考えるな、動け
『ただ、立ちつくす、眠る、食う、動く、思う、そういった人として当たり前の行いを、その意味を問わず、巡り会うごとにきちんきちんとやり遂げていく。そうしていれば一生などあっという間じゃ。悩んでいる暇など本当はないはずなんじゃ。』
ーグミ・チョコレート・パイン/大槻ケンヂ
前々回のnoteで引用したオーケンの「グミチョコ」は僕の中で空前の大ヒットとなり、図書館戦争と交互にここ1ヶ月くらいずっと読んでいる。
僕の思考は、よくよく考えて突き詰めると中学校2年生の頃のもので止まっている。恥ずかしいことだ。「グミ・チョコレート・パイン」の登場人物たちより幼い。だけど、実は僕はそんな僕の思考が結構好きだ。
例のnoteでも書いたけど、自分は何か特別な力があって、きっとそれを発揮できていないだけ。その特別ってなんなんだろうってごまかしながら生きている。この小説はそんな僕に突き刺さるな、と思ってしばらく読み進めていた。
ところで最近めっきり寒くなった。
寒いというのは何よりも怖い。
寒いことが引き金となって何もできなくなった冬から4回目の冬。去年は冬だけどあったかかったからカウントしなかったら、3回目の冬。
ずっと前のことのように聞こえるけど、僕はその呪縛からまだ逃れられていない。
そんな僕にとって「寒くなること」が今何よりも敵で、寒いというだけで生きるのがしんどい、というか、なんというか、頭が悪い言い方をすると
「生きるのが無理」
なのである。
でも昨日はかろうじて「あ〜やっぱ彼氏欲しいなあ」と思ったのでまだ大丈夫。
そう、人は本当にヤバくなると三大欲求をはじめとして「人として当たり前の行い」ができなくなる。
まず性欲がなくなって、身なりに気を使わなくなる。寝ることができなくなって、そして食べる気力がなくなり、気づいたら生きる気力も本当に失う。
(ちなみに僕の自分の中での簡単なバロメーターは、
ケータイを見る時間が増える→結構やばい
文字が読めなくなる→末期 としている。)
逆に言うと、そんな「人として当たり前の行い」を「きちんきちんとやり遂げる」だけで意外とことは好転する。
アメリカでの初めての夜。前泊したホテルで、実はめちゃくちゃ泣いた。不安だった。銃で撃たれて死ぬんじゃないかとか、友達にいじめられるんじゃないかとか、日本にいる大切な人にもう会えないんじゃないかとか。そんな中、とりあえずシャワーを浴びた。そしたら不思議と、心が落ち着いて、なんかバカみたいにゆっくり寝られた。
オーケンの小説を読みながらそんなことを思い出した。
生きるって実は単純なことだ。
何かを見て考えたり、何かを読んで考え込んでしまうより、何かを「する」力で地球は廻っているんじゃないかな。結構単純なんじゃないかな。
100本の映画より一回のハグのほうが、
100冊の本より一度のありがとうのほうが、
100曲の歌より一つのキスのほうが、ずっと大きな力を持つように。
僕たちは現実を生きている、手にとって触れる現実を今日も生きていくよ。
頭だけで考え込まないで、生きていくよ。
それにしても筋肉少女帯ってすごいバンド名だよね。笑
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