いんたーみっしょん 「連載中の事」 西尾とか忍殺とかのアレ

前回はこちら。

正気を疑われる類の批評から実録告発風業界裏話めいた展開にスライドしたこの連載も次回で8回目、開始からそろそろ2週間になろうとしています。

1,500~3,500文字程度の短文連載をするのは初めてでして、一気にまとまったものでないものを小出しにしていくコツが全く分からず手探りで進めていくうちに「リンクを張るのが意外にめんどくさい」「推敲はnoteの下書き画面でやると手間も時間も節約できる」「画像の効果は絶大」といった、かなり初歩的で今更感あふれるポイントを学習していたり実感していたりしています。

基本的にテクストはメモ帳で下書きしたものをnoteにコピペして仕上げていて、noteのフォーマットに最適化した文章にする気が最初からないのですが、頻度が2日に1記事を越えるくらいになると文章表現としての完成度以上に記事としての完成度を上げる方が効率が良く、効果が高いように感じるので柔軟にやれればいいかなと。

目標としては短くてもいいから記事を早く完成させてすばやく公開する、という工程に慣れることで、「きっかけを得る → 構想を練る → 書く → 仕上げる → 公開する」の円滑化ですね。

必要なモードにすぐ入れるように頭の切り替えができるようにする。切り替えさえできればすぐ行動に移せますから。

あと、完成度の低さに慣れる。これは個人的な悩みなのですが、これまでの記事では特に完成度にこだわりがあって、ギリッギリまで精度を上げてきたわけです。そうすると質を高くする方法はわかってくるし慣れてもくるのですが、全部が全部その基準になってしまって、そこそこの時間内にそこそこのクオリティで書き上げる必要があってもできないままなんです。

やってないから慣れてない。

ならやろう。

そういうことです。確か竹熊健太郎さんだったと思うのですが、作品の完成度にこだわるのは「作家の才能」ではあるが「プロの才能」ではない、みたいなことをおっしゃってまして、「6割の出来の作品を出し続けられるかどうか」がプロとして続けられるかどうかのラインになりうるのだとか。

質を上げることを重視してそこに注力していた僕の場合、この指摘は本当に重要で、つまり完成度を6割まで下げて連載できるかどうかで自分の向き不向きを確かめよう、というか、完成度100%を目指さない執筆スタイルを身につけるべく、意識の持ち方から判断の質やスピードまで一旦切り替えてみよう、という気になりました。

無論、完成度は高いに越したことはないのですが(竹熊さんもたしか補足していたと思います)常に質の高いものだけを書き続けることはやはり非常に難しく、どこかで質が保てなくなった時、6割の出来でもいいからと書き続け出し続けられるかどうかが、連載を継続するプロでいられるかどうかのポイントなのではないかというのは頷ける話です。

実際に質にこだわるあまり「描けなくなった」と思ってしまい、一時的にせよ連載できなくなってしまった漫画家さんも結構いるとか。

僕は批評を書いてるわけですが、自己ベストではなくとも、自分で納得できる出来でなくとも、実力の8割を切るクオリティであっても、出し続けることが重要なのだということを身体で覚え経験で身につけ思い知る必要がある、と考えたわけで、それでこうした連載企画が始まっているのです。

なので、この連載では意図的に全力の8~6割が出力されるようにコントロールしています。

かつて僕の師匠が言っていたのですが、「たとえば、100の努力で完成度を8割まで持って行けたとする。でな、残りの2割を埋めるのに必要な努力は、同じ100なんだ。だから、8割まで持って行くのは意外に簡単で、『お、けっこーラクショーじゃん』くらいなもんなんだけど、そこから10割まで持って行くのがエラいキツく感じるんだな。そりゃそうだよ、だって100で8割まで来ちゃったんだからもう2割くらい『ちょっと』だと思うもんな。だけど実際はもう100だろ、8割まで持って来たのと同じだけ費やしてやっと2割そういう2割なんだ8割から10割までの2割は。だから良いモノに仕上げるっていうのはすっごく大変、ものすっごく大変で、8割そこそこのモノにする方が楽で利口っちゃ利口だな」って。

とは言え「『手を抜けない』弊害」もあるようなので、とりあえずそこそこのあれこれを費やして8~6割の出来のものを出し続けられるようになることが、現実的には必要なのだからな、という気持ちでやっております(小池一夫さんの言っていた「辛い時は技術でしのぐ」という意味合いのこともこういうことなのかな、と)。

ちなみに師匠の話はこう続きます。「でもなぁ、お前らくらいがそんな手抜きしちゃ駄目なんだよ。腕上げなきゃいけないんだから、もうギリギリの限界、『これ以上は無理です~!』っていうキツいところまで毎回行って、毎回それを乗り越えるぐらいじゃないと。でなきゃ腕なんて上がらないしプロとして最低限のレベルにもなれないぞ」

とりあえず、これまで肝に銘じてきたそれのお陰で100%全力の力は上げ続けてきたので、ここらで連打の回転を上げる練習に入ってもいいのかな、と。

で、連載でも書いた通り、レスポンスの確かさがあるニンジャスレイヤー翻訳チームからこの連載についても応答があったり(病魔は打ち払われたのだろうか。心配)、期間中に西尾維新『ぺてん師と空気男と美少年』を読んで、これから書こうとしている内容が既に書いてあったりといったことが起こっています(なんかカンニングしている気分になったり……)。

リアルタイム性が高く大抵は24時間以内にSNS経由で短いメッセージが受け取れる相手と、商業出版を通じて何ヶ月ものタイムラグがあった上で何百ページというテクストの中に大量のメッセージを忍ばせて送り付けんとする相手から、ほとんど同時にそれぞれのやり方で送ってきたものを受け取るというのは、なかなかオツなものと言えるでしょう。

わーい! やったぁ!!(← 喜んでみました)。

そんなこんなで、これからも『西尾維新を読むことのホラーとサスペンス、ニンジャスレイヤー、そして批評家の立場と姿勢の話』を。

よろしくお願いします。


(いんたーみっしょん、終わり)

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