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【 #ハロウィン2023 】ユキノ、フィリア 【雛杜雪乃 / 男性Vtuber / 短編小説】

「ハッピーハロウィーン! お菓子をくれないと、イタズラしちゃいますよ?」

 コンコンと、ドアを叩くノック音がする。それから間を置かずに、取り付けられたインターホンが鳴る。壁面のディスプレイは、隣人の彼が西洋の盆フェスティバルを楽しむ声を届けてくれた。
 寝ぼけまぶたを擦る。いつの間に眠ってしまっていたのだろう。夕食は済ませていただろうか? 着替えは済ませているみたいだが、入浴だっていつしたのか覚えていない。
 どうにも思考がまとまらず、ふわふわとした夢心地が続いている。よほど変な眠り方をしてしまったのだらうか。
 ぼんやりと頭をひねっていると、再度確認用のパネルから彼の声がする。先程よりもノックの音は遠慮がちで、なにかしらの違和感を感じとっているようだった。

「あ、あの〜。大丈夫ですか? せっかくのハロウィーンなので、雰囲気だけでも楽しもうと思ったんですが……」

 ディスプレイに視線を向ければ、玄関前に立つ隣人が見慣れぬ仮装姿で立っている。黒字のスーツに白のストライプ。胸元には可愛らしいカボチャやオバケのラペルピンが着けられており、このイベントを楽しもうと入念に準備をしてきた様子が伺える。
 浮遊感でふらつく体を起こし、おぼつかない足取りでインターホンから応答する。声はかすれてとても聞かせられたものでは無いが、それを聞いたとたんに彼の嬉しそうな返事が返ってくる。つい先程まで心配そうに口元に手を当ててそわそわと体を揺らしていたのが嘘のようだ。
 壁に手をつきながら玄関にたどり着く。鍵を開けて、ドアを開く。遠方には毎朝見ている雑多な住宅街が広がっていた。

「あ! えへへ、ハッピーハロウィーン!
お菓子をくれないとイタズラしちゃいますよ!」

 さっきも聞いた。二度目だと言うのに、彼はやたらと嬉しそうだ。笑顔によって薄く開いたまぶたから、蜂蜜のような琥珀色がのぞく。しかし、その視線に感じる感覚が、どうにも違う。

「……どうかしました?」

 自身のいぶかしげな表情を感じたのか、ふっと表情を曇らせて、声色は心配そうなものへと変わる。
 数瞬の間、感じた違和感を反芻する。目の前で、心配そうに眉尻を下げてこちらの返答を待つ彼を見る。何も違わない。
 彼が浮かべている表情も、眉間にしわが寄ったときに下がる眉尻も、不安そうなときに唇を触る仕草も。一挙手一投足が彼のものに違いないと、そう思う。
 きっと、思い過ごしだ。自身の肉体がもっと彼のように人外のソレに寄ってしまっているならとにかく、いわゆる神話的な事象に気が付くことなんて、出来るはずがないのだから。一度だって、そんな事件に関わったことだって無いのに――。

――ジクリと、脳髄が痛む。

 視界がパチパチと赤く明滅する。後頭部が後ろから焼けるような熱を感じると共に、幾本かの血管が千切れたかのような異音と、聞き覚えのある鈴の音のような鳴き声を聞いた気がした。
 決して手放してはいけなかった記憶を、取り戻した感覚がした。
 夜風のように冷たく、透き通った思考の中で、彼の眼を見る。

「なにか、気になるものでもありましたか?」

 白目の中におびただしい触手を浮かべた、彼の眼を見る。琥珀色の虹彩の渦に、恐怖に硬直した自身の姿を見る。
 テケリ・リ。テケリ・リ!
 鈴の音が、鼓膜を揺らした。
 肌が縮みあがるような冷風が、露出した皮膚をなぞっていく。
 彼の背後に広がるはずの街並みには、明かりの一つだって灯っていない。
 静まり返った街の中に、水底から昇る泡のような音だけが響いていて――

「――具合も悪そうですし、今日はもうお暇しますね」

 彼の声で温度を取り戻す。
 気がつけば背後の街並みにはいつも通りの明かりがともっていて、目の前に立っている雛杜雪乃も、優しそうに笑う柔和なお兄さんだった。
 私は深くため息をついた。身体の緊張は解けて、思わず玄関先に座り込んでしまうありさまだ。

「あぁ、やっぱり。もう、ダメですよ。お声掛けした僕が悪いんですけど、具合が悪いのに出てきたりしたら」

 眉根をひそめながらも、彼は力の入らない私の体を抱え起こし、そのまま歩ける範囲まで付き添ってくれる。
 お礼の言葉を帰そうとするものの、かすれて覇気のない声は、上手く音になってくれない。彼は私の体を抱えたまま、そんな様子に困ったような顔をして、ポケットの中からいくつかの包みを取り出した。

「これ、本当はハロウィンのお菓子としてお渡ししようと思っていたものです。そうも言ってられなくなってしまったので、お薬の代わりと思って食べてください」

 それをそのまま手のひらに握らせて、彼は部屋の前に立つ。

「それは琥珀糖ってお菓子です。キミが喜んでくれるようにって、綺麗で美味しく食べられそうなものにしてみました」

 身体にも効くと思うので、欠かさず食後に食べるようにと彼は言い添える。その言葉が過保護なものに思えて、思わず笑みがこぼれる。彼はまた困ったように眉をひそめて、指先をなぞった。

「もう、笑いごとじゃないんですからね」

 当たり前で、ありふれた日常風景が心を溶かす。

「それじゃあ、今日はしっかり休んで、後に響いたりしないように養生してくださいね」

 ハッピーハロウィーンと、言葉を残してドアは閉まる。
 疲労と緊張でぼんやりとした身体を引きずって、倒れるようにベッドに転がる。うすぼんやりとした眠気が心地よくって、そのまま眠りについてしまおうとポケットの中身をテーブルへと転がした。
 そのうちの一つの、包み紙が剥がれる。
 見れば、綺麗にカッティングされた宝石のような光沢が、私の姿を映していた。
 琥珀糖をひとつ、口へと放り込む。コーティングからわずかにジンジャーの風味を感じた。割れた隙間からは蜂蜜の甘さが広がってゆき、少しずつまぶたが閉じていった。
 寝落ちる寸前、包み紙に書かれた文字を読んだ。

 包み紙には、フィリアとだけ、書かれている。

illustrator:花吹色 様

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