見出し画像

生まれた時点で人生が「イージーモード」か「ハードモード」かは確定している

人の人生というのは生まれながらに不平等なんですよね。

これはものすごく簡単な話で、お金持ちの家に生まれれば人生に自由な選択肢のある人生イージーモードになります。

逆にお金の無い家庭に生まれると自由な選択肢の少ない人生ハードモードになります。明らかにこの世の中は、お金持ちの家に生まれた人が有利なんですよね。

自分は人生のほぼ全てが金で決まるとは思いませんが9割はお金で決まる思っています。

なぜなら、お金というのは人生の自由度を左右する道具だからです。お金があればあるほど、それだけ選択出来る機会も多くなり選択肢の幅も広くなります。

選択の機会が多いということは、それだけ色んな経験を出来るので自分にしっくりくる幸せの形を見つけやすいです。

逆にお金の無い人の場合は選択出来る機会が少なく、選択肢の幅が狭くなります。自分が幸せだと思えることに出会えない可能性があるのです。

この通りにお金は人生の幸福度に左右すると言っても過言ではありませんね。

それにですよ、お金がある人は嫌なことをしなくても済みますが、お金が無い人は嫌なことはしなければなりません。

お金があるだけで人生の嫌なことはほとんど回避出来てしまうんですよね。

逆にお金が無いと嫌なことをたくさん経験しなければならず、人生我慢の連続になってしまいます。

最悪の場合は我慢をしているうちに心が壊れてしまうことだってあるでしょう。

我々は資本主義社会の中で生きているので、これは仕方のないことなのです。資本主義社会ではお金を持っている者がもっとも自由な存在なんですから。

お金を持たないほとんどの人は、社会の歯車として労働力を提供して一生を終えることでしょう。

生まれた時点ですでに勝者と敗者とが明確に別れているのが資本主義です。金持ちの家庭の親の権力と金は偉大ですからね。

それだけで金持ちの子どもは人生を有利に進めていくことが出来て、幸福な人生になりやすいでしょうね。

誰もがみな「お金の奴隷」

誰もがみな「お金の奴隷」なのではないということについて話していきたいと思います。

みんな豊かな生活を送るために汗水垂らしながら働いてお金を貰って、そのお金を使って生活しています。

そして豊かな生活を維持するためにまた働く。これはどう考えてもお金の奴隷じゃないですか。

自分もお金のために仕事をしているのでお金の奴隷です。自分もお金がどうしても必要なのでお金のために労働をしています。

それは仕方のないことなのです。金を持たざる者はお金の奴隷になるしかないのが世の常なのです。

今の時代まったく1円も使わずに生活するなんてのはほぼ不可能です。キリスト教では労働というのは罰という話を聞いたことがあります。

我々が罰である労働を自ら進んでやるのはお金をもらわないと生活出来ないからです。労働というのは、お金の無いお金の奴隷に課せられた罰と言えるでしょう。

労働せずにお金を貰えるなら、自分はすぐに労働なんて辞めますね。

でも世の中そうはいきませんよ。お金の奴隷にならなくてもいい人は強くてニューゲームで金持ちの家庭に生まれた人間だけです。

ほとんどの人は、生活をするために働いてお金を稼いでお金を使ってとお金の奴隷になるしかありません。

本当にやりたいことをやるにはお金の奴隷をやめなければなりません。

どんなに秀でた才能を持った大学生が「大学で研究をひたすらしたい!」と言っても、お金の無い人には無理です。

将来なことを考えるとどかで見切りを付けて就職しなければならない事態に迫られることでしょう。

それに研究は本来金持ちの道楽らしいです。

時間も気にせず何かをやりたいと思ったら、労働をせずにお金を得る方法が無いとほぼ無理です。

何かしらの不労所得が必要になるということです。

あとは、個人的に万人の幸福はありえないと思っています。今の世界に住むすべての人が幸せになるのは、どう考えても無理だと思います。

永遠に訪れないとは言い切れませんが、自分が生きている間にはおそらく訪れないでしょうね。

全員が幸せになるには全員で電脳世界に行くぐらいしかないんじゃないかなと思いますね。

もしくはナルトに出てくる無限月読みたいなものがあれば、全員が仮初めの幸せを手に入れることが出来るでしょう。


頂いたサポートは活動費に使わせていただきます🥺