「風呂酒日和」第三話 お酒編:鮒忠 #創作大賞漫画原作部門
私は今しょんぼりした気持ちで歩いている。
十条には知っている店があったのだが、向かってみると違うお店になっていたのだ。いつの間に…。切ない気分になりながらも、ふらふら。
老舗っぽい居酒屋や喫茶店がぽつぽつ灯る。
なんとなく煌々と光るお店や賑わう所には行く気になれず、トボトボを引きずりながら歩いていると、足元に灯る「鮒忠」という看板が目に入った。
やきとりと書かれた暖簾。
小窓から中を覗くと年季の入った深い茶色のカウンターが見える。人の声はするものの、静かな雰囲気。うん。今日はここかも。
扉を開けるとカウンターにはおじさんが3人。
いらっしゃいませ〜と店主の声が聞こえる。1人ですと言うと、どうぞ〜!と愛想よく答えてくれた。
カウンターではなく手前のテーブル席へ。今日は1人でしんみり飲みたい気分。いや、いつも1人なのだが。
ここは焼き鳥と鰻のお店らしい。
瓶ビールもあるけど、生ビールにしよう。
このなんとも言えない気持ちごとジョッキでごくごくと飲み干してしまいたい。
生は大、中、小とある。「中はどれくらいですか?」と聞くと、元気よく店主が「ご〜ひゃく!」と答えてくれた。では、生中で。
お通しはポテサラ。ビールを受け取り、焼鳥とエリンギを頼む。到着した生ビールを勢いよくごくごく。ふぅ。少し落ち着いた。
最初に来たのはエリンギ。続けて焼鳥も到着。
あぁいい匂い!甘辛いタレの匂いは人を元気にする。一気にお腹が空いてきた。勢いよく串にかぶりつく。うまい。
炭で焼かれたいい香り。甘辛のタレに、安心するような懐かしさを感じる。
ビールを飲み干しハイボールと明太おろしを追加で頼んだあたりで、カラカラと扉が開いた。
「あ〜しばらくぶり!いらっしゃい」
現れたのはお洒落なスーツを着たおじいちゃん。だいぶ高齢に見える。
「しばらくぶりって、ずーっとやってないんだもの」
おじいちゃんは店主にボヤいた。
「いやぁね〜コロナだったから。ビールでいいの?」
おじいちゃんは「あぁ」と言って私の近くのカウンターに座った。
「親父さんは?」
おじいちゃんが店主に聞く。
「え?も〜う、死んだよ死んだ!」
「えぇ?」
「もう1年3ヶ月前だよ!」
「あぁ、そう...」
「90よ90!」
おじいちゃんはおそらく耳が遠いのだと思われる。店主は話の内容と反するくらいハキハキとした口調で答えた。
「そうかい、じゃあまぁ大往生としましょうよ」
「そうね、よく頑張りました!」
終始軽快に答える店主。
きっとおじいちゃんは先代からの常連なんだろうなと思いながら、ゆっくりとビールを飲む。
ハイボールと明太おろしが到着。
うむうむ、どちらも馴染みのある美味しさ。ポテサラに乗せて食べてもまたうまい。
「なぁ、酒」
おじいちゃんはジョッキを空けないうちに日本酒を頼んだ。話すスピードはゆっくりだが、一気飲みできる酒豪なのだろうか。
「はいよ〜!」
運ばれてきた日本酒をお猪口に注ぐと、おじいちゃんは「邪魔邪魔」と言いながら店主をよけ、柱に手をつきゆっくり歩いて空席だった一番奥の座席の前に立ち止まる。そして一礼をして静かにお猪口を掲げた。
横の席にいたおじさんが「え?俺?」とびっくりして、時が止まる。
「あーそこ親父の特等席だったからね!わざわざありがとうございます」
店主がさっきと変わらない明るい口調で言う。
おじいちゃんは亡くなってしまった先代に、もう誰も座っていない特等席に、献杯したのだ。その姿が、なんだかすごく心に響く。
よかった…危なく特等席に座ってしまうところだったと思いながら、しんみりとグラスを口に運ぶ。
しばらくして、カウンターの方からカタンと音がした。
おじいちゃんはだいぶ酔っ払っていたのかもしれない。お猪口を転がしてしまったようだ。
「あ〜こぼれちゃった!」
店主が小走りで席に来る。
「テーブルに飲ませたってしょうがないんだからさぁ〜大丈夫?ズボン濡れなかった?」
「いいんだよそんなもん」
「そうだな、たいしていいもん着てないもんな!」
笑ってテーブルを拭く店主をどつきながらおじいちゃんが「酒な」と言う。
「はいはい!」
おじいちゃんはもうあんまり飲めなさそうなのに、止めるでもなくきちんと日本酒のおかわりを持ってくる店主。
「お前はなぁ、ほんとに。バカ息子でなぁ」
おじいちゃんはおかわりには手を伸ばさずに語り出した。
「いいからお酒飲みなさいよ!ねぇ?」
店主が私に同意を求めるように話を振ると、たしなめられたおじいちゃんはくるっとこちらを向き「怒られちゃった」とでも言うようにぺろりと舌を出した。
なんだろう。この空間が、このやりとりの全てが愛しく思える。
「あぁお嬢さん、もしよかったら一杯ご馳走しますよ」
微笑み返した私におじいちゃんはそう言ってくれたが、私が答える前に店主が「ほーらよそに話しかけないの!」とカウンターに向き直させた。
なんだかいい夜に出会えた。
十条に来る時は、またここに来る気がする。
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