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もしも、生まれ変わっても

コストコ、ああ故郷

コストコ、こっちではコスコと呼ばれる。メンバーズカードを持っていないからアメリカに来てからまだ行ったことないが、わたしはある時コストコのうしろのバス停でバスを待っていた。コストコの換気扇からむわっと小麦の焼ける香ばしいにおいがしていて、コストコ特有のにおいがわたしを覆った。逆輸入というか、なんともおかしな話なのだがバスに並びながら日本にいたときのことを思い出していた。わたしにとってはコストコは昔から家族で遊びに行く場所だったので、コストコのにおいというのはもはや「懐かしい」においなのだ。アメリカに来て、アメリカンなにおいを嗅いで日本を思い出すとは変な話だ。どうせIKEAに行っても(これもこっちでの呼び方はアイケアである、そしてアメリカのものではない。)懐かしさを感じるのだろう。

こちらに来て2,3ヶ月はとにかく楽しくて、日本のことなど少しも思い出さなかった。日本食も食べていなかったし、故郷を思い出して悲しくなることなどなかった。考え方がひどく極端な人間なので、「こっちに骨を埋めるぜ!」くらいの勢いでいた。しかし、クイーンズモールというショッピングモールにひとりで買い物に来ていた時、たしかこちらに来てから4ヶ月ほど経っていただろうか、わたしは今までに経験したことのない寂しさに襲われた。そこには家族連れがたくさんいて、ひとりで歩いているのはわたしくらいのものだった。この異国で、家族もおらず、英語もわからず、大きなショッピングモールで、わたしはひとり立ち尽くしていた。経験したことのない、大きな孤独がぼっかりと口を開けてわたしを飲み込むのを待っているのが見えた。まさか、アメリカに来て「ショッピングモール」でそんな気持ちになるなんて予想すらしていなかった。が、とにかく寂しくて、苦しくて、モールに行くのが苦手になってしまった。中流階級の家庭で育ったわたしには、モールはあまりにも生活に馴染みすぎていて、懐かしくて、楽しかった思い出しかないのだ。家族で車に乗って、適当にモールを歩いて、見たいものがそれぞれ違うから単独行動をして、時間になればフードコートでうどん食べて帰る。そういうなんでもないことがもうできない、と言ったら大袈裟だが、そう思うとひどく苦しくなった。こちらに来てから、自分がいかに家族が好きだったかを思い知って、ありえないくらい寂しくなって、気を紛らわせるためにその日はプレッツェルをかじりながらバスに乗って帰った。いつも何かかじっているな。

ヒナフェス

先週は誕生日があって、いろんな人からメッセージをもらった。家族はわざわざビデオ通話をしてくれた。わたしと妹は誕生日が近く、4日違いだ。大きなケーキにわたしと妹の名前を書いたクッキープレートが乗っていて、ちゃんとわたしの分のろうそくも立ててあった。もう24歳なのだが、こうやって遠く離れていても祝ってくれる家族がいるのは心の支えになるし、嬉しくなったし、やはり会いたくなった。離れることで家族の大切さがわかるというのは本当のようだから、みんななるべく早く実家を出よう。実家を出てよかったことしかない。寂しいけど。

取り止めのない文章で申し訳ないが、今年の誕生日は本当に特別なものになった。24歳という年はわたしの親がわたしを生んだ年であるので、子どもの頃はまさかそんな歳、大人だと思っていた歳にニューヨークでへっぽこ留学しているとは思わなかったが、なかなか楽しく暮らしている。ビッグバンドのクラスで、サプライズハッピーバースデーを演奏してもらったり、その後夜遅いのに近所の友達が集まってお祝いしてくれたり、その次の日に授業で会った友達もみんなおめでとうって言ってくれたり、もちろん日本からもたくさん誕生日のメッセージをもらって、こんな幸せな人生がわたしの人生でいいのだろうかと嬉しくなった。しかも時差があるから、3日間くらい誕生日の気分だった。ヒナフェスである。

8月20日金曜日

同時に、ここアメリカに来た日のことも思い出していた。

8月20日金曜日、空港から見上げた空は青く、高く、そしてとても澄んでいたことを今でも覚えている。新しい生活の始まりに、もっとも適した陽気だった。その時、わたしは幼い頃好きだったとある曲のことを思い出していた。

ポケットビスケッツの「Yellow Yellow Happy」という曲だ。

昔の番組の企画かなんかの曲だったと思うが、歌詞が好きでよく聴いていた。この曲の歌い出しがこれ。

もしも 生まれ変わっても また私に生まれたい
この体と この色で 生き抜いてきたんだから

わたしはここに来るまでに、何度も「これは本当に自分の人生なのか?」と思っていた。音楽をはじめて、色々なことを経験して、ニューヨークに行きたくて、金銭的にも実力的にも崖っぷちの状態からなんとか渡米して、こうやって生きていることが、今だって信じられない時がある。自分の人生にしては、あまりに楽しくて、美しくて、大切にしたいものを抱えている。

わたしは本当にたくさんの人の愛を存分に受けてきたし、私も私の周りの人たちのことが本当に大好きだし、愛がある。だからこそ、過去にどれだけ嫌なことがあっても、これからどれだけつらい思いをしても、「生まれ変わっても、また私として生まれてきたい。」と思えた瞬間はこの先の人生の「お守り」のようなものになるのではないか。わたしがわたしであってよかった、と思えた経験はきっとこの先の支えになっていくだろう、なんて思う。

留学生活で、日本にいる家族が恋しいとか、友達に会いたいとか、そう思うことはよくないことだと思っていた。けれど、わたしに帰る場所があって、いつでも待っててくれる人たちがいるという事実がこちらで頑張る原動力になるのだろうと思う。柄にもなく綺麗事を並べていて正直ものすごく恥ずかしいし、酔っ払っているような脳の状態なのできっと後から後悔するのだろうが、まあ誕生日くらいいいだろう、ということで。

お誕生日おめでとう、わたし!

これからもわたしのこの体で、この色で、生き抜いていきます。

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