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「ねたみ」マイナス感情との付き合い方

マイナスな感情をコントロールすることは容易ではない。中でもやっかいなのが「嫉妬」という感情だ。嫉妬はめんどくさい。わたし自身、ドロドロした感情に囚われて苦しみ、体調まで崩したことがある。

その時のことをお話することにする。聞いていて気持ちのいい話ではない。人によっては不快になるかもしれないことは、最初にお断りしておく。


「嫉妬」する方、させる方、どちらに問題がある?


「嫉妬」はする方とさせる方、どちらに問題があるのか。それは時と場合によると思う。周りの誰彼なく嫉妬を感じるのだとしたら、それは嫉妬する側に問題があるのかもしれない。

けれど、特定の人物にだけ感じるのであれば、それは、感じさせる側に問題があるとはいえないだろうか。

それまで嫉妬など感じたことがなかったのに、浮気性の相手と付き合うことで嫉妬深くなった自分に気づいたとき。これなどは「嫉妬させる側が悪い」例の典型的なものだ。

しかし、明らかに悪者がはっきりしていることの多い色恋沙汰の嫉妬とは異なり、仕事や人間関係上の嫉妬は、善悪を決めることが難しい。

有能で人気者の友人に嫉妬を感じて、己の度量の小ささに情けなくなったことは誰しもあるだろう。SNSで幸せそうな知人の投稿を見て、思わず画面を閉じてしまったなんてことも、多くの人が経験しているのではないだろうか。


「嫉妬」には2種類ある


さて、ここで少し話が飛ぶ。ここまで「嫉妬」と書いてきた感情の中には、心理学上「嫉妬」ではない感情も含まれる。

前項で後半に登場した、仕事や人間関係上の「嫉妬」(と呼ばれることの多い感情)は、実は「羨望せんぼう」という全く別の感情だ。しかし、現代では混同して使われることが多いという。

(※両者の違いについてご存じの方は、2項先に飛んでください!)

「嫉妬」も「羨望」も、はるか昔から定義されてきた概念だ。古くはオリンポスの神々の時代にさかのぼる(らしい)。

ギリシア神話には、大神ゼウスの浮気相手に妻のヘラが嫉妬して、様々な意地悪をした、という話が多数残されている。

一方、日本の七福神の一人で水辺に祀られることの多い弁才天は、嫉妬深いことで有名だ。カップルで弁天様をお参りすると別れるなどとも言われている。

2つの事例を出してみた。どちらも女性が「嫉妬」を感じるものだけれど、一見同じように見えるこの2つの感情は、ひとつは「嫉妬」だが、もうひとつは「羨望」である。


嫉妬しっと(jealousy)」と「羨望せんぼう(envy)」


前者は「嫉妬」、英語で言うところの「ジェラシー」である。

これは、自分の愛する相手(恋人や夫婦などだけでなく、親や教師など)の愛情が他の第三者へ向かうことへの恐れから生じる感情のこと。

ゼウスの愛情が他の女性に向くことに対して、ヘラが感じている気持ちは「嫉妬」である。

後者は「羨望」、つまり「ねたみ」である。カップルを見るだけでねたむ弁財天のように「自分より恵まれた人に対して感じる怒りの感情」である。

両者の違いは、間に愛する対象がいるかどうか。また自分の所有物に感じるのが「嫉妬」で、他者の所有物に感じるのが「羨望」。

とはいえ「嫉妬」の中に「羨望」が混じることはある。たとえば、ゼウスの浮気相手が自分より若く美しい場合などに、ヘラが浮気相手に対してねたむ気持ちを持つことは「羨望」だからだ。

嫉妬・・・愛する者の愛情が他へ移ることを恐れ、憎むこと=三者関係
羨望・・・自分より優れた相手をねたみ、怒ること=二者関係

この二つの感情はこのように複雑に絡み合うことが多いため、混同されるようになったのだろう。長々と解説したが、ここでは「羨望」のほうにスポットを当てて話をする。


謝られると傷つく


結果を出さなくてはと歯を食いしばって寝る間を惜しんで努力しても、まったく結果を出せない人もいれば、「好きなことをしているだけ」のように見えるのに、サラリと成果だけかっさらう人もいる。

わたしにも数年前、こんなできごとがあった。わたしと同様にフリーで仕事をしている友人と「絶対に結果を出さなくてはいけない仕事」を発表した時期が重なった。

彼女から「お互いに応援し合おう」と提案されてもちろん快諾した。

わたしは精一杯、彼女の作品をアピールした。アピールには初動が大切と言われていたので、とにかく早く何度もおこなった。ありとあらゆる自分のメディアで彼女の作品に触れた。

本当にいいと思ったからやっただけなので、そのことを後悔はしていない。

彼女の方はなかなか自分のメディアでわたしの作品を取り上げてくれなかった。いつものように、自分自身の美意識にあふれた美しい投稿は続けているのに、何日経っても、そこにわたしの作品は登場しなかった。

一週間経って、「できればそろそろ、何か書いて欲しい」とせっついてみた。すると彼女からは「そんな風にあなたに言わせてしまってごめんね」と返って来た。その言葉はさらにわたしを傷つけた。


何より大事な「美意識」


さらに数日後、彼女はやっとわたしの作品を投稿した。いつもなら一日に投稿するのはせいぜい2~3個で、間は数時間あける彼女。でも、わたしの作品を載せたあとは、10分も経たないうちに別の投稿をいくつも重ねて、一瞬にしてわたしの作品は、遥か彼方へと追いやられた。

たしかに彼女の美しいSNSの写真の中で、わたしの作品は浮いていた。だから彼女は載せたくなかったのではないか、と感じた。

彼女はわたしが嫌いなわけではない、むしろ友だちだと思っている。応援したい気持ちもちゃんとある。

でも、彼女にとっては、「友だちを喜ばせること」より、「自分の美意識」の方が大切なのだ。そう感じるようになったのは、ここには全部を書ききれないさまざまなできごとからだ。

この作品で結果を出そうと焦っていたのはわたしだけ。インフルエンサーである彼女は、頑張らなくても容易に結果が出せることもわかっていた。だから彼女はわたしが彼女の作品をアピールしようがしまいが、気にしていなかったのだと思う。

彼女とわたしとでは、影響力が違い過ぎて、わたしがSNSやブログなどにいくつも投稿してみたところで、彼女の一つの投稿には束になってもかなわない。

わたしが毎日やきもきしていたことなど、想像もしなかっただろう。「あなたのそんな気持ちをわかってあげられなくてごめんなさい」彼女の謝罪はそういう意味だ。


敗北感にうちひしがれる


彼女はすぐに結果を出せたけれど、それを報告する投稿も淡々として、特に感慨もなさそうだった。

あるとき、わたしがレビューサイトで上位にランクインしていたことをSNSに上げると、彼女から「私も載ってた!うれしい、一緒だね!」とコメントが付いた。

サイトを確認すると、ジャンルは違うけれど、わたしは3位で彼女は1位。彼女は本当に「一緒だ」と思ったのかもしれないけれど、わたしにはそうは思えなかった。うれしかったはずの3位が急にしぼんで見えた。

悪気はないのだとはわかっている。けれど、わざわざ比べるような状況に仕向けてきて、いつも当たり前にわたしより上位にいる彼女。決して勝ち誇ったりすることはないけれど、いつも敗北感だけをわたしに感じさせる彼女。

それをどう受け止めればいいのか。


天然か偽善か


ずっと仲良くしてきた友人。人生の一番つらい時にも励まし合ってきただけに、彼女に悪意を感じる自分を責めた。友だちである彼女の持っている「数字」を利用しようとしている自分の方が、友だち甲斐がないのではないか。

せめて彼女も自分と同じように、必死に結果を出そうとガツガツしていたら、こんな気持ちにはならなかったかもしれない。いつも涼しい顔をして、結果を出せていることにも興味がなさそうな様子が、憎らくさえなった。

自分が欲しくて欲しくて仕方がないものを軽く手にしている彼女の存在によって、本来それなりに結果が出せてうれしいはずの時間は失われた。これは完全にねたみだ。わかっているけれど、どうしようもなかった。

あるときSNSにつぶやいた。
「天然と言われる人の無意識の行動を、どう受け止めればいいんだろう?」
彼女からコメントがついた。
「ごめんね、わたしも天然かもしれない」
自分でわかっているなら天然じゃない、わたしはそう思う。


勝者は「勝ち」を意識しない


それからしばらくは、彼女とコンタクトは取らないままに、SNSでは繋がり続けた。相変わらず彼女のSNSは美意識と多くのファンからの「憧れます」というコメントにあふれていた。

「わたしらしく、丁寧に」と彼女はよくつぶやく。丁寧にキチンと暮らすことは大切なことかもしれない。でもそのために人を傷つけてもいいのだろうか。そうつぶやいたところで、わたしが負け続けていることは事実なのだ。

彼女は自分が勝っているなんて思ってはいないのだろう。

勝者は勝ちを意識しない。意識したくなくても意識せざるを得ず、もがき苦しむのが敗者だ。

ケンカしたわけでもないのに、いきなり関係を断つことはわたしには難しかった。けれど、彼女の投稿を見るのがつらくて、そのSNSを見ることもできなくなってしまった。わたしのようなフリーのクリエイターには、それは死活問題である。

昔のようにお互い、創作が仕事でなく趣味で楽しむだけだったら。数字や結果など気にしなくてもよければ、ずっと仲良くいられたのかもしれない。仕事でライバル関係になると、よい関係でいるのは難しい。


手放す勇気でラクになれた


ある時どうしても耐えられなくなって、彼女とのSNSをすべて切った。距離を置き、投稿を見ないことでようやく心の平静を保てるようになった。数年経った今は、投稿を見ても何の感情もわいてこない。

しんどい関係からは距離を置いていい。そんなシンプルなことに気づくのに、ずいぶん時間がかかった。

わたしは決して自分より売れている友人すべてを羨望するような、心の狭い人間ではないつもりだ。友人の成功を、たとえ一瞬はうらやましいと感じたとしても、すぐに「自分も頑張ろう」と前向きな方向に捉えることができる。

それが長く続く関係なのだと思う。

きっとこの業界で生きていく限り、同じようなことは起こるだろう。自分が苦しくなるような感情を抱かせる人からは、距離を置けばいいのだ、と今は思う。

彼女は彼女の美意識の中で生きていけばいい。それゆえのインフルエンサーなのだから。それは否定しない。

わたしはわたしの世界を生きる。美しくない、オシャレじゃない、でも大切なわたしの世界。泥臭くて人間臭くて愛しい、そんな世界をわたしは生きていこう。





本日も「熟成下書き」(2020/02/24)。うまい落としどころがなかなか見つからず3年半、書き上げるのに苦労しました!


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