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#わたしをかたちづくったもの 歪んだ愛

平坦な人生では無かったと思う。今の私があるのは一つ一つの出来事や人との出会い。そんな積み重ねだと思う。

大学を卒業し就職してそして結婚し子供が生まれるまでは、全く不満が無かったわけではないが苦労することが少なかったと思う。大学入学も付属高校だったためそれほど受験勉強することもなかったし、就職活動をしていたときはバブル期だったこともあり一部上場企業に入社し。第一希望としていた部署に配属され、それなりに恋愛をし、そして結婚した。

けれど、その結婚生活は約10年で破綻した。その理由はまだここには書けないが、そのきっかけは夫婦間での価値観の相違による歪みだったと思う。自分の中ではとっくに終わっていたはずのことだけれど、やっぱり書くことができない。

それからの私は生活できるだけのお金を稼ぎ、子供を育てていかなければならなかった。専業主婦になっていた私はまず職を探すところから始めなければならなかった。正社員は一旦諦め派遣社員で働くことにした。どんな雇用形態でも働けることはありがたかった。

けれど、一度閉じてしまった心は開かなかった。強くなかった。そして何かに寄りかかりたかった。

愛が欲しかったのか、それともお金が欲しかったのか、優しくされたかっただけなのか。ただ現実を忘れたかったのか。どれもが本当だったと思う。

ただ、私は人に対しての寄りかかり方を知らなかった。

愛してはいけない人を本気で愛してしまった。このままではいけないと思いながらもどうしようもなかった。私はその愛に一喜一憂しながらもそれに耐えきれず別の人とも付き合うこともあった。そして「俺と一緒にいたら生活費をあげる」といった男とも付き合った。

今思えば本当に何をやっていたんだと思う。ただ愛という名前の妄想にゆだねていただけだったと思う。あのころの私は、母親としても、女性としても、そして人間としても最低だった。

ただ、皮肉にもそんな彼らに生きていくすべを教わった。
生きていく力、稼ぐ力、鈍感力、要領よく生きる力そして諦めること

かなり歪んでいるが、きっと今の「わたしをかたちづくったもの」ではないかと思う。もう彼らと会うことはない。けれど今思うとあの日々は私にとって必要だったのだろうと思う。

今、私は穏やかな日常を過ごしている。こんな母親であったものの子供はのびのびと育ち大人の仲間入りをした。そして仕事も今は正社員となり、私生活も比較的穏やかである。

ただ、そんな日はいつまで続くのだろうか。
人生を終えるまで、そんな不安を抱えながら生きていくのだろう。

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「わたしをかたちづくったもの」というテーマでということに決まったとき「いいよ」とは言ったものの、過去を振り返ったときに「歪んだもの」しか思いつかなかった。

ただ自分のそんな思いを言語化したことで、今はその「歪んだもの」を少しずつ元通りにしていく過程であるとともに、これからは歪んだものではなく柔軟なものでかたちづけしていければいい。

今回のテーマは、そんなことを思えるきっかけになったと思う。

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