ハイレベルな集中を身につけて作品の質を上げる方法 クリエイターの為の批評コラム

前回の続きで、「仕上げ段階」をテーマに詳しく。中級者向け。

作品を完成させる事が重要で、その為の障害が仕上げ段階の大変さが分かっていない事。対策は作品作りにおける力の配分がどうなるかを適切に知る事で、完成度80%を境に辛さが跳ね上がり、完成度を上げる為に必要な力は4倍になる。そこからが仕上げ段階で、80%までと同じだけの力を費やしてようやく100%完成する。だから80%までやってみて辛くなってきた頃、まだ自分の力が半分以上残っているかどうかが完成させられるかどうかの目安になる。

今回はその完成度80~100%までで使う仕上げ段階用の力の使い方の話です。


作品を100%完成させる経験を何度か積むと、仕上げ段階の大変さとそれ用の対策を考えるようになります。集中しなければならない、体力の消耗が激しい、その割に進まない、けれど目に見えて出来が良くなる、なにしろ大変なんですがこの最後の「目に見えて出来が良くなる」に誘われて仕上げ段階に取り組むのがむしろ楽しみになってきたりする。けれどもやはり大変は大変なので、長時間仕上げ作業を続けるのは最初の内は難しい。でもやりたい。そこで課題を解決する事になります。体力をつける。精神力を鍛える。必要な栄養を十分に取り、疲れを取り、長時間の高負担に耐えられる自分を作る。良い作品をどんどん作る為にまず作品作りに耐えられる自分を作るようになります(この辺にもコツや前提知識はありますが、別の機会に)。

そんな風に取り組んでいると仕上げ作業にも慣れてきて「仕上げモード」を実感し、そのモードに入れるようになります。仕上げ段階の集中力や身体の使い方を体感する事でその感覚を覚え、何度も経験していく中でその感じに馴染み、集中してハイレベルなアウトプットが出来るモードに入るコツが分かるのです。そうなると意識的に仕上げモードに入れる為、完成度を80%まで上げなくても制作のどの段階でも仕上げモードに入り、ピンポイントで狙った所だけ質を高める事が出来るようになります。

作品全体とのバランスは常に考えなければならないものの、仕上げモードを使いこなせれば習作を作り特定の課題に絞って練習するのに大変便利で、具体的な目的を達成する為にとても役立ちます。「この部分の最終的なアウトプットはどのレベルまで達するか」を事前に効率良く把握できるのですから、分からないより断然楽ですよね(この先なのかこれとは別なのか「部分的にはいいんだけど全体として見ると良くない」という罠があるにはありますが、これも別の機会があれば)。

ストーリー、それも長篇ともなればいつどのように見せ場を作るかというのは重要なポイントです。自分の武器を磨くにも、受け手の都合を考えるにも、「ここ!」という狙い所を定めて質を上げられるようになると良いものが出来ると思います(ちなみに、最初の内はとにかく手当たり次第に全体の質を上げてみるというのがお勧めです。どこが効果的なポイントなのか見分けられるようになりますし、仕上げモードを長く保つ持久力が鍛えられ、実験にも実践にも生かしやすくなり、腕を上げるのにも有利です。というか、仕上げモードに長く入っていられる事自体がそれなりの腕前があり、それだけの経験が必要な事でもありますが……)。

で、ここから先は仮説なんですけれど、ひょっとしたら「常時仕上げモードに入りっぱなし」でいる事も出来るのではないか、と思うんですよ。多分行けるんじゃないかな、って。

どうしてそんな事を思うか、と言いますと。

僕は反復練習最強説の信奉者で、折に触れて表明してもいますが、様々な訓練や練習方法を色々と見たり試したりした結果、どうも反復練習が一番だと。物語を読んでいても修行シーンとか大好きで、何故修行シーンは不人気と言われているのか全く理解に苦しむのですが、フィクションの、それも少年漫画の修行シーンってどこか作者の実感がこもっていて、読者である子供達に嘘を吐かずに本当に役立つ事を伝えようとしているように思えたりするのです。

何を言いたいかというと、『ドラゴンボール』で鳥山明が描いてきた数々の修行シーンは、物語的な規範に則ったものでもあるものの、子供達に伝えたい内容でもありつつ、更に鳥山自身が『週刊少年ジャンプ』で連載してきた経験によって得たものが反映されているのではないか、という事です。

全部が全部、という訳ではありませんが、鳥山が描く修行シーンではとにかく基礎体力をつけスピードや瞬発力を上げ、一定以上のパワーが出るようになる地味な訓練がかなりあります。そこに垣間見える思想は「圧倒的な基礎を身につける事は、小手先の技術を身につける事に勝る」。地味な訓練を嫌がらず、同じメニューを繰り返しやり続ける事が、自分の力を正に基礎的な水準から向上させる、その事にこそ時間をかけるべきだ、と(それまでのスポーツものや格闘ものなんかの「必殺技」「秘密の特訓」へのアンチテーゼやジャッキー・チェンなどの演じるカンフー映画のオマージュもあるでしょう)。

重りをつけてひたすら走り続けるとか、先の見えない塔をとにかく登り続けるとか、素早い相手を捕まえるとか、凄く単純なものがかなりあります(そうでないものだと「飲んだら死ぬかパワーアップするか」という薬を飲むとか、誰かの特殊能力で潜在能力を引き出してくれたり、潜在能力以上の力を引き出したりがあります。努力や修行とは言えませんが、物語的にはこういうのでも面白い)。

面白味はないけれど、地道な努力って大事だよ、というメッセージなのかなとも思うのですが、同時に物語性がそうさせているようにも感じられ、俄かに判断し難い所。ですが「爆発的な強さが得られるものは消耗が激しいという弱点を持つ」というよくあるパターンを回避している、というか乗り越えられるのではないか、という可能性を鳥山は示しているように見えるところがあります。それが「常時超サイヤ人状態でいる」という修行。長年ジャンプで連載してきた漫画家として、仕事をやり続ける内に、「常時仕上げモードでいる事が出来る」と気付いた鳥山が、その体験を主人公に託したのではないか。僕はそういう可能性があるんじゃないか、と思うんです。

なにしろ週刊連載はハードでしょうから、それを10年以上の長期間に渡って仕事をし続けていれば腕も上がるしコツも身に付くでしょう。ただでさえプロとして力がついているのにそこに輪をかけて向上していく。その先の景色が作品を通じて見えているのかもしれないし、そうでないのかもしれませんが、ともあれ、現実に何かに取り組んでいる自分達が、とんでもない仕事を成し遂げた漫画家から、自分達の力にできる何かを抽出できるとしたら、こういうものになるのかな、という風に考えています。

「常時仕上げモードでいる事」が本当に可能なのか、まだ確信を持って言う事はできませんが、「ある」と仮定して僕はやっています。

そういうものが遥か遠くにあるのか意外と近くにあるのかそれともないのかは知りませんが、とりあえず存在する仕上げモードの話をすると、やはり急激なパワーアップと引き換えに消耗が激しく時間が限られ、下手すると寿命が縮まる的な反動の大きさがあるようです。それこそ『ドラゴンボール』でもこういうものはありますけど、現実的な活動の中でも極限状態では(耐え切れれば)こんな事が起こる事もあるようで(しかしこういうものは「狙って」あるいは「選んで」やるものなのでしょうか。なんかキツい事続けてたら偶然そういう状態に入ってしまう、みたいな感じがするんですけど)。

とりあえず中級者向けに言える事は「仕上げモード」の体得というステップがあるよ、という程度でしょうか。具体的な使い方は以前にも書きましたけどもう少し練り込んでからまた考えてみたいですね。僕もやりながら考えたり成長しながら書いたりしてますから。

ああ、でも1つ。長い作品を作る事と仕上げモードが使えるかどうかは多分関係ないと思います。ダラダラしてて詰めの甘い「作品」だったら完成度80%でも作れるんですから。きっちり100%まで仕上げる経験と、ダラダラ80%の作品を薄めて引き延ばすのとは、やはり違います。

長くすると全体の構成が複雑になったりで力を使いますが、それは仕上げモードとは異なるスケールによる増大でしょう(その分仕上げ段階に必要な力も増大するので完成させるのが大変になりますね)。

続きます(プロットやストーリーの話と合流するかも)。



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