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自分の可能性に、いつもオープンでいること

「自分の可能性の芽を摘んでしまっているのは、いつだって自分自身かもしれない」と、感じることが多いです。これは、自分自身を振り返って気付いたことでもありますし、他人の姿を見ていて感じることでもあります。

人のことはさておき、僕自身が毎日自分に向かって「自分の可能性に、いつもオープンでいよう」「自分で自分の道を閉ざしていない?」と、じっくり心の声に耳を傾けることにしています。

誰かの言葉は励ましにもなるし、呪いにもなり得る

「自分の可能性を常に開いていく」ことを、繰り返し自分に伝え続けるのは、もしかしたら過去に「あなたなんてそんなもん」「そんなことして、何になるの?」と、可能性を閉じるようなことを言われたからかもしれません。親切からなのか、親心なのか…こういう言葉は、人生の中で「言われた瞬間」ではない場面で顔を出してくることが多いです。言われていなくても、「思い込む」ことで自分に呪いをかけていることもあります。例えば僕の例でいくと…

  1. 進学するとき「そっちの道だと食えないと思うから、こっちにしたほうがいい」と言われたこと(音楽や心理の道にチャレンジしてみたかったけど、英語の道に進むことにしました)

  2. 「自分は長男だから家から出ない方がいい」「弟や妹のためにも地元の国立大に進学した方がいい」などという思い込み

この結果が、自分にとって100パーセントネガティブなものでもありません。しかし、この思い込みが、実はずっと尾を引いていたということに、最近気づいたのです。こういう言葉や思い込みは、時に自分の「頑張るためのエネルギー」になります。「ああなってはいけない」「こうなりたくない」「怒られちゃいけない」「体裁を整える程度には、なんとかやり切りたい」そういう感情も、エネルギーとして僕は多く持っていました。

「頑張ります」と言ったときの奥にある感情は?

仕事や勉強を「やらなきゃ」と思っているときに、心の底からどんな感情が湧いてきていますか?

・これをやらないと怒られる
・こんなのもできない自分はダメ

「結果良ければ全てよし…」なのかもしれませんが、結果にたどり着くまでのプロセスも楽しく、ワクワク過ごしたくありませんか?

・〇〇ができたら、さらに〇〇もできそう!
・〇〇に夢中になってる自分って楽しい!

僕の場合、完全に「これをやらないと怒られる」「こんなのもできない自分はダメ」の思考パターンで生きてきました。もしかしたら小さい頃から「手がかからない」「まじめ」と言われてきた人の中には、同じようなクセを持っている人がいるかもしれませんね。

大人が自由を感じられたら、可能性にオープンになれる

みなさんにとって、自由ってどんなイメージでしょうか?

・〇〇があったら自由
・〇〇じゃなかったら自由
・〇〇だったら自由

いろんな方の話を聞いていると、「自由には条件があるんだなあ」と気付かされます。自由って、「手に入れるもの」なんだな、とも。

でももし、自由が「すでにあるもの」だったら、どうでしょうか?
すでに目の前にあるもので、ただただ自分がまだ見ていないだけだったとしたら…

自分の「心のコンパス」を見つける

「自由になりたい」と思った瞬間から、

・自分にとっての自由ってなに?
・自分のありたい姿は?
・どんなものが、自分を縛っている?

そんなことを、日々見つめる旅のスタートです。
僕はお話を通じて、みなさんがありたい姿に気づき、「心のコンパス」を思い出せるような、対話の場づくりに取り組んでいます。

公式ラインを開設したので、もし興味がある方は、そちらからお問い合わせください🌱


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