久実

2017年最愛の母を亡くし、翌年自分が癌と知る。3歳と2歳の子供を育てながら、体のこと…

久実

2017年最愛の母を亡くし、翌年自分が癌と知る。3歳と2歳の子供を育てながら、体のことを勉強。生きる意味、使命を考えながら過ごしています。

最近の記事

決断は早く

自分が病気を引き寄せたとしたなら、 治してもらうのではなくて、 自分で治そう。 そして、今の環境を変えよう。 引越ししようと考えて、 どんな環境に身を置きたいのか どんな風に子供と過ごしたいのか そんなことを頭において 不動産屋さんに行ってみた。 何軒かいい家があり、 見に行ってみるも、 目の前でほかの人に決まったり、 条件が合わなかったり。。 またお伺いの約束をして、 帰り、どんな理想を持って引っ越すのか 夫と話しながら、 ある程度の譲れないことを出し合ってみた。

    • 自分を生きる

      とりあえず行動してみよう。 病気のことを考え込むと 瞬間的に落ち込む すぐ上がる そんな時間を繰り返して 時間だけが過ぎていく。 出来ることはやってみよう そう決めた私と夫。 朝、保育園に子供たちを預けて 向かった先は引っ越したいと思った場所での不動産屋さん。 単なる思いつきで、 そこまで気持ち的にのらないけど とりあえず行ってみた。 そこで、 実際に目で物件を見て、 土地を見て 空気を感じて 私は引っ越したいと感じた。 新たなスタートを切るのに 病気と共に生

      • 自分の中で問うたもの

        母を失いぽっかり空いた穴に 追い討ちをかけるように知った私の癌。 何がいけなかったのか なぜ私にだけこんなに不幸なことが起こるのか。 すごく落ち込み 自分を責め 家族に不安な想いをさせた。 今までの行動が病気を作り 我慢し、ストレスを溜めてたことが 身体の不調を招いていた。 自分さえ我慢すれば 子どもたちが小さいから 自分を大切にしない言い訳なんて いくらでも出る。 作られてしまったものは仕方ない。 これは自分を犠牲にしてきた結果だ。 だけど、今まで30年以上生

        • 何が大切なのか

          自分の身体が癌を作るような働きをしてると知り、 母の時に調べたことを自分の身体で実験できると思った。 一番大切なのは、 身体とどう向き合うか。 何を信じ 何を実践していくか。 母が病気になった時 藁にもすがる思いで必死に調べ 何がいいのか何が良くないのか なんでも取り入れようとそんな気持ちだった。 だけど、一番肝心な 母の気持ちを無視していた。 これで良くなるんだから お母さんやってよ! これがいいから飲んで! これは食べないで! 母の気持ちは どんどん苦しくなっ

        決断は早く

          すべて伝わってる

          私の甲状腺に腫瘍があると分かり、 良性なのか悪性なのかがわかるまでの数日間。 子供たちに気づかれないように 涙は見せないように 不安な顔はしないように 苛立たないように そんな風にして過ごした。 きっと大丈夫よ。良性よ。 そう思い、直後に 体力落ちてるよね。 悪性なのかな。 頭の中でぐるぐるしながら どうかこの気持ちの揺らぎがバレないように 過ごしていたつもりだった。 母が亡くなった時は なりふり構わずどこでも泣いてた。 子供の前だろうが 人前だろうが 道端だろう

          すべて伝わってる

          自分を犠牲にした結果

          自分が癌だと知り 身体は強くないからなぁとは思っていたけど、こんなに若くになるなんてとヘコんだ。 まだ、比較的大人しいものだということは分かって少し安心したけど、問題はそこじゃない。 自分が喜ぶ生き方ができてないから 我慢すればいいと思っていたから 何が原因だったのか ひとつではないと思うけど、 医学的なところから 心の部分からいろんな見方ができる。 病気にはなったけど、私は不幸でもなく、 みんなの愛をたくさん感じ、受け取り たくさん泣いて、幸せを感じてる。 ほんとに

          自分を犠牲にした結果

          自分が癌だと知った日。

          2018年夏。 その日は暑くて夏バテだと感じ、授乳中にも関わらず、ほとんど食べれずにいた。 お義母さんとお昼ご飯を食べている時に、 看護婦をしているお義母さんが ふと口にした。 『甲状腺が腫れてる気がするから一度検査に行ってきて』 いつもの私なら 苦手な病院に行くのはちょっと、、と気が重かったけど、何となく検査だけ受けてみようと思って、お友達のクリニックに。 自分ではなんの違和感もなく行ったら、 『これは腫れてるね、誰が見つけたの?』と病院の先生に聞かれるくらい、分か

          自分が癌だと知った日。

          去年の夏。私は癌になった。

          言葉をまとめたいと思いながら、なかなかまとめれずにいた。 きっとこのまま、頭で考えるだけでは私は言葉にしないのだろうと思った。 私の身に起きた出来事は、こらからたくさんの人の身に起きることなのだと知り きっと私が体験した癌というものが人の役に立てるのかもしれないから、言葉に残してみようとそう思いようやく今日あまり語りたくなかったけど、起きてきたことをしっかり少しずつ綴っていこうと思えた。 それだけではなく、私を取り巻く環境、生きようとしている世界はきっと誰かのためにな

          去年の夏。私は癌になった。

          兄から妹に。

          インフルエンザだと思われる高熱が続き、さすがに一週間でくたびれた。 術後1ヶ月経ってないのに、なかなかハードだったなと思いながらも母はがんばれるのだ。 妹は、兄が保育園登園許可が下りた日、昼過ぎまで寝て、ご飯を少しだけ食べて、またさらに夕方まで寝た。 これで回復するというのを、知らず知らず実践しているのだろう。 二人揃って人生初のインフルエンザは疲れただろうけど、また治癒力をあげるいいタイミングだったのだと思う。 こういったことでさらに、自然治癒力のことをもっと知り

          兄から妹に。

          インフルエンザを自然治癒

          高熱が続く息子を何が原因か知るために病院に。 保育園に行き始めるまでは病院とは無縁で自然療法を使って治してきた。 病院には病名を教えてもらうだけであとは家にある本で調べて体の力を信じて治す。 39度台がずっと続くから保育園にも行けず原因を知るために行くとインフルエンザだった。 当たり前のように出される薬の内容を見て必要ないと感じて、熱を出すだけ出して、体を温め、お塩を少し混ぜた水をたくさん飲ませて、体が治そうとする力を信じて。 人生初のインフルエンザはきっとすごく辛

          インフルエンザを自然治癒

          高熱の朝

          ずっと気になってたnoteをはじめてみる。 本当なら保育園に送って用事を済ませるはずが明け方からの高熱で予定変更。 今年4歳になる息子が久しぶりすぎる高熱を出しいつもならそっけない態度なのに『がっきー!』と叫ぶ。←何故か母をそう呼ぶ。 こうして手を握って安らいでくれるのは後何年続くのだろうと思ったら、手を離せずにいた。 高熱でうなされてる姿をみて、何ができるのかしっかり考える。 こんにゃく湿布で身体を温めて、漢方塩を入れたお水をたくさん飲ませる。自己治癒力を信じて頑

          高熱の朝