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先生とくらしのコラム④人生のスタートとゴールは誰が決める?

1 「ありがとう」と「お疲れ様」が交錯する夏休み

子どもたちの夏休みも終わりに近づいてきました。教員と学童の先生を経験した身として、まずは学校の先生に。

学校の先生はいよいよ2学期ですね。夏休みはゆっくり休めましたか?学童と一緒にまた子どもたちとの時間を過ごしていきましょう。学校の中のことは学校の中だけで解決できるかもしれませんが、学童の先生方もいろんなことを考えて日々接しているみたいです。機会があれば5分だけでも話してみると、意外な側面が見えてきたりして。2学期もよろしくお願いします。

と言いたいし、学童の先生には

学童の先生、夏休みの長時間保育、本当にお疲れ様でした。時間割の特に決まってない、子どももきたりこなかったりという環境の中で、「集団をコーディネートして、マネジメントする」というのは、並大抵のことではありません。そんな環境を40日も過ごして来られたことにリスペクトです。一緒に頑張れて嬉しいです、ありがとうございます。

と言いたい。さらにはおうちの人にも。

夏休みの間、もしかしたお家が「毎日の学童と同じ状態」かもしれないと思うと、楽しくもあるし、頑張りすぎたこともあるでしょう。大変だったこともあるかもしれません。そんなときはご自身が「頼れると思う大人」に甘えてください。きっと1ヶ月お疲れ様でした。と言ってくれるはず。言ってもらってくださいね(笑)そういう人がいなかったら、僕が言ってあげる役になります。


2 トッピングじゃなくて素のままを味わいたい

子どもたちの40日は、というと、振り返れば1日はあっという間ですが、スタート地点に立つと「長えな」と思うものでもあります。子どもにとって、見通しを立てることは少し挑戦的なことではあり、大人はそれをさせたがります。もちろんすごく大事なことです。ただ、それは大人の発想でもあるということを、心のどこかで持っていたいと思うんです。

どうしてそんなことを思うのか?その答えは、学童での子どもたちが遊ぶ姿にあります。

遊びをするときに、「どんなふうにしたら楽しい?」「どんなルールは守らせたい?」「遊びを通して何を見につけさせたい?」と、まるで牛丼のトッピングを増やしていくようにあれもこれも、と大人は乗せたがるような気がしていて。

「今は牛丼が食べたいの!そのものが味わいたいの!」

と当然子どもはそんなことは言ってきませんが、僕は時々感じるんです。


3 スタートとゴールは誰が決めるの?遊びも人生も。

子どもの遊びが「自然に始まって、自然に終わる」瞬間って見たことがありますよね?

なんだかうだうだしているけど、気がついたら始まっている。特に小さなグループにするとそんなことが起きます。終わりも自然に。「じゃあもう終わろ」って。

いろんな場合があるから、「大人が仕切って、大人が終わらせる遊びはダメ」ということは全く思いません。ただ僕が言いたいのは

「子どもには自分で決めて、自分で進めて、自分で楽しんで、自分で後始末をする」という力がもうすでにあるんだ、ということ。

「引き出す」って言葉が最近いろいろなところで聞かれます。「引き出す」っていうのは、その人が持っているという前提に立っています。

ぼくは「発揮する」という言葉も好きで、これはその人が持っているけどまだ見たことがない力が出てきた、ということだと。

いずれにしても、子どもと関わるとき

「こんなことを感じさせたい、あんなことを学ばせたい」

と考えることと同じくらい

「子どもってこの時どう感じるかな?」「子どもってこうなったらどうなるかな?」と「子どもが決める」「子どもが動き出す」タイミングを楽しんでいるし、楽しんでほしいし、これからも楽しみたいと思うのでした。

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