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はじめてパーで負けた日。

「人生って、グミ・チョコレート・パインみたいなものだと思うの。」
             ー『グミ・チョコレート・パイン』大槻ケンヂ

人生が、グミチョコ遊びなら、僕は主にチョキで勝ち続けて、たまにチョキで負けてた。と、思っていた。

僕は他の誰とも違う、お前らとは違う、てめえらとは違って、いつか世界をひっくり返してやるんだよ、と思いながら意地を張ってチョキだけを出し続けていた。

チョコレート
チョコレート
チョコレート・・・・・・・


本気で世界を変えたくて、どうにかしたくて、本気と覚悟を持って書いた作品の上演が終わった。

世界はどうにもなってなかった。
僕は人生ではじめて、パーで負けた。何かに、パーで負けた。

笑っちゃうよなあ。こうやって、数え切れないほどの表現者たちが死んでいったんだ。そんなこと、僕が一番わかっていたはずなのに。

公演を終えて、会場を撤収して、それからいった大学は、困っちゃうくらい、いつもと何も変わらなかった。
変わったことといえば、僕の中の何かがシュッと消えたことだった。

社会って、それくらい強固なものなんだ。僕が何をいったって、変わったりなんて、絶対しない。僕の何かで変わるような世界だったらジョンレノンが戦争を終わらせてただろうし、ゴッホが人殺し行為を消滅させたはずだ。

でも、僕は後悔はしていないし、ここに僕が記したかった気持ちがあって、それを支えてくれた仲間がいて、実際に言葉が誰かの肉体に届いた、という事実がある。それはとても、とても尊いことだ。何にも変えられないことだ。そんな経験が、21年という短い人生の中でできた。

何より、一緒に作品を作ってくれた仲間の多くが「私の世界は少し変わりました」と言ってくれた。この作品を書いてくれてありがとう、と言ってくれた。


世界なんて、変えられない。変えられるわけがない。
それに気づいた僕は多分、パーで負けた。確かに負けた。
でも、僕は世界で一番、胸を張って一番、この負けを誇りに思う。

そして一緒に作品を作った仲間と、見に来てくださったお客さま、この団体を作ってくれた先輩方、みんな、みんなに一番救われたのは、これを書いた僕です。僕は、今日も明日も、僕自身のことを好きでいながら、僕を生きることができます。

だからどうか、どんなお前も、お前のことを好きでいてほしいし、お前を生きてくれ。

ありがとう。幸せです。
僕は明日から、ちゃんとグーも、パーも出すよ。


いただいたサポートでココアを飲みながら、また新しい文章を書きたいと思います。