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何度だってやり直せるし、決断することで人生は開ける

3年前、人間ドックで、25年前に働いていた会社のある駅に降り立った。
じんわりと甘酸っぱいような思いがこみ上げた。

あの会社を辞めた時から、私の人生は始まったのだな、と今は思う。そのときだけではない。自分の人生にはそれまでのすべてがガラッと変わるほどの大きな転機が何度もあった。

たとえば、大学受験や就職で失敗したら、人生のすべてが失敗したように感じるかもしれない。けれど、そんなことはない。そんなの人生の最初の入り口にしか過ぎないのだ。

人生は何度だってやり直せる。そんな話をしてみたい。


20代~40代での転職から学んだこと


話を3年前に戻すと、検査結果が出るまでに少し時間があったので、駅から少し離れた場所にある、昔の会社を見に行くことにした。私は野生のカンで太陽さえ出ていれば、あまり道には迷わない方なのだが、25年の年月はなかなか手ごわかった。何とか到着したら、情報処理室だった小さな事務所は時が止まったみたいにその場に佇んでいた。

当時、会社を辞めるのは、22歳の私には清水の舞台から飛び降りるくらいのすごい決断だったのだ。まだまだ転職は当たり前の話ではなかった。特に女性は、まだまだ仕事でキャリアを積めるなんてほんの一握りに限られていた。

与えられていた仕事は、お茶くみやコピー取りや、簡単なプログラムを組むことと、数値を入力してデータを抽出し帳票を作り、全社に発送すること。毎日同じことの繰り返しなのに、私は毎日何かしらミスをした。誰にでもできる仕事ができない、それがあの当時の私の現実だった。

それから10年以上の年月が経った。

建築系やWebの仕事やライター仕事などで、私は再び会社勤めをするようになった。仕事ができないといわれたことはない。ただ25年前には、自分にとって絶望的に向いてない仕事をしていただけだったのだと気づいた。

25年前にあのままあきらめていたら、自分は仕事ができないと自分自身にレッテルを貼ったままだっただろう。そういうことって意外と多いものだ。周りにも、すごく高度なことはできるのに、コピー取りがどうしてもうまくできないという話を聞く。

コピー取りをバカにしている訳ではないが、一見簡単に見えることでも、できないひとはできないし、できないことで自分を無能だと思う必要なんて無いのだ。

あの頃、自分にはきっともっと向いている世界があるはずだ、とあの会社を飛び出した自分をほめたい。仕事は楽だったから、そのまま埋もれることだってできたのに。

それでも、25年後に自分が、絵や文章を書いて生計を立てているなんて想像もつかなかったけれど。


30代での離婚と再婚


時間はぐんと戻って転職して数年後、25歳で結婚した。親が喜んでくれそうな大きな会社に勤めているキチンとした相手だった。このまま子どもを産んで家族を作り、普通に年を取って行くものだと思っていた。けれど、神様は私にそういう安定した人生を与えてはくれなかったのだ。

いろいろあって、自分にはこの結婚生活で子どもを持つことは、不可能だという結論が出た。

子どももなく、打ち込めるような仕事もない自分の人生とは、いったい何なのだろうと毎日毎日考えるようになった。何かしら自分自身の人生を生きたという証が欲しい、そんな想いで離婚を決断したと言ったら、我がままだといわれるだろうか。

よほど孤独を好む隠者のような人でない限り、人には「居場所」が必要だ。どれほど金銭的や時間的にゆとりのある生活を送っていても、自分の帰属する場を持たなければ、それは不幸なことだと思う。

家庭の中にも居場所がなかった。毎日家にいる私の場所でもあったけれど、当時の夫と家族らしい絆が築けていたかと言えば、それは疑問だった。それはもちろん、相手だけの落ち度ではない。

30代半ばになっていた私は、バリバリ仕事をしているキャリア志向の人とはもちろん、子育て中の専業主婦とも全く会話が合わなかった。たまに会って数時間だけ間を持たせるならばまだしも、その中に入り込んで日々の友人づきあいを続けることは不可能だ。

自分の居場所を求めて、私は離婚をした。

二度目に自分の人生が始まったと感じたことは、このときだ。

離婚した翌朝、警察署に名義変更に出かけた時の事。寒い日で、署を出た途端に突風に吹かれて、思わずブルリと震えた。

これでもう、ひとりぼっちなのだと感じた。自分の方から言い出したことで、後悔なんてみじんもなかったけれど、それでも心細さで震えがしばらく止まらなかった。ああ、今まで守ってもらっていたんだなぁ、と最後に少しだけ別れた相手に感謝して、そして歩き出した。

そして初めて、生きて行くために仕事をした。最初の結婚をするまでひとり暮らしすらしたことのなかった私は、初めて自立するという意味を知った。それまでの自分がいかに甘ちゃんであったかにも気付いて恥ずかしかった。

必死に生きるうちに、今のオットと知り合った。結婚はハッピーエンドではないから、再婚後も順風満帆というわけではなく、大変なことはいっぱいある。それでも、一度も後悔したことはない。

今確実に言えることは、自分には居場所があるということ。その一点だけで、私は新しい人生を選んでよかったと思える。

何より、自分は自分の人生を生きていると思える。「本当はこうしたかったのに、親や子供(や自分でない誰か)のせいであきらめた」なんて愚痴りながら人生を終わらせるなんて、絶対に嫌だから。


大切なことは自分で決めるということ


今思えば、10代から20代は親の敷いてくれたレールに乗っていればよかったから楽だった。でも、安定した会社も結婚も、私に幸せをもたらしてはくれなかった。

絵に描いたような幸せを捨てた時から、本当の人生が始まった。

いつも傍から見れば、それなりに恵まれて見える人生を送っていたと思う。けれど、人からどう見えたとしても、それが自分にとって幸せでないなら、何の価値があるだろう?

ただない物ねだりをしているだけでなく、自分の望む幸せの形があるのなら、思い切って前へ踏み出すと良いと思う。たとえ一度や二度失敗したってどうってことはない。

私もここには書いてない失敗もいっぱいしてきたし、今も小さな失敗や恥をたくさん重ねている。けれど、失敗を繰り返しながらも、長い目で後で振り返ってみれば、前より悪くなったことはないのだ。自分がこうありたいと強く望んで行動を起こせば、時間はかかっても、きっとそこへたどり着ける。

いつでも、決断することで人生は開ける。
これからだってきっとそうだ。


今日は、ひな祭り。

陽菜祭りと呼んで、私は自分の第二の誕生日にしている。それで、こんな話を書いてみた。

そして添える絵は、≪私のイチオシ≫過去の人生の中で大切にしていたお店。

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このお寿司は、千葉に住んでいた頃に何度か出かけたお寿司屋さんのもの。もう20年前のことで、店名も忘れてたのに、覚えているキーワードを入れたら、ちゃんと出てきた。便利な世の中だ!

このお店に始めて行ったとき、湘南ナンバーの車に乗ったカッコイイおじさまが友人と連れ立ってきて「な、間違いないだろ?」と言いながら美味しそうに召し上がっていたのが忘れられない。湘南からわざわざ!も納得の味だった。

お寿司を食べて、ホテル三日月に泊まって房総を味わい尽くしたい。

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新刊「ナゴヤ愛 」(秀和システム)好評発売中。2006年ぬり絵本(ダイヤモンド社)2015年コミックエッセイ(PHP研究所)出版。主なイラストのお仕事はNHK番組・新聞・書籍・広告・自治体、イラスト講師など。ひよことプリンとネコが好き。http://www.hiyoko.tv/