「素敵なイラストレーター」を目指すつもりが、なぜこうなった
フリーライター&イラストレーターの陽菜ひよ子です。
ここ数年は、主に地域ネタを書くライターとして活動しているわたしですが、10年以上仕事の中心はイラストでした。
2006年にイラストレーターとしてデビューしたとき、わたしは池袋でひとり暮らしをしていました。2008年7月まで、約2年半ひとり暮らしをしながら、「素敵なイラストレーター」を目指していたのです。
それから17年が過ぎた今、どうなったかといえば・・・残念ながらわたしは、あの頃自分が目指した「素敵なイラストレーター」にはなれていません。
素敵なイラスト・・・たまに描くんですけどね。メインではありません。
ただ、悪くない感じの「ライター(コラムニスト)」にはなれたような気がします。結果として不満はないのですが、一体どこから方向がずれて行ったのだろうかと・・・今日はそれを少し探ってみたいと思います。
正統派イラストレーターを目指したスクール時代
2006年にわたしは、築地にある「パレットクラブ」を受講しました。原田治さんの生家で運営されるイラストレーターの学校です。
原田治さんが1979年に、ペーター佐藤さん、安西水丸さん、新谷雅弘さんたちと一緒に結成したクリエイターユニット「パレットクラブ」が前身。上田三根子さん、森本美由紀さん、100%ORANGEさん、酒井駒子さんなど一流のイラストレーターから実践で教わる日々はとても刺激的でした。
くわしくはこの投稿に書きましたが
学校を卒業した頃、わたしはこういったイラストを描いていました。
このイラストだけを見れば、まぁまぁ「正統派」なイラストだといえなくはないかも・・・しれません。
イラストグッズ制作、イベントをおこなう
この頃はアイロンプリントに凝っていて、せっせとTシャツなどつくって着ていました。味をしめてグッズを量産します。
これを普通に展示で販売したのなら、いかにもイラストレーターっぽいのですが、そうではありません。
実はこれ、イベントの景品。
イベントで参加者に手渡すために熨斗をせっせとつけたりして。
この熨斗もオリジナル。
わたしはブロガーで、ひよこの漫画を描いていました。2007年当時は、キャラクターデザインを模索中で、ほんの数カ月だけ描いていたキャラクターがありました。
それがこれ!今見るとイマイチ・・・
と思いますが、当時は真剣に作っていました!(キリッ!)
イベントの名は『◯◯◯人検定』
2007年7月に池袋でおこなったイベントは『◯◯◯人検定』。15人もの人が集まってくれて、かなり盛り上がりました。
店の場所が『世界の山ちゃん』、景品が『スガキヤラーメン』とくれば、◯◯◯に入る文字の予測はつきますよね、はい、『ナゴヤ』です!
『ナゴヤ人検定』
10問ほどのナゴヤに関する質問をみんなに解いてもらいました。
「名古屋は何区ある?」など簡単すぎるかと思いきや、東京民には「え?名古屋って区があるの?」と聞き返される始末。
むむむ・・・今でこそ横浜や川崎に人口でこそ抜かれてはいるが、奇しくも中部地区の中心地でっせ。政令指定都市でないはずがなかろう。
解答用紙を回収すると、ナゴヤ人のねーさんと一緒に採点タイム。そして表彰式。
優勝はもちろんTシャツ。男子女子各一名で、ふたりともその場でさっそく着てくれました。
今思えばわたしは、ドラゴンズカラーの青で決めるべきでしたかね。
(このお衣装(赤の水玉)、ネズミーランド用に購入したもの)
「名古屋弁でしゃべるひよこ」のブログ
熨斗に絵を描き、上記にも登場したひよこのブログは『ひよこだがね』といいます。「名古屋弁でしゃべるひよこの名古屋ネタブログ」なんですね。
東京に住みながら、名古屋ネタのブログを書き続けられたのは、このときの「ナゴヤ人検定」のイベントが意外に東京人にウケたせいかも、と思います。
実は「ナゴヤ人検定」この前にもう一回やってます。こちらはライターさんや編集さんなど出版業界の方々。このときは景品はナシ・・・スミマセン💦
ブログを書き続け、2020年には名古屋ネタの集大成と言える書籍を出版。
↓こちらから試し読みできます!
この本をきっかけに、わたしのイラスト業とライター業の比率が逆転します。
今では名古屋ネタにとどまらず、さまざまなビジネスパーソンに取材するインタビュアーになりました。「人に伝える仕事」は性に合っているようで楽しいです。
でもたまにはこんな絵を描いて、2006年当時の夢を見たいこともあります。
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