東北大震災と豊後水道で沈んだ島

これは3年前にFBに書いたものの転載です。

311を迎える前に、震災編集者のイベントを聞きに行けて、本当に良かった。「みちのく怪談コンテスト」は第一回でも作品を載せてもらったのだけど、第二回をやろうという直後の地震で、それでも絶対に怪談コンテストをやるんだということで出版社としての息を続けてこれたという話だった。

そのときのことは、こちらの記事にも書いてます。

そのコンテストで東北怪談同盟賞を頂いたことは光栄だ。この賞は実質、東北在住の怪談作家黒木あるじさん賞と言えるものだけど、黒木さんの話もいっぱいでてきた。そんでもって、聞いてるうちにあることに思いいたったのだ。それが何よりの収穫。

さて、私の地元、大分には有名な沈んだ島の伝説がある。

これ、確かバージョンがいくつかあって、私が知ってるのは目が赤くなると悪いことが起こるという前振りがあって、いたずらして赤くしたら本当に津波が来たとかいうのだった。

で、思ったんですよ。

311だって、あれだけの災害が起こったのだから、「こういうことがあったら、村が沈む」というのを言い伝え的に残しているところがひとつもないのかと。

教訓的に「これより下に家を建てるな」という言い伝えじゃなくて、能力者が予言的に言ってる話が伝わってるところないのかなあって。

「こういうことがあると津波がくるよ」っての。

波が引くとかいう物理現象じゃなくて、瓜生島みたいなバージョン。沈んだ島の話が大好きで、どうして赤くなると沈むのかなあって、よく妄想してきたんですよ。

海底火山が噴火して、その炎が反射して赤く見えるのかなあとか考えたりね。

ちなみに豊後の海には他の地域は黒いのに、同種で唯一赤い目をしている魚がいるって読んだことがある。実際にいるのはいるらしく、ただ私の読んだ本は不思議話を集めたやつで、理由を海底火山を見つめていたから(これは非科学的だけど、まあロマンはある)というオチになっていた。

で、311に話は戻って、被災地域に瓜生島のような予言的な言い伝えはないかと聞きたかったんですよ。

トークショーの中で、現地ではどんな怪談が語られているかという話があって、その中で怪談が変化していく話もあったんですね。

高台へ向けて駆けていく人影を見たという話が、しばらくすると最初一人だったのが、「あそこはたくさん死んだから」とかなりの人数が駆けていく話に化けて、次に地方から応援にきた警察官が夜になると「どうしてここは人が多いんだろう?」と思いながら、交通整理するようになったというオチつきになったと。

これは大変に興味深い話でした。似たようなことを、大分で聞いたことあり。

大分の東で発生した話が(国東?)、真ん中あたりでこうなって、県西の日田まで来るときは、こう変化した~みたいなの。これは土地の伝播で変化した伝言ゲーム的な変化だけどね。それも大変興味深い事例だった。

311の人が増えていく怪談は、時間が経つことでの変化だけどね。そう、怪談は変化する。民話はそれがほどよいところで落ち着いた話。

で、振り返って瓜生島の言い伝えですよ。

震災と怪談の関係で、怪談が癒しや慰めになるというのが、NHKの特集でも言われていたこと。そうでなければ、発生しないのかも……とも思う。稲藁の火のような教訓的話もあるけどね。

ああ、でも今思ったけど、死んだ人にとっても悲しい話が言い伝えられるのは、慰めになるのかなあ。残された方も逝った方も話が残るというのは慰めなのかなあ。慰霊って、慰めって書くしね。

あ、それと書く人も癒しになるんだろうね。私が賞を獲ったコンテストの大賞の方は父親を津波で亡くしていて、新潟怪談合宿で実際に会ったけど、うん。やっぱり書くことで癒しもあったんだと思う。

瓜生島が津波でやられたときもたくさん人が死んだんだと思う。

そして、話が残った。

瓜生島の話では誰か未来が見える人が「恵比寿の顔が赤くなったら」というのを前もってビジョンで見て、これは大変だから言い伝えていてというのがオカルト的に綺麗な流れなんですよ。

私は予兆を信じる派なので、特にね。禍の前に件が生まれる話的なことがあるんだろうと。それが東北にもあったんじゃないかって。

でもトークショーで怪談が生まれる過程(最初はひとつの霊体験だけど、それが話として完成されていく流れ)を聞いて、瓜生島の話も逆なのかな~と思った次第。

後付けでできた話。じゃあ、どうしてそんな話ができたのかって考えるわけですよ。

NHKスペシャルで怪談が亡き人を想う慰めになると言うのと、沈んだ島の民話は根元が同じなのかなって思った。民話の中でも怖いのは怪談だしね。話にすると、話の中で生き続けるからね。人口に膾炙して残された人よりも長く生きることだってある。

そして、誰かを助けることもある(前にも書いたけど木の上に全裸で引っかかった女の人の話で津波の高さを覚えてて逃げたとか)。

瓜生島が沈んだ話は恵比寿の逸話を加えたことで、よりよい話になって残っていった。最初の出だしはたぶん、亡き人を想う慰めからだったんだと思う。

で、311に話は戻る。

もしかしたら瓜生島には被災直後に恵比寿の話はなかったかもしれない。でも、私みたいに「あんな大きな災害があったのに、何も予兆がないなんて」と思う人がいるかもしれない。

人は悲劇に理由づけしたくなるからね。後付けでできた話かもしれない。

そして、今、東北には予兆話はないかもしれない。それは「生まれて」ないかもしれないの意味。

これから生まれるかもしれないということ。

大きな災害の後は怪談前夜。私は今から、生まれる瞬間に立ち会える年代かもしれない。

トークショーの後、質疑応答があって、私は2点質問した。

予兆の話(予知する人そのものの話じゃないよ)はどこにもなかったのか。でも今日の話を聞いて、これは後でできる話かもしれないと思ったから、もしもそういうのが出来つつあるのに気付いたら、ぜひ今後教えてほしいと。

つたない質問だったけど、元幻想文学編集長の東さんは途中で言わんとすることを汲んでくれた。それがとても嬉しかった。考えのベースが同じってことだからねえ。

実際には今、東北に予兆の話はないそうだ。猫が逃げたとかはあるけど、それだとこうかん現象だしね。私が欲しているは神戸のときのように、件が出た話のようなもの。

どうして予兆話が怪談として癒しになるのかは、まだハッキリわからない。

話の中で亡き人が生きるからかもしれない。私は実際被災者ではないから、わからないし、違うかもしれない。

911の時に陰謀論的な話は後からいくつか生まれた。でもそれは慰めとは、また違うし、怪談とは違う。もちろん怪談がすべて癒しのためにあるわけじゃない。でも、……。

亡き人を嘆くときに「寿命だったと思おう」というのがある。

若く死んだとしても、それが寿命だと思えば少しだけ気が楽になるような……。

予兆話って、それに似てるかもしれない、と思うのだ。

話があると、「寿命だったから」という慰め(諦め)になるような気がする。

などと考えながら、まだまだ思考は巡るのでした。

ここから今年思ったこと――。

昨年、愛するペットを急に亡くした。けれど、その前に私は星占いで、まさに亡くなった日に家族の数が変わるという日食の不吉な予言を聞いていた。そのことを、まだペットが元気な一週間くらい前に娘に話してた。

ペットが亡くなったとき、いろんなことを後悔して、娘は自分を責めた。それはそれは、こちらがおろおろするほどに!

でも、占いのことがあったから、「寿命だったのかもしれない」という気持ちが慰めになり、諦めになった。きっと、それがメンタル瓦解の歯止めになったと思う。

3年前に思ったことを、昨年、私は実感したのだ。

ああ、今、書きながら、急にお寺の鐘が鳴り始めた。

「え?」と思うと、ちょうどあの時刻。

合掌――。


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