『小鳥ことり、サクラヤマのぼれ』15
【ヤキソバの御礼】
特に惜しいと思っていたわけでもないので、せがまれるままヒワはヤキソバのパックをひとつ、手渡した。炭酸は『シュワシュワしして』嫌いだというので、一本だけあった緑茶を渡す。
急にのどが渇いているのに気づき、ヒワはカルピスソーダの栓を捻り開けた。
「おや、それは甘いのだね」
白目を青く光らせて、童女の顔が興味津津といったふうにヒワをみる。
「これ、炭酸ですよ」
「なーんだ。シュワシュワか」
目玉ババアは、ヤキソバのパックを乱暴に開けたせいで、輪ゴムをぱちんとどこかに飛ばしてしまった。「ちっ」舌打ちしながらもすぐに気を取り直し、短い割り箸を勢いよく裂いて、いただきますもなく、一気にかきこんでいった。
半分くらいまでいって、「うまいね、うまいよこれは」口の中に麺が詰まった状態で感心したようにそう言った。
ヒワも、用心深く箸をつけた。確かに、入っているものの割には、美味しい気もする。
朝からずっと、働きづめだったというのに今更気づいた。
半分くらい食べてから、耳元にわさわさと風の鳴る音がした。
目をあげると、窓枠にカーコが止まって、足踏みをしている。視線はしっかりと、ヒワの手元に注がれていた。
目玉ババアは、とみるとすでに食べ終わっている。目玉ババアがにかりと笑うと、前歯に青のりがひとつ、くっついていた。
「アタシのはもうないよ、アンタ、カーコに何か分けておやりよ」
「何を食べるんですか」
「何でも食べるさ」
ちょうど大きな、裂けるチーズがのぞいていたので、それを箸で持ち上げて、窓枠に載せてやった。カーコはチーズが枠に触れるやいなや、大きなくちばしでひったくった。
箸を持って行かれそうになって、ヒワは眉をしかめる。だが、目玉ババアは楽しげに笑っているだけだった。
カラスは器用に足先でチーズの端をはさみ、反対の端を引っ張っている。しかし、遊んだのも束の間で、残りはあっという間に飲みこんでしまった。
まだないのか? と問いかけるようにカーコが首をかしげ、またヒワをみている。
あまりのずうずうしさに、ヒワは声を尖らせた。
「もうあげません、あっちで遊んできなさい!」
きょとんと眼を丸くしたカラスは、一泊おいて大人しく窓枠から飛び立っていった。
目玉ババアは大笑いしていた。
「あの子が素直に言うこときくなんて、アンタなかなかだね」
ばさん、と羽をふるう様子からは、とても遠くまで飛べないようには見えない。普通のカラスとどう違うのか、さっぱり見当つかなかった。
そこで、ようやくヒワは目玉ババアに向き直った。首から下げているお守りを、いつの間にか左手の中に握りしめていた。
「ねえ……」見た目がおばあちゃんでもないし、目玉ババアという呼称も失礼だし、しかし何と読んだらいいのか分からず、ヒワはとりあえず、呼びかけをなしにして、単刀直入に訊ねた。
「この前、どうして菅田吉乃さんを見て来い、って言ったの?」
「ああ……」にやにやして誤魔化すかも、と思っていたが意外にも目玉ババアは笑いもせずことばを探しているようだった。
「実際、見て来てくれたようだね。ヤベのジジイから聞いたよ」
「じゃあ」
ことばを選ぶが、ここでちゃんと対決せねば、とヒワは姿勢を正す。
「あの子が飛びおりたのも、知ってるよね? それで死んでしまって」
「かわいそうに」
声にふざけた様子はなかった。しかし、目玉ババアはこう続けた。
「あれは、間に合わなんだね」
何が間に合わなかったのかは、分からない。
「犯人が捕まったのも、知ってるの?」
「でっち上げだがね」
ヒワはまじまじと彼女を見る。やっぱり、目玉ババアは事実を知っているのだろうか。
ごくり、とつばを飲んでヒワはもう一歩踏み込んだ。
「あれは、アナタの仕業なんですか?」
目玉ババアは笑うような口元のまま、ヒワの顔を見ている。ヒワは再度尋ねる。
「菅田さんを飛び降りるように仕向けたのは、あの」
「ちがう、と言ったら?」
目玉ババアの声は静かだ。ヒワの方が動揺している。
「でも……でもあの時病院にカラスがいて」
「カラスなんて、どこにもいるさね」
「でもあれカーコじゃなかったんですか?」
目玉ババアはふいにいつもの口調に戻る。
「アンタ、カラスの区別なんてつくのかい?」
ヤベじいも言っていた。カーコは遠くには飛べないのだと。
しかし仲間がいるかも知れないではないか。そう訊ねようとした時、急に目玉ババアが言った。
「あの子はツクネられちまったんだ、ちゃんと教え通りにしなかったからね」
「えっ、ツクネ?」急に、最初にここを訪れた時のことを思い出した。
このばあさんは、ツクネを作っていたんだった。菅田が教え通りにしなかった、というのは……
「アナタが何か教えて、その通りにしなかったから、殺した、ってコト?」
やれやれ、と小さくつぶやいて目玉ババアは肩をすくめた。
「あの人、自分で自分を刺して、飛び降りたんだと思うけど、でも誰かがそうしろって言ったんだったら、それはそれでサツジンなんじゃ、ないんですか?」
「アンタね」
プラパックや割り箸をまとめて流しに下げようとしていた目玉ババアが、おもむろにふり向いた。
「アタシは子どもにはそんな酷いことはせん。逆に守ってやっているのさ」
では、菅田については「間に合わなかった」?
表情がけわしくなっているだろうヒワに、少しばかり目を細め、ふっと口元を緩める。
「いいこと教えてやろう」
ヒワは黙って続きを待つ。
「アンタはヨソモンだから、聞いたことないかも知れんしね」
目玉ババアは、シンクの前に立って、脇の踏み台をまん中に出した。今朝からの茶碗やら湯のみがひとしきり、洗いおけに残っている。それをやせて黒ずんだスポンジでこすりながら、低い声で歌い出した。キゲンよく歌っているし、合い間に笑っている。
歌、というよりはやし言葉にも聴こえた。
―― 小鳥ことり、サクラヤマのぼれ
オオゴトあらば、サクラヤマのぼれ
なんもかんも棄てて サクラヤマのぼれ
オオゴトすむまで、サクラヤマのぼれ
雨が止むまで、出ちゃならん
茶碗のたぐいをすべてのんびりと洗うあいだ、目玉ババアはくり返しそれを歌っていた。
ようやく最後の湯のみをすずいで脇のザルにあげて、目玉ババアはふり向き、にかっと笑った。
「はい、これがヤキソバの御礼だよ」
その言葉が終わりの合図なのだろう、とヒワは立ち上がり、もごもごと口の中で「ごちそうさまでした。じゃあ」つぶやいてから、外に出た。
菅田吉乃の死については、目玉ババアが関与していない、ということでいいのだろうか?
もやもやしたまま、ヒワは自転車を引いたまま歩く。
サクラヤマの歌をいきなり歌い出したのは、何だったんだろう?
サクラヤマの近くに、智恵と春先に行ったばかりだし。
確かに、似たような話を昔むかし、祖父から聞いたことがある。
鬼ごっこみたいな遊びも、シゲ兄たちと何度かやった気もする。
智恵が山で口ずさんだものは、さっき聞いた歌に近い。自分たちも遊びで何度か「こーとりことり」と歌った覚えはあった。しかし、遊びが何か、関係しているのだろうか。
菅田吉乃への『教え』と何か関係が?
それにしても、これだけは確かだ……
「ごちそうさま」では、ないよな……だってすべてモチコミだったし。
昔むかし聞いた祖父の話は、こんなふうだった。
―― 白鳥村じゃ、何かことがある度にな、サクラヤマに上れと言われてるんだ。あそこは、不浄で不吉な場所だと言われるが、逆に不浄を清めるための場でもあったのさ。
たいがい、水に関したことが多いが、例えば大雨が降って土砂崩れがある、という時でさえ、村の連中は着の身着のままで、必死であそこに上った。まだ車道なんてものもなかった、だからみんなそれこそはいつくばるようにしてあそこまで上ったんだとさ。
知ってるかい? サクラヤマに入ると不浄の身となる。
だけどあん中で、雨に降られて止むまで我慢して待ってると、身が清められてもう禍に遭わないんだってさ。
だから大水から逃げた連中は、雨が降り止むまで三日三晩、震えながら念仏を唱えていたんだそうだ。
帰ったら村中、流されてきた土砂やら岩やら、根こそぎ倒された大木やら……息のある者はほとんど、おらなんだらしい。
他にも珍しいのは、火事が出る前に西通の神楽の連中が見知らぬ行商の女から文を渡された、というのもあった。
それには、『あんたとります、サクラヤマノボレ』としか書いてなかった。しかし、言い伝えを間に受けた神楽の連中はあわててサクラヤマまで上って、一夜を明かしたんだと。
日が出て、もう降りようか、何もなかったようだし、と外に出たが、誰かが『まだ雨が降ってない』と言いだして、そこに残ると言った。笑って降りてったモンが十人ほど、残ったモンが五人ほど。
その晩、神楽の組は寄り合いがあった、だから多くの連中が降りてったらしいね。庚申さんだから、夜通しの酒盛りさ、当時は。
で、寝たばこから火が出て、全員焼け死んだんだ。火が一番大きかった頃、雨が降って直ぐ止んだ、それで残った連中も慌てて山から降りていったんだとさ。
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