惜別
私の故郷は冬になると雪が沢山積もる。だけど春になれば雪がとけて、夏になれば綺麗な緑が生い茂る。
「おーい、待ってくれよ。」
旦那が駅の改札から少し小走りで出てきた。
私の旦那、聡は少しどんくさい。見た目も華がある方でもないけど、とても思いやりがある。
一緒に買い物に行ってくれるときは荷物を持ってくれるし、私の誕生日には仕事を早めに切り上げて帰ってきてくれる。いつもありがとうと言ってくれるし、その眼差しはとても温かい。
「地元に帰ってくるのも何年ぶりかな。咲とうちの両親が亡くなってからはご無沙汰だったからな。」
「もう五年になるかな…。本当久しぶり。」
聡と私の両親は私たちが高校を卒業すると同時に亡くなった。私たちは高校を卒業してからは都会の大学に進学し、そのままそこで就職をし、結婚した。
私たちはそのまま故郷には帰っていなかった。聡は時折故郷の話をしていたけど、私が帰りたがらなかったのだ。
「とりあえず墓参りに行こうか。」
「うん。」
少し古寂びた無人駅を出て、歩き出した。
私が故郷に帰りたがらなかったのは、両親をなくしたのもあるけど、もう一人大事だった人を亡くしたからなのだ。私にとってかけがえのなかった、私の愛した人。
お墓に着くと、聡と私の両親のお墓は雑草一本も生えていないほど綺麗だった。
「あら咲ちゃん!」
振り返ると実家の近所に住んでいるおばさんが、お墓の掃除道具をもって立っていた。
「お久ぶりです。清美おばさん。」
「どうも。」
「あらあら、綺麗になって!聡君は少し太ったかい?」
清美おばさんはうちの母親といつも井戸端会議をしていたおばさんだ。人手が足りないとき、お互いの家の農作業を手伝ったりしていた。
「清美おばさんがお墓の掃除をしてくれてたんですか?」
「そうそう、愛子ちゃんと昇さんにはお世話になったからねぇ。」
「ありがとうございます。」
「お礼なんていいよぉ。これぐらいはさせて頂戴よ。聡君ちのお墓は中島さんちがしてくれてるから。会ってあげて頂戴よ。久しぶりだから喜ぶと思うわよ。」
「はい、後で行ってみます。」
それからは私たちの近況の話をした。就職をして結婚したと言ったら、涙ぐんで喜んでくれた。
「そうかいそうかい。ほんと良かったねぇ。これで愛子ちゃんたちも報われるよ。」
「今日はその報告もかねて帰ってきたんです。」
「そうかい。うちにも是非寄ってって頂戴ね。旦那も喜ぶから!」
はい、と返事をし、また少し話して清美おばさんは帰っていって、私と聡は二人の両親のお墓に手を合わせた。
(お母さんお父さんただいま。ずっと帰ってこなくてごめんなさい。)
私はお母さんとお父さんに報告しなきゃならないことが沢山あった。
大学を無事卒業したこと、就職したこと、結婚したこと、そして過去と決別すること。
「そしたら行こうか。」
「うん。」
「この後はまず中島さんちに行こうか。ここからなら近いし。」
「私はちょっと寄りたいところがあるから、先に行ってて。すぐ追いつくから。」
「…わかった。」
聡は何かを感じ取ったようだ。こういう時の聡は勘がいい。
ごめんねと謝って私は一足先にお墓を出た。
今でもあるかは知らないけれど、この村の学校にも他の学校と同じで、昔からある噂があった。七不思議とは少しニュアンスが違うが似たようなものだ。
その中に学校の裏の丘で愛を誓うと永遠に結ばれるという噂があった。
まだ何もしらない若者だったけど、私はそこで永遠の愛を誓った。
聡とではない。私の大事だった人。私が愛した人。
武と。
久しぶりに丘に来ると昔と何も変わっていなかった。何も変わらない、広く抜けるような空、綺麗な緑、穏やかな風。
近くにある学校は夏休みなので、学生の元気な声は聞こえない。ただ、優しい風が通り過ぎる音がするだけだった。
私が高校一年生の時、武と出会った。少しやんちゃな学生だった武は、他の子より目立っていた。私も最初は近づき難かったが、武の見せるふとした時のやさしさに惹かれていった。
そう思ってからはどんどん距離が縮んでいき、付き合うことになった。
半年もした頃にはこの丘の上で永遠の愛を誓った。
その時間が永遠に続くものと、心の底から思っていた。
でも、唐突にその時間は終わった。
交通事故で武は死んだ。私たちが付き合って一年の記念のプレゼントを買いに行った帰りだったらしい。
私は最初何が起こったのか理解できず、茫然とした。
そのあとすぐ武のお葬式があったけど、その場で私は泣けなかった。まるで心がどこかに行ってしまったように。
私が泣いたのは学校だった。学校で武のいた席にお花が置いてあって、もう武があの席に座ることがないとわかった瞬間泣いた。授業中だったけど、私は構わず泣いてしまった。
涙が次から次へと零れ落ちてきた。
先生が気を使って保健室に連れていくように、私の隣の席の男の子に言った。
それからというもの私は授業中に泣いては保健室に行くことを繰り返していた。後から聞いた話だと、両親も担任の先生も心配してくれていたようだった。
そんな私を毎回保健室に連れていってくれた、隣の席の男の子が聡だった。
聡は保健室に私を連れてくると、毎回暫くは保健室にいた。
泣きながらも不思議に思って聡にそのことを聞いてみた。
「え…だって…放っておけないから。」
聡は口ごもりながらそう言った。聡は昔は少し口下手だったのだ。
それから保健室で少しずつ話すようになった。
聡の家の犬のこと、春の心地よさのこと、冬の厳しさのこと、そして聡自身のこと。
そうやって過ごすうちに、保健室に行くことも少なくなっていった。
大学への進学が決まり高校を卒業するころになると、すっかりそういったことはなくなっていって、聡から告白を受けた。
私は少し迷ったけど、OKした。もしかしたら人の温もりを求めていたのかもしれない。
それからというものはアッという間だった。同じ大学に通うことになり、二人とも就職し、結婚した。
今では心から聡を愛している。聡の優しいまなざしに包まれる日常は幸せだ。
ただその日常を続けていくためには、武との想いと別れなければならない。
そのためにここにきた。
武。
ありがとう。私はずっとあなたのことを愛していました。
あなたがいなくなってからもずっと、あなたが私の心の中に居ました。
そんな私でも、愛してくれる人が居ました。
その人はずっとそのことを知っていたけど、それでも私を見つめ続けてくれました。
今の心の真ん中にはその人がいます。
だけど武。あなたとの思い出は今でも私の心の中にあります。
それでも私はその人と生きていくと決めたから、あなたとの思い出を抱えて、でもあなたとはお別れして生きていこうと思います。
ありがとう。武。
さようなら。
「おーい。」
振り返ると聡がこっちに手を振っていた。
「やっぱりここにいた。」
ふうと一息つくと聡は私と同じほうを見た。
「やっぱりわかっちゃうんだね、聡には。」
「まぁね。もういいのかな?」
聡は私と同じ方向を向いていた。その横顔を見ると、少し寂しいような、頼もしいようなそんな顔をしていた。
「うん、もういいの。」
「そっか。」
聡は頭を少しかくと、またふうと一息、息を吐いた。
「行こっか。」
「うん。」
私たちは手をつないでその場を後にした。振り返りそうになったけど、もう振り返らない。そう決めて、私たちは二人で歩きだした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?