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「無意識に刷り込まれてる」を体感した話

 デザイン学生時代、私はジョジョラーだった。きっかけは、確かヒカルの碁デスノートあたりをコミックで読んでいたが、小畑健先生の絵が美麗すぎて、ストーリーが気になりすぎて、とうとう週刊少年ジャンプを読むようになった。すると他の作家の作品も目に入るようになる。

 荒木先生はストーンオーシャンを連載していた。正直なところ、はじめは全く読む気がしなかった。女性が主人公みたいだけど、少年漫画にありがちで表現がくどすぎると感じた。でも週刊なので毎週目に入る。少女漫画に慣れた目には何描いてるのか、どう読めばいいのかよくわからないけど、作品に込められている熱量は伝わってくる。気がつかないうちにはまっていた。模写もしたしコラもしたしコスプレもした。『ジョジョの奇妙な冒険』を知らなければ、私の表現の発露は全く違った方に向いていた気がする。

「あっち側の人」に戻りたいと思った

 ジョジョに夢中になった学生時代から15年くらい経ち、コロナが始まって、混沌がちょっとおさまったころに、友達が出演するライブを観に行った。演奏自体とても素晴らしかった……がゆえに、自分で予想もしなかった気持ちが起こった。

「なんで私、あっち側の人じゃないんだろう?」とマンガみたいなことを心がつぶやいた。悲しいとか悔しいとかじゃなく、ご飯を食べた後に「あー美味しかった」と思わず口に出る感じでぽろりと声が聞こえたのだ。表現することを追いかけていた時から、ものすごく遠くに来たまま、なんとなくそれでいいと思っていた。

 すぐ直後から、私はどうやったら「あっち側の人」に戻れるんだろうと考え始めた。つまり作家として何を表現すればいいんだろうとテストし始めた。単純なところでは思いのままに絵を描くところから。

 ずっと閉めきっていた魂の扉を開けたんだと思う。直後から人生がガタガタと震え始めた。コロナ禍の混乱に乗じて、10年以上住んでいた東京から札幌に戻った。その時点で多くの友達と切れた。
 故郷に帰ると、体の中に押し込んでいた疲労とか不調とかが吹き出してきた。家族とさえまともにコミュニケーションが取れないほど、自分に余裕がなくなった。頭が混乱して、常に思考が飛び交っている。

 溢れてくるものを、一旦全部出し切らないと、完全におかしくなってしまう。気持ちを整理するためにジャーナルをつけているうちに、物語として形をとりはじめた。これはもう完成までまとめてみるしかないと思った。

 その時は無我夢中だったけれど、おそらく私は生き方や考え方に意味づけを行いたかったのではないかと思う。自分の言動には全部文脈があり意図がある。しかしそれを丸ごと他人に伝えることは、普通に生きてる範囲ではできない。

 おや? おかしいな。今まで私が見てきた世界は、友情とか共感とか理解とか、どうやったら人と人が一緒に生きていけるかを説いている。つながりが緩かろうが強靭だろうが、愛される人になることが美徳だと信じてきた。でもなんで、今私はこんなに一人なんだろう? 欲しいと強く願ったものさえ手に入らない。私は何か間違ったか?

 自分の心を確かめるために、まず一つ、自分のためだけに作品を作ることにした。今まで見てきたこととか、何かにぶち当たった時に必然的に考えることとかを一個ずつ並べていき、ズレはないかを確かめるために。

初めて漫画を描く時に参考にしたタッチは宮崎駿

 その時で15年ほど、まともな絵を描くことにブランクがあったので、学生時代に「ここが嫌」だと思っていた自分の絵の癖は、あるべきテクニックと共にごっそり抜け落ちていた。怪我の功名だ。

 逆に言えばゼロから自分の世界を表現するタッチを模索する必要があり、これが結構大変だった。基本的には好きな作家の絵柄をベースにするのがいいと言う。しかし人生築30年を超えると、許容範囲も広くなるので色々な作家に目移りする。

 当時はなんかもっと「作家性」にフォーカスが当たっていたので、タッチも柔らかいかんじがいいと思っていた。柔らかいタッチといえば宮崎駿……だよね!

柔らかいタッチを水彩調と解釈した作品

 初めの漫画を仕上げた当初、「これはなんなのか」は自分でもよくわかってなかった。ただ1000%自分のためだけに描いたので、反応が薄くても気にならなかった。80ページ総カラー、6ヶ月を費やしてわかったことは、私は心にただ一つの希望の光があれば、他の持ち物は少なくても生きていけるかもしれない、ということだった。

逆に言えば、希望がなければ、他に何があっても生きていけない。

 

 初めての漫画作品は私を何者にもしなかったけれど、6ヶ月集中して描いたので、仕事で使う分の表現力とか自信は十分養われた。私は本業に打ち込むことにした。

 しかしじきにその本業すら、私の魂は飛び出してしまった。希望さえあれば生きていけるかもしれない、と思っていたら、本当に希望以外何もない状態が訪れた。つまり人生のテストである。

 漫画を描いてみて、キャラクター・ストーリー・世界観を絵で表現するというのはめちゃくちゃ大変だし、なによりめんどうくさいということがわかった。処女作では背景には自然物を配置して、建物などのパース理解やデッサン力が問われるものはほとんど描かないで物語を仕上げた。
 だから文章を書き始めた時は、ある意味楽で、「これこそが私のしたかったことだ!」と狂喜したものだった。カラーの漫画を80ページ仕上げる熱量と、35万文字の熱量がほぼイコールだと考えたら、どれくらい面倒かご想像いただけると思う。……実際には、漫画を描いた経験も下地になっているので、35万文字の方が質としては上だと思うけど。

これからまた漫画を描く

 現在心が砕かれているので、砕かれた心ではパース理解もメカニックな描写も粛々と取り組めそうな気がする。描き始め、描き進め、描き終える。やるべきことはそれだけだ。

 建物や機械一つとっても、「どう描くか」……テクニックではなくて、どんなタッチ、ムードで描くかにはさまざまな分岐がある。迷いがあれば線に出る。迷いがなければ、デッサンやパースの狂いなんてどうにでもなる。

 35万文字の私の物語について、「これがなんなのか」やはりずっとわからなかった。ファンタジーである。SFでもある。私が表現したいのはナウシカ的な無常感漂う世界なんだろうか? ジョジョの奇妙な冒険のような、硬質で不協和音が鳴り響いているようなムードだろうか?

 わからないまま、とりあえずキャラクターはジョジョ風がいいので、デザインをはじめて、描いたキャラクターにはそこはかとなく鳥山明の影響があった。

「おお、おまえ、まだそこにいたのか」

 『ジョジョの奇妙な冒険』にはまるまで、私の世界はドラゴンボールでありドラゴンクエストでありクロノトリガーだった。鳥山明先生の、ちょっとペンを走らせてるだけに見えるのに物の形が捉えられているのを、悶絶して眺めていたものだった。ノートに描いては消して、紙がぼこぼこになるまで、どうしても鳥山風の目とか髪とか服とか筋肉が描けるようになりたかった。

 ドラゴンボールって、格闘漫画だけど、メカニックもしれっとかっこよかったっけ。……ん? ドラゴンボールって、見方によってはSFだよな? ホイポイカプセルとか、乗り物の機構とか、よく考えたら完全にファンタジーだよな?

 あの、力んでないのに実はすごい、みたいな小道具の存在感、よかったな。

 それで行こう。

 
描けるかどうかもわからないのに、世界観を表現するために鳥山明風を研究してみることにした。

 作品作りが深まるほど、自分の人生を逆方向に旅しなおしている。



 何者でもないアラフォー女性、創作のステージはいよいよ漫画制作へ!

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