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パラレル教室運営日記15 ー子どもと離れていても、気持ちは一緒にいる・ソーシャルディスタンスと人間関係?
管理者だけどプレイヤー
プレイヤだけど管理者だけど、気持ちはいつも一緒に遊んでいる、という話を書きたい。メモメモ
— いわたつ(あき)@教育学好き・学童放課後支援系 (@hippotatsu) August 20, 2020
この感覚って、面白いけど好きです。
運営する立場で、スタッフにも一緒に働いてもらうんだけど、気持ちは一緒に遊んでいるつもりの、いわたつです。
・コロナだから距離を保たないといけない
・管理者として月末までの事務作業を進めたい
・教室にきてくれた子に「来てくれてありがとう」を心から伝えたい
これら全てのことを、全ていっぺんにかなえようと考えました。
そこで、
・遠くから座ってニヤニヤ?ニッコリしながら見ている
・室内で遊んでいる近くに行って、一緒に作業をしている雰囲気を出す
・「ありがとう」を態度や言葉で言う
という3つのことを実践しました。
・「ありがとう」を態度や言葉で言う
このことについて、最初は書きたいと思います。
ありがとうと思ってなくても言うのと、思っていても言わないのは、一緒。だったら言った方がいい。言う習慣
— いわたつ(あき)@教育学好き・学童放課後支援系 (@hippotatsu) August 20, 2020
が考える習慣になるから。
態度や言葉で言うことは、1番「かんたん」だからです。思っていなくても、態度に出すこともできるし、言葉にすることもできる。
そういう意味で、「かんたん」です。
おいおい、いきなりブラックなこと言うなよ!と思われたかもしれません。
でも、「かんたん」だからこそ、忘れやすいし、続けていくことが大事だと思うのです。
僕は、帰りの受付を済ませて子どもが出ていく時に、
「今日もありがとうね」
と言って帰します。
今のところないですけれど、もしかしたら、
「なんだよ…今日はなんだか態度よくなかったな」
とか思うこともあるかもしれません。僕だってあるし、きっと誰しもそう思うはずです。
それでも、言うのです。
なぜかと言うと、「思ってなくても言えるから」です。
思っていないことを言ったら態度に出ますが、思っていることを言わなくても態度に出ます。つまり、どっちも同じなんですよね。
ただ、思っていないことでも言葉にすることで、習慣にはなってきます。口の習慣が、行動の習慣に、行動の習慣が思考の習慣になってきます。
言霊とかって言ったりするんでしょうけど、こういう現象について、ぜひ論理的に説明したいなあと思っている今日この頃です。
遠くにいながらニヤニヤして見てみる
教員から離れて教育を見たい。とよく聞くけど、やりながらでも少し距離を置いて見ることも可能かもしれない。
— いわたつ(あき)@教育学好き・学童放課後支援系 (@hippotatsu) August 20, 2020
同じ教室の中でも、子どもと物理的に距離をとることは可能。子ども同士が関わっているのを、少し距離をおいたところから眺めておく。
でも、眺めておく、だけではだめ。
見る、だけではなく、ここは「見つめる」だと思います。それも、ニヤニヤしながら。
見つめることは
・子どもの今を見つめる
・子どもの過去を見つめる
・子どもの関係性を見つめる
・子どものこれからを見つめる
離れていながら、少し立ち止まって思いを巡らせてみる、という動き方です。
「ニヤニヤしながら」とは
・子どもの今を評価するでもなく、ただ今の状態を知る
・子どもの過去をいいとも悪いとも思わず淡々と受け止める
・子どもたちの関係性の中の出来事を順番に重ねていく
・子どもたちのこれからを、楽しみな方向に妄想する
ニヤニヤするとき僕は
・あーこれからどうなるんだろうなー楽しみだなー
という意識と
・ふーん、なるほどー、君はそう考えてそう動くんだねー
という発見
の2つを考えています。積極的に評価しない、ということ。
評価すると、優劣がついて、その分感情も変化をします。そうすると、ずっとニヤニヤはできなくなります。
ここでは、ニヤニヤというのが「自分にとって相手のことがわかった嬉しさ」を表現しているので、相手がどうこう、というよりも「自分ベクトルな学び・関わり」なのです。
ただただひたすら、目の前の情報に、「関係性」というフィルターをかけてキャッチしていきます。
近くに行って、近くで一緒に作業をする
居場所を作る上で大事なことは、関心。あなたのことに興味を持っていますよ・関心がありますよ、と適切に伝えること。
— いわたつ(あき)@教育学好き・学童放課後支援系 (@hippotatsu) August 20, 2020
心理的に近くに寄ってくる、物理的に近くに寄ってくる。
答えはそこだけなのかなと。
漫画を読んでいる子がいれば、その近くに寄って、何を話すわけでもなく空間を共有する。
宿題をやっている子がいれば、その子の近くに寄って、ちょっと気にかけるような雰囲気を出しながら、時間を共有する。
ふっと動き出したその子に、
「終わったの?」と聞く。
「うん」とだけ返事が返ってくる。
信頼を築くためのコミュニケーションは、「どれだけ回数を重ねるか」だなんて書いたこともありましたが
それはもちろんそうなんだけど
相手が求めているタイミング、自分が求めたいタイミングでコミュニケーションを重ねなきゃ、逆効果なのは、皆さんも経験からわかると思います。
帰り際に呼び止められて永遠に話をされること、いやですよね。
朝時間がない時に話かけられること、あんまりのりませんよね。
関心を寄せるとは、
ある程度適切なタイミングや、適切な量や、適切な距離感で、関わっていくことだと思うのです。
ここで「一緒に遊ぶ」を考える
ではここで、「一緒に遊ぶこと」と、いわたつ流「遊んでいるのと同じ気持ちになる方法」を比べてみます。
・ありがとうを言う
→こんなおじさんと一緒に遊んでくれてありがとう、いい運動できたわ。という気持ちになる
はい、遊ぶの中と同義です、クリア。
次
・遠くにいながらニヤニヤと見る
→鬼ごっこをしている時、子どもから全力で逃げてニヤニヤしながら、子ども同士のやりとりを見る。ドッヂボールで、大人気なく投げたり、逃げたりしてドヤ顔でニヤニヤしながらこどもの様子を見る。
はい、ほぼ同義。クリア
最後
・子どもと空間や時間を共有する
→遊びは、直接的に空間や時間を共有する行為。近くにいて、そっと話しかけることは、間接的に空間や時間を共有して関わる行為。
もう同じ意味ってことでいい?はい、クリア。
ということで、
管理者として見守りながらも、遊ぶのと同じくらい相手に関心を向けたり時間を共有したりできるんですよ。
と証明したつもり。信じるか信じないかは、あなた次第かもしれません。
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