大学3年生、未来がなかった…
大学3年生、僕は女子として楽しい大学生活を送っていた。でも、将来のことを考えるとどうしていいか全くわからなかった。
僕は思春期以降、2つの人生を考えていた。女子になって女子として生きる。これが第一希望。
僕は生物学的には男の子だったが、自分自身にウソをついて生きていくのは絶対に嫌だった
だって本来の性別は女子なんだから…
それは自分自身が一番よく知っていた。
本当の自分として生きていきたい。
でも、当時はまだ性同一性障害という言葉もなく、戸籍の性別変更もできない。そんな暗黒の時代だった。
僕はよく本屋街の神保町の三省堂などに行って、社会科学のジェンダー論などを読み漁っていたが、明るい希望はほとんどなかった。
唯一の希望は、アメリカのハーバード大学で手術をしたFtMの男性(女性から男性へ性別判定手術をした人)が証明書を持っていて、戸籍の変更を認められたというただ1件があるだけだった。
これは3年B組金八先生の鶴本直のモデルになった方である。彼とは仲良くなり、何度も電話で話したり自助グループの会で会ったりした。
英語を勉強したのも、アメリカに行けば何とかなるかもという希望からだった。
しかし、当時の日本はまさにトランスジェンダーにとっては暗黒の時代だった。
いまでも欧米諸国に比べると圧倒的に遅れている。
例えば、性別変更には手術で性器を取り除かなければならないという法律は重大な日本国憲法違反、人権侵害の疑いがある。
2014年 WHOは、法律上の性別変更に際して、性腺除去を強要してはならないとする声明を発表しました。
まずホルモン療法をしてリアルライフテストをして本来の性別として生き、それで決めるというのが本来の性別移行のやり方なのにもかかわらず、最近できた性別判定手術の保険適用は、ホルモン療法を受けていた人には適用できず、事実上、保険適用そのものができないようになっている。
厚労省がホルモン療法を併用する性同一性障害者について性別適合手術の保険適用外とする方針を固めました
このように現在の状況においても人権後進国の日本なのだが、かつてはまさに中世のように酷かったのだ。
それによって本来の性別として生きられなかった人々がたくさんいることは想像に難くないだろう。
未来を考えると暗黒だった。そして、楽しかった大学生活はもう1年ちょっとで終わり、私も就職を考える時期に来ていた。~続く~
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