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子どもにとって遊びとは大人になったときに何処へつながるか

子どもにとって遊びとは「面白い」「楽しい」への引力があるものです。
子どもたちはそこに損・得を考えずに遊びに向かいます。
“遊びとは何か”という定義を述べるとしたらそれは未だ誰も説明のつかない、それぞれの楽しみや興味を活動へと繋げたものです。
では、楽しみや興味というものはどこから現れるのかというと
それは「興奮」です。

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生後4~5か月からおはしゃぎが盛んになり、あやすことに反応して喜びを見せるようになります。
それがあやすことにとどまらず、多様化していくうえで玩具や人との関わりで楽しみを感じるようになっていきます。
一方でこの興奮は同時に「抑制」を育てます。
幼児期は興奮も抑制もそんなに強くはないのですが、小学校低学年まではその興奮が育ち、なかなか抑えのきかない様子が見られます。
小学校高学年になると抑制が強くなり、興奮と抑制のバランスの取れた切り替えの良い子へと変わっていきます。
要するに遊びは感情や意欲を育て、結果として「自分で我慢する力」も育てる活動なのです。

なぜ上の文で「自分で我慢する力」と表現したかというと、人に怒られるからという理由で我慢することと、自分で我慢することとは質が大きく違うからです。

現在コロナウイルスの影響でマスクが不足していて医療従事者や福祉関係者も困っているという
ニュースが流れています。
この状況下でもマスクを買い占め、転売する人がいます。3月4日に政府はマスク・消毒液等を転売している人に対し
「3月14日より懲役5年以下、または300万以下の罰則を設ける」という発表がされました。
この発表をされてから転売を辞めた人がいるとします。


これは自分で我慢する力のある人と言えるでしょうか?
法律によって我慢させられた人という表現の方が
正しいように思います。
直接困っている人に会わなくとも、想像力を働かせ自重する行動に移るのが「自分で我慢をする力」と言えるでしょう。

我慢をすること自体は機能として出来ていても、いつ、どこでその機能を発揮するかによって社会適応の評価が大きく変わるのです。
モラルの差として社会に現れます。

話は戻って、遊びの中でこの我慢を育てることは
「いつ、どの場面で」「我慢をするか」のこの2つを読む力にもなるのです。
逆に我慢しすぎてしまうことも防ぐことになるので適応しすぎたり、気使いすぎて疲れるようなことも必要無いと学んでいく場面でもあります。
自分のことも相手のことも大切に出来る「上手な自制心」の使い方を学ぶとコミュニケーションスキルが評価されて結果として、収入を安定した道へ導かれるというデータもあるそうです。
※ソースが無くてすみません


子どもにとっては遊びは社会という集団生活への適応を高めるものであることがわかります。人との関わりは紙面では習えません。色んな自分がいて、色んな他人がいます。同じ人でも遊びが変わると、別人になる人もいます。

好き、嫌いは選べません。感覚が決めるものでもあります。遊びの体験の中でその感覚を得て、自分というものを知っていくのです。子どもにとっては遊びとは自分を作り出すものでもあるのです。


お掃除係の実習を体験した保育士さん、きちんとした指導・教育を受けられずも頑張る支援者さん…など現場に困り感を持っている方へサポートすることで、子どもたちに還元されるものがあるのではと信じています。よろしくお願いします。