて暮らせる街」として作られているので、「生活しやすい街」という印象である。私が住んでいたJR国分寺駅エリアも、この「落ち着いて過ごせる人数の街」に入れていいと思う。

 そして先に触れた、③の「ちょうどよく混んでて楽しい街」、たとえば吉祥寺、下北沢、高円寺、立川などの街は、細かい差はあるけれど、映画館、小劇場やライブハウス、そして巡り切れないくらいの飲食店・古着屋・雑貨屋があって、コロナ前であれば、いつ行っても路上パフォーマーがどこかで腕を磨いていた。そうした街を、物理的な窮屈さにまで至らない程度の沢山の人々が、それぞれの歩幅で歩いたり、話したり、何かしたり、しなかったりしている。例えればそれは「住むことのできる学園祭」みたいな感覚だった。

 ④の「混みすぎてて、ちょっと圧を感じる街」になると、それが数倍に膨れ上がり、市場経済のパイの奪い合いの中に身を投じる感覚になる。群衆と騒音と視覚刺激の世界。そこに居るだけでエネルギーを消費する、そんな「満載と乱雑」の空間が、しかし不思議と気晴らしになる時がある。仕事でヘトヘトに疲れて、でもそのまま家に帰るのが物足りない時。意味も無く立ち飲み屋へ赴き、軽食と一杯のビールでタラタラ文庫本を数頁めくる。ビールが空になったら、わざと最寄り駅には行かず一駅二駅ぐらい散歩する。途中で電気量販店(●ドバシあるいはビッ●)に入り、買いもしないノートPCなんぞを眺める。一日の疲労の紛らわし。別の刺激による、疲労の麻酔行為。孤独な祝祭。焚火を囲む狩猟時代の夜の遠い記憶を、追い求めてたどり着けない、ジャンクな群衆の浮遊。そんな感覚が、なぜか今でもたまに愛おしくなる。

 東京の街のさまざまな表情を見るにつけ、私はいつも、私の育ってきた街 ・・・能代や鷹巣、そして弘前の事も、同時に思い出していた。その殆どは、主に昭和終盤から始まった社会構造的な人口減少により、「かつての盛り上がりを失った、寂しい街」として存在していた。昭和を知らず、平成に育った人間が地方都市で吸ってきた空気は、数十年かけて確実に消滅・破綻へと向かう街の、緩やかな絶望の空気だった。その中で、「この街で生きていく」ことに、希望を失わずに居続けることは、非常に難しかった。

 故郷は、緩やかに、確実に消滅する。それと同時進行で、故郷と分かちがたく存在している自分の心も、緩やかに、確実に削られていく。そんな慢性的な苦しい気持ちを、ずっと抱きながら私は生きてきたと、振り返ってみて思う。

 だから。賑やかな街を歩くことが、当たり前では無い事を私は良く知っていた。寂しい街しか知らない私が、そんな東京の路上を歩いている事に対する、驚きと、楽しさと、悔しさ。矛盾する思いがないまぜになったまま、この格差は何がもたらしているのかといつも考えていた。私はいつしか、自分の心に言い聞かせていた。「東京は楽しいよ」「お前も来なよ」「刺激があっていいよね」なんて屈託のないことは、絶対に言うまい。複雑さを、屈託を抱えたまま、私は生きて行ってやる、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?