見出し画像

罪悪感のないおやつの「罪悪感」とは何か?

“Guilt Free”

「罪悪感のない」おやつという言葉を、初めて聞いたのはいつのことだったろうか? この言葉を知った時、『どういう意味なのか調べなければ』と思うことは特になかった。

食べちゃダメだと思いつつ食べちゃった

ダイエットなどで、そういう経験をした人は少なくないだろう。
「ま、要はそういうことなんだろうな」
でなんとなく片付けていた。


2019年も終わりがけの頃、私は環境活動家・谷口たかひささんの講演会に参加する。
その時に
「牛が食卓に運ばれるまでに、生産される二酸化炭素量が半端ない」
という話を初めて聞いた。温室効果は、ハンバーガー1個分と30分の車でのドライブが同じくらいなのだそうだ。

食牛の需要は世界的に拡大しており、世界各地で森林を切り開いて放牧地を作り、また食欲旺盛な牛のための穀物を作る。それを食した牛の出すゲップはメタンガスなので、二酸化炭素よりも温室効果は何倍も高いという話が印象的だった。

IPCC第4次評価報告書の値によると(100年間での計算)、二酸化炭素に比べメタンは25倍、一酸化二窒素は310倍、フロン類は数千〜1万倍温暖化する能力があります。
https://www.jccca.org/faq/15950


その講演会の日、我が家はカレーの予定だったので、スーパーで牛肉を買って帰るつもりだったのだが、急きょ豚肉にしたことを覚えている。
そして私はお菓子を作ることが好きで、牛由来の牛乳、生クリームやバターを多用する。

自分の趣味は、地球にとってイケナイことだったのか…

罪悪感のないおやつの「罪悪感」という言葉に、別の方向性を見出した時だった。


どこに矢印を向けるのか?

それまで「罪悪感」とは、自分を律するための言葉だと思ってきた。
その矢印は、あくまで自分に向けられている。
自分が罪悪感を感じる食べ物を食べれば、自分に結果が返ってくるだけ。

しかしここに環境問題を提示されると、「罪悪感」の矢印は別の方向を指す。
その矢印は自分以外、強いていうなら地球に向けられる。
自分が罪悪感を感じる食べ物を食べれば、良くない結果は自分以外に起こりうるということだ。

これは恐ろしい。
一時期、この言葉に極端に敏感になってしまった。


「罪悪感」「罪悪感」「罪悪感」


だからと言って、自分の楽しみであるお菓子作りをやめることは難しい。
バターを植物油に変えることはできるのだろうが、味わいは変わってしまう。
せいぜい、私の買い物では鶏肉を、たまに豚肉を買うようにしようと思っただけだ。家族が牛を買ったとしても文句は言えない。
控えめに二酸化炭素の話をすれば、「電気を使っておいて、車に乗っておいてどうなんだ」という話が始まってしまう。

私たちは先進国に住み、さまざまな「豊かさ」を享受している。
罪悪感のない食べ物を地球規模で考え始めると、どんどん訳がわからなくなる。

そのうち「罪悪感」の矢印が自分に向いているだけでは、わがままを超えないのではないかと思ってしまう自分がいた。

しかしそうではないな。

その人が何を大事にしたいか、その方向性の違いなだけだと気づいた。


矢印の方向が違っても

そもそもギルトフリーという言葉と、オーストラリアが発祥とされるブリスボールの存在はセットだったように思う。少なくとも、在豪の私は同時期に知ったはずだ。
ブリスボールは砂糖不使用でグルテンフリー、卵などの動物性食品を使わず、加熱の必要もないというおやつ。

マクロビオティック、ベジタリアンやビーガンといった言葉がそのまわりを踊る。

太るから罪悪感
マクロビじゃないから罪悪感
エンプティーカロリーで栄養素が足りないから罪悪感
(エンプティカロリーはジャンクフードやアルコール飲料に多く含まれており、カロリーは高いが体に良い栄養がほとんど含まれていないことを意味する言葉)

必要以上のカロリーを摂取するのが簡単な、そんな世界に住んでいると、気をつけなければと思うのは当たり前の感情だろう。


また、子育てを経験した人なら、一度は悩んだことがあるはず。
小さな我が子に、いつから飴やチョコレートなどの甘いお菓子を与えるべきかという葛藤。
白砂糖を与えると、ハイパーになって子どもの行動の抑制が効かなくなるという話がまことしやかに噂されるし、大人だって攻撃的になるという。自分の胸に手を当てて考えてみれば、全く無視できるとは言い切れない。

幼児を2人育てていた、とあるママさんが、お子さんに一切の砂糖を与えない方針で生活をされていたが、子どもの体重の増えが良くなくて、結局解禁したという話を聞いた。気を張りすぎていたので当時の記憶が曖昧で、冷蔵庫に洗ったフライパンを収納したこともあったと笑っていらした。

砂糖は白い悪魔。
精製した小麦や白米も体に悪い。
牛乳は牛さんのミルクで、人間は飲まないほうがよい。


自分や家族の健康を願い実践しようとする、思いや努力は至極真っ当だ。
我々の住む地球のことを考えて、少しでも住みやすくできるように、将来に今までのような地球を残したいと行動することも。

どちらがいいとか悪いとか、正しいとか正しくないとか、そういう話ではない。

大事なのは、思ったら実践すること。
そしてとにかく「極端にならない」ということだと思う。
0か100かの思考では、あっという間に息切れしてしまう。

「私は、私にできることをしているだけ(ハチドリのひとしずく・光文社)」の考え方を、ふとした時に思い出して実践すれば良いと思う。

何より「罪悪感のないおかし作りました」って言って、食べるのは楽しい。大切に思うことを実践しました、ということだから。

つまり、罪悪感とは「各個人が大事だと思っていること」。それでいいと思う。

(すみません、最後の一行は、タイトルを回収できていなかったので午後に追加しました…)


おまけ

今回の記事を書くにあたり、バターの代替品としてマーガリンが候補に上がるだろうと思いました。

マーガリンは食べるプラスティックだとずっと思っていました。そうしたら、化学的な見地から考察したという以下の記事を発見。

マーガリンはプラスチックだから食べてはいけない?(顕微鏡で見たらそっくり?)

マーガリンはプラスチックだから食べてはいけない?(ゴキブリも食べない?)

巷で言われているほど悪いものでもないようだ、ということでした。
だからと言って今後も購入予定はないのですが、それでもどこかで食べる機会もあるかもしれませんから、そのときは今までよりは気楽に食べられるかと思います。

この記事が参加している募集

至福のスイーツ

ご覧いただきましてありがとうございます♪