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ギネスの魔法

学生時代にバイトをしていたバーには色々な種類のビールがあった。

スキンヘッドに口髭をたくわえた丸くて背が低い店長は、いつも開店前に緑色のラベルにゾウの絵が描かれた瓶を1本開けて飲む。
「大丈夫、これノンアルだから」と言っていたけれど、あれはChang Beerというタイのビールでノンアルコールではないと知ったのはもう少し大人になってからの話。


ジャズが爆音で流れる店内にはレコードブースの横にグランドピアノが置いてあり、セッションライブもよく行われていた。
料理はハンバーガーにピザ、パスタ、ロコモコもあればガパオもある。果てはワニやカエルの肉料理まであって、バーというよりは多国籍なダイナーという感じの店だった。


「はい、これいつものよろしく!」

ギネスビールが注がれたグラスを受け取ると、客席ではなく奥の方に持っていく。ホール担当はカウンターから出されたものを素早く客席へ運ぶのだが、ギネスビールだけはその前に寄らなければいけないところがあった。


賑やかな店内の奥にあるスイングドア。
キィと音を立てドアを抜けると「お、ギネス?」といつもの声が聞こえた。

この店は、もう一つ別の店舗とつながっている。
隣はオーセンティックなバーだ。
店員は1人、向こうの喧騒が嘘だったかのように、そこには静かな音楽が流れている。ギネスの注文が入ると、いつも一度ここに持ってくるのがルールだった。

「お願いします」

グラスを渡すとギネスはサージャーと呼ばれる縦長の筒のような台に置かれ、たちまちにグラスの中にグラデーションが広がっていく。しばらくすると色は元に戻り、上の泡が目で見てわかるくらいきめ細やかな雲のようになった。

「はい、お待たせ」

グラスを受け取ると、さっきまでの騒々しい店内に戻っていく。ギネスの注文は少なかったが、たまにオーダーが入った時のこの寄り道がなんとなく好きだった。


向こうのバーで注文が入っていると、しばし待つこともある。

「ちょっと待ってね、そこ乗せといてくれる?」

いつもはグラスを受け取ってくれるが、今日はバーカウンターに入ってサージャーに乗せることが許されたようだ。

静かな空間の邪魔をしないように息を潜めてカウンターに入り、サージャーの上にグラスを乗せる。

「...押してみたい?」

後ろから伸びてきた手が、そっと指を触れた。

「ここね」

操られた指がネオンカラーに光るボタンを押す。
魔法をかけられたように泡が一斉に溶け出し、黒いギネスの中に琥珀色が広がっていく。まるで花火が開いて、すーっと消えていくような光景。

「はい、お待たせ」

その声ではっと我に帰ると、ぺこっと頭を下げグラスを持って再び喧騒の中に戻っていく。


上から押された指先がピリピリする。
もしかして大人は、サージャーのように超音波を出せるのだろうか。

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