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『小鳥ことり、サクラヤマのぼれ』14

【お祭りとヤキソバ】
 
 もう二度とのほほんとした時は戻ってこない、そう感じながらも時間はずんずんと過ぎて行く。
 実際に学校が始まり、そちら中心の生活が始まってみると、
「家庭調査票、未提出の人は明日までに」
「来週はゼミの外出活動が」
「履修希望できたか? みんな」
「進路課より……」
 とにかく忙しいばかりでヒワは目の前の諸問題を片付けるのにせいいっぱいだった。
 学校は自由な校風で髪型もピアスすらも自由な私服通学ということもあったが、同じクラスになった子から
「面白いネックレスしてるね」
 と、お守りを指さされて初めて、そんな恰好でもあまり違和感ないというのに改めて気づく次第だった。
 地元で参加したのは、居住地のゴミ拾いが一度きり、後は智恵が何とか手配してくれていて、季節はいつの間にか梅雨を通り越し、夏を迎えようとしていた。
 ケンイチともたまにラインをやりとりするくらいだった。
 ようやく、住居周辺から学校中心のサイクルに慣れてきた頃。
 お祭りに行かない? と意外にもルリコが訪ねてきた。
 体操着に中学指定のトレパン姿で。
 相変わらず、連れなのか友だちなのか男女数人連れている。
 多分その四人くらいの子たちは、ヒワの家の近くではなく、坂の下の方で自転車にまたがったままルリコを待っているようだ。
 まだ朝の九時前だと言うのに。
「え、お祭り」
 しかも初夏という半端な時季に何のお祭りがあるのだろう? そう聞くとルリコは
「地元企業とのタイアップ祭り」
 と訳のわからないことをひとこと言ったきりだった。
「ええ、でも高校生にもなってお祭りというのも何だかな……」
 つい口から洩れる。
「別に強制参加じゃあないんでしょ?」
「お兄がヤキソバやらされてて、手伝いがほしいって」
 そっけなくつけ足して、「矢部ちゃーん、行くよー」の声に呼ばれて
「先行っててよ、ちょっと寄るとこある」
「どこー」
「白とりのさと。案内してから行くから」
 と連れに言いながらもすでにヒワには背中を向けて自転車にまたがる。
 ヒワはあわてて財布をつかみ、ルリコの後について自転車を走らせた。
 会場は、団地のあたりから県道をわずかに上った道沿い、東取の産直販売施設だった。
 背後に白鳥川が流れ、春は桜、秋は彼岸花の群生でもちょっとした名所となっている。
 平屋の建物内は、会議室スペース、物販スペースと二つほどのテーブル席、事務室、奥にパンや総菜を作る調理場とが配置されている。周りには駐車スペース、広場、貸農園などが拡がっている。
 今日は周りの駐車スペースや空き地は、たくさんのテントが並んでいた。
 意外なほど、混んでいた。駐車場も塞がっているというのに、施設の裏手と土手との間に、すでにぎっしりと車が停められている。自転車も多いし、近所から歩いてきたらしい連中も多い。特に、子どもが多い。
 自転車を止めた時、急にルリコが振りかえった。
「なに?」
 相変わらずの無表情、目ヂカラだけはフルパワーでヒワを直視して、急にこう問うた。
「ここに住んで、後悔してるの?」
「えっ」
「高校は来たくてこっちに来たらしい、ってお兄が言ったけど、本当は元白鳥なんて、嫌だったんでしょ?」
 相変わらずの真顔だ、責めているのだろうか?
 顔が熱くなったのが分かって、ヒワは早口で答える。
「そりゃ駅前に住めば楽だったけど元白鳥が嫌だって訳じゃ」
「ならいいけど」
 良かった、という顔でもなく、ルリコは先に立って歩き出す。
―― 何なの、この態度。
 赤くなった頬をさも汗を拭いているフリをしてぬぐい、歩きながらヒワはルリコの後頭部を睨みつける。
 やはり、ルリコはどこか苦手だ。
 人混みをかき分け、奥の方にあるヤキソバコーナーに行ってみると、
「おー、助かった」
 手の甲で汗をふいていたケンイチが、うれしげにヘラを振り上げた。
「まず中で手を洗ってきて、そんで受付の黄色いシャツの誰かに言って三角巾借りてきて」
 じゃあね、とルリコが去ろうとするのをヒワはあわてて引き留めた。
「えっ、ちょっとルリちゃんは」
「ウチ、だからこれから部活」
 ヒワは体のよいお手伝いさんというわけだろうか。まあ、他にやることもないし、ルリコはいないし、ケンイチと一緒にいられるのも悪くはない。ヒワは急いで受付まで行って支度を済ませ、ケンイチの元に戻る。
「パックに詰めてって、見本はそこのやつ。箸もつけて輪ゴムで止めといて」
「なんでヤキソバ焼いてんの」
「じいさんの代わり」
 両手のヘラを動かしながら、あごで左の方をしゃくってみせた。
 ヤベじいは数人の小学生軍団を相手に、射的のテント脇に立ってはああでもないこうでもない、と撃ち方指南に余念がなかった。
 祭り会場には他にも多くのテントが並んでいた。地元野菜の直売コーナーが特に人気のようで、伸介が忙しそうにテント脇に置いた金の軽トラックから、次に並べるトマトやレタスなどを次々と下ろしていた。
「シンおじさんも、いたんだ」
「ああ、柏田のおじさん、去年から活性化委員の長だからさ、何かと忙しいみたいだね」
 野菜を扱いながら、お偉いさんらしき人が通りかかるたびに、びっくりするくらい何度も小刻みにお辞儀して、大声であいさつしているのが聞こえてくる。首が忙しそうだからわざわざ声をかけることもないか、とヒワは目を戻した。
「ケンちゃん、何刻んでんの?」
「ザーサイ」
「それ、どうすんの」
「ヤキソバの具だって」
「えー、そんなモノ入れるの? じゃあそこのポテチは」
「これも入れんの、ほらほらそっちの裂けるチーズどんどん裂いて」
「ちょっと何でこんなおかしなヤキソバにしてんの」
「冒険心溢れる、って言ってよ。でもキャベツはちゃんと入れてるから安心しろよ」
「だったら、よっちゃんイカもいいんじゃない?」
 皮肉のつもりで言うと、ケンイチはぱっと顔を上げて
「いいねそれ。次回の祭りに試してみよう」
 真顔でそう返してきたので、ひとことがつんと突っ込んでやろうと身構えたとたん、テント前に影が射した。
「あれ、研一くんか」
「あ、いらっしゃい」
 ヒワもその声で前を向き直る、そこに立っていたのは大柄な中年男性だった。
 半白髪がふわりとして、丸眼鏡の奥で細めている目も、着ているこげ茶のジャケットもどこかやんわりとした印象だ。声も穏やかだ。
 ヒワが「あ……いらっしゃいませ」と丁寧に頭を下げると男性は
「おや」しげしげと彼女の顔を見てから、ケンイチを物問いたげに見た。
「団地に、春先に引っ越してきた、柏田ヒワさん」
 ケンイチが代わりにそう答えて、次にヒワに向かって説明する。
「元白鳥小の、シノっち……篠原教頭。オレらが小学生の五、六年で担任だったんだけど、また、教頭になって舞い戻ってきたんだよ」
ホントこの学校好きなんだよねー、子どもらもかわいいし。と篠原教頭はうれしげにそう言ってからヒワをまじまじと見て
「カシワダ、というともしかして和美ちゃんと親戚?」
と急に訊くので、はい、イトコですと答えると
「和美ちゃん担任だったんだよー。そう言われれば目元が似てるかも」
 と、細い目を更に細めて笑う。ひとりひとりよく覚えているものだ。
 その後、ケンイチ作の独創的なヤキソバをなんと六パックも買っていった。
「ね、イイヤツだろ?」
 得意げにヘラで教頭の後姿を指すケンイチを、ヒワはやや醒めた目で
「いいきょーとー、せんせーみたいですね」
 と答えて、またチーズを裂く作業に戻った。
 それからも、次々とお客がやってきて、無駄口をきいている暇もなくなってしまった。
 地区のお偉い方がたは必ず何か買わねばならないのか、以前一度だけ会った自治会長の桑原、ツクネジマ町内会長の梅宮、他の役員らしき数人も次々とヤキソバを買って帰っていった。桑原自治会長なんぞは、すでに両手でも抱えきれないほどの膨らみ切ったプラ袋を下げていて、ヤキソバの袋もきっちり縛るよう頼んで、輪っかにしたところをようやく小指に通して、大柄な体躯に似合わずちょこまかと小走りに去っていった。大ボスは装備まで派手なんだ、とヒワはつい笑みを浮かべた。
 隣の家の富田林でさえ
「おや、頑張ってますねえ」
 相変わらずねちっこい口調で、それでも一つ、買っていってくれた。
 ねえ、一回味見してから買った方がいいと思いますよ、ヒワは何度、買ってくれたお客にそう言いたくなったことか。
 それでも結局午後遅くまでヤキソバ作りに付き合わされた。

 すでに日が傾きかけた頃、疲れ過ぎて地面にそのまま寝ている子どもやら飲み過ぎのおっさんやらをまたぎ越し、ヒワはよろめきながら家に帰っていった。 
 報酬は自分で作ったヤキソバ二食分とペットボトル飲料が三本。
「安いシゴトだあ……」
 ついため息がまじる。早いとこバイトを探さないと、このノリでずっと村のイベント手伝いに駆り出されるのだろうか。
 頭を下げて、シャツの肩口近くに鼻をよせた。まだヤキソバの煙が二の腕あたりから匂っている。
 でも……ケンちゃんとずっと一緒に過ごせたのは、ラッキーだったかも、案外料理もできるんだ、滅茶苦茶だけど。
 少しだけ口元が緩んだ。
 五〇〇食の余は、驚いたことに完売だった。
 
 このところ平和な日が続いてまた、油断し切っていたのだろう。
 ずっと目の前に麺の固まりとポテチやら裂けるチーズやら雑に刻まれたキャベツやらがぐるぐると回っている中、ヒワはなぜかまた、あの道をチャリで通っていた……目玉ババアの家の前を。
 がこん、と大きな音に我にかえった。
 目の前、自転車の前かごにカーコががんばって止まっていた。
「そろそろ通る頃かと思ってたよ」
 門のすぐ内側から、しわがれた声が響く。
「おや、いいモン持ってるじゃないか、だから来てくれたのかい?」
「いえ、別に」
「お茶も持ってるじゃないか、良かった、とりあえず上がんな」
 全然聞いていないフリをして、おかっぱ頭をふわりとなびかせた目玉ババア、さっさと家の中に入っていく。と同時に門扉がきしみながらゆっくりと開いた。
 この家の前にチャリを止めておきたくはない、とっさにそう判断し、ヒワは自転車の前を担ぎあげるように段差をあがり、目玉ババアの屋敷に入っていった。カーコは横着にもそのまま前かごに掴まったまま、バランスを取りながら一緒に屋敷に入っていった。
 門扉がまた、ゆっくりと自然に閉じていった。


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