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Z世代が考える戦争 ~テレビ朝日開局65周年記念ドラマ「終りに見た街」を観て~

はじめに

昨今、世界情勢は悪化し、軍靴の足音が聞こえる世界になってきました。そのような中、テレビ朝日で面白いドラマが放送されたので感想を書いていきます。
今だからこそ考える戦争。私達には何ができるのでしょうか・・・。
今回もネタバレ有りです。あらかじめご了承ください。

あらすじ

テレビ脚本家・田宮太一(大泉洋)は、代表作はないながらも細々と続けて20年。家庭では家族に疎まれつつも、しっかり者の妻・田宮ひかり(吉田羊)、思春期真っただ中の娘・田宮信子(當真あみ)、反抗期が始まった息子・田宮稔(今泉雄土哉)、そして認知症が出始めた母・田宮清子(三田佳子)と共に、ごくありふれた平穏な日常を暮らしていた。そんなある日、太一はプロデューサーの寺本真臣(勝地涼)から『終戦80周年記念スペシャルドラマ』の脚本を無茶ぶりされ、断り切れずに渋々引き受けることに。戦争当時を知らない太一は、寺本から送られてきた膨大な資料を片っ端から読みふけるが…。いつの間にか寝落ちしてしまった太一は明け方、衝撃音で目を覚ます。すると、自宅の外には森が一面に広がり、見たことのない光景が広がっていた。何が起きているのか理解できず混乱する太一は、外に確かめに行ったところ、そこが太平洋戦争真っただ中の昭和19年6月の世界であることを確信――太一たち家族はタイムスリップしていたのだ。

 この受け入れがたい事実に太一一家が騒然としていると、太一の亡き父の戦友の甥・小島敏夫(堤真一)から電話がかかってくる。敏夫もまた、息子の小島新也(奥智哉)と出かけていたところ、昭和19年にタイムスリップしてしまったという。敏夫父子と合流した太一はやや安堵したのも束の間、すぐに戦時下の厳しい現実に直面していくことに。

 兵士に度々怪しまれる太一たちは、誤魔化しながら何とかその場を凌ぐが、戦争に突き進む日本で生き延びるためには昭和19年の生活に順応せざるを得ず…。敏夫は持ち前の人当りの良さですぐに仕事を見つけて前向きに動き、ひかりも針仕事などできることを一生懸命やり始める。そんな中、なかなか現実を受け入れられずに抗っていた太一だったが…!

テレビ朝日HP 「終わりに見た街」 番組紹介ページより
https://www.tv-asahi.co.jp/owarinimitamachi/story/0001/ 

感想

このドラマについて

このドラマは脚本家の山田太一さんの小説を原作とし、過去に2回テレビドラマ化されています。今回私が観たのは2024年版です。なお過去のドラマについては鑑賞したことはなかったので新鮮な気持ちで観ました。

戦時下

あらすじにありますように、このドラマは主人公(太一)一家と父の戦友の甥(小島)一家が昭和19年にタイムスリップしてしまうところから始まります。最初は事実を受け入れなかった主人公たちですが、徐々に昭和19年の世界に適応し、終戦までのやく1年間を生き残ることを考えます。
当時の日本は、米軍のサイパン島上陸目前であり、絶対国防圏の陥落により日本に大規模な空襲が始まる直前となっています。まだ、(大規模な)空襲などはなかったですが、食料は配給制となり、国民の生活が苦しい時期でありました。主人公は子どもたち(信子と稔)を学校に通わせるため、当時の戦争感を教えることになります。それは彼女ら現代の子どもたちにとって「馬鹿馬鹿しい」ものでありました。日本の勝利を信じ、国のため国のためとなっている様子はその後の歴史を知っている彼らにとってはなんとも滑稽なものであったでしょう。「どうせ負けるのに」

適応

とは言え、このままでは軍隊に怪しまれ捉えられてしまう可能性があります。心のなかでは馬鹿らしいと思いながらも、彼らは昭和19年の人間として過ごすことになります。そんなある日、亡き父の戦友の甥の息子、新也が失踪します。何を考えているかわからない「現代の若者」として書かれていた彼は何も残さず忽然と失踪してしまったのです。
新也が失踪してしばらくたったあと、突然憲兵が訪ねてきます。近所で盗難事件があり犯人を探しているとのことです。憲兵が見せてきた犯人の似顔絵は新也そっくりでありました。
その場はなんとかやり過ごす彼らですが、もうここには長くいられないとし、空襲の記録がなかった街へと引っ越すことになるのです。

戦時下の暮らし

先述した憲兵が訪ねてきた際に憲兵と一緒に近所の人と思われる人たちが来ていました。おそらく隣組制度で通報した人々だと思われます。戦時下では近所の人同士はお互いに監視し合い怪しい動きあれば当局に通報するシステムになっていました。なるべく近所の人と関わりを持たないように生きている現代日本人にこれは耐えることできるのでしょうか・・・。
さて、空襲を恐れ、引っ越しをした一家でしたが、いよいよ生活が苦しくなり、偽の戸籍を使い国民登録をし昭和19年の人間として生活していくことになります。大人たちはそれぞれ工場で働き、娘信子は女子挺身隊として務め、息子稔は学校に通うようになります。この世界の人間として、”今”を生きるようになります。

東京大空襲

当然ながら、主人公たちはいつどこで空襲が起きるのかを歴史として知っています。度重なる空襲から避難するなか主人公太一はあることに気が付きます。今まで生きるのに必死で意識してなかったが、自分たちは空襲を意識的に避けることができる、つまりより多くの人に空襲をさけさせることができると。3/10の空襲、死者数が10万人以上の被害をだした大規模な空襲。後に東京大空襲と呼ばれるこの夜間空襲から一人でも多くの人を救うことができるのではないか。太一はそう考えるようになります。
ただ、この時代の人間に3/10に大空襲があるから避難してください(この空襲では上野に逃げた人は助かったそうです)と言っても逃げるわけがありません。ただのおかしい人として捉えられるか、アメリカのスパイとして当局捉えられるかの二択です。ではどうするのか、それっぽい噂をたてることにしたのです。人はなんとなく噂を信じてしまうものです。直ぐに行動を起こさないとしても、当日になってそれを思い出し、なんとなく上野に避難する。そのような期待をし、当局から逃げながら街で噂を流すことにします。この太一の考えに奥さんや小島さんも賛同し、三人で噂を流すことに力を入れていくことになるのです。

日本は負けるのか

大人たちが人々を救おうと奔走しているなかで子どもたちも今を一所懸命生きていました。1945年、敗戦濃厚の日本を毎日大変な思いをしながら、一所懸命に生きていました。そして、大人たちの行動(特に父)に疑問を持つようになるのです。
同じ時代を生きている他の人達は、日本が負けるとは思っていません(負けるかもとは思っていたかもしれませんが、負ける前提で行動はしていなかったでしょう)でも父は負ける前提で、逃げることを考えて生きていたのです。それはその場を生きる人々に対する、ある種の侮辱とも言えるかもしれません。人名を助けるのは大事ですが、動機が後ろ向き、正史では負けたかもしれないが今からでも間に合うかもしれない、みんなが一生懸命生きているのだから私達も一生懸命前向きに生きなければならないとそう感じていたのかもしれません
子どもたちと大人のすれ違いが深まる中、ある人物が家族の元を訪れます。失踪した小島さんの息子、新也です。彼は失踪後孤児として工場で勤務して生きていたのです。感動の再開かと思われましたがどうにも様子がおかしい。彼は言います。

みんな、お国のために死ぬ気で働いてますよ

テレビ朝日ドラマ 終わりに見た街より

現代の若者

この新也、初登場時は長髪で覇気のない、気の弱そうな男の子として描かれています。直接的な描写があるわけではありませんが、この後の文脈から引きこもり気味なのでは(あくまで印象です。他意はありません)といった感じの青年でした。しかし、今は違います。長い髪は坊主になり、キリッとした覇気に溢れた覚悟のある目になっていました。そう、まるで戦争映画に出てくる特攻隊員のような。
彼は続けます。

誰一人、日本が負けるなんて思っているものはいません。
いじめもないし、ニートなんて言葉もない、腰の決まらない教師もいません。みんな本気で、日本のために死ぬ気です。

テレビ朝日ドラマ 終わりに見た街より

誰にも負けません。工場では体力がすべて。学校の勉強なんかなんの役にも立たない事もわかったし、強いものが認められ、理屈をこねる軟弱者はぶん殴られる。多様性なんかくそくらえだよ。気持ちいいです。

テレビ朝日ドラマ 終わりに見た街より

これらのセリフから、なんとなく彼が学校でいじめられていて(もしくはそういった現場にいて)それに対して何もしない教師に嫌気が指していたのかなと推測しました。また、その後に生まれるニートなどの現代の若者を取り巻く社会問題。そのすべてが嫌で生きづらかったのでしょう。しかし、今は違います。この戦時下では、誰もが、必死に、生きています。しかもシンプルです。みんなが一つの目標にむかって生きています。
今は多様性。私も多様性を生きる世代なので気持ちはわかります。レールがない。正解がない。「何をしても良いよ。だけど大人(社会)に都合の良いようになってね。」確かに”くそくらえ”って言いたくなります。だったら最初からこうしろって言われたほうが楽だ。それで評価がもらえるのなら。
彼はそういったタイプだったのでしょう。真面目なタイプほどそういった現代の生きづらさを感じていると思います。口を開けば多様性多様性。多様性と言いつつ都合が悪くなると怒り出す大人、多様性履き違え、それを盾に好き勝手(本当に好き勝手)生きる若者。そういった現代社会に対するアンチテーゼだなと私は感じました。こういった若者、意外と多いのではないのでしょうか。
さて、実はこの場には新也と一緒に同僚が来ていました。しかもこの同僚も現代人ということです。ミリタリー系Youtuberの若者だという彼もまた、この世界は生きやすい。願ったりかなったりと言うのです。

こんな戦争

彼らは続けます。あなた達は間違っていると。みんなが必死に、国が滅びるかの瀬戸際で生きている中、工場で働きもせずに、こんな戦争で死ぬことはないと触れ回っている。これは恥だと。
太一は返します。こんな戦争なんだと。秋になれば誰もが思う、こんな戦争だったと。こんな戦争で死ぬ必要はなかったと。
ここで信子が割り込みます。わたしたちは昔話の人間じゃない。今を生きている。アメリカが日本人をたくさん殺している。みんなこれに抗うためみんなを守るために戦っている。なのにお父さんは何をしている?働きもせずに日本は負けるとわかったような気でいる。
新也たちが続けます。日本が負けると決めつけ、戦わない。日本人を殺している敵をにくいと思わないなんておかしいと。自分たちはこの戦争に負けないように、歴史を変えるために来たんだと。
それに太一が反論します。おかしいのはお前らだ。正気を失っていると。
そこに息子稔が割り込みます。「僕も戦いたい」。
この当時、日本は徹底した情報統制により、ラジオ、新聞は戦意高揚を歌うプロパガンダになっていました。それを見ていた彼は思ったのでしょう。家で引きこもっていていいはずがない。自分も国のために何かをしないといけないと。子供が子供らしく生きられない、そんな残酷な世の中なのです。

ラスト

家族がバラバラになってしまいそうな中、空襲警報が鳴り響きます。
米軍の攻撃が来たのです。外はパニック状態の中息子以外の家族とも離れ離れになってしまいます。そのさなか彼はある人物を見つけます。それは現代での知り合いの寺本に似ていました。彼に声をかけます。しかし、それは他人の空似でありました・・・。

ここで彼は激しい閃光と爆風に襲われます。

目が覚めるとあたり一面が廃墟になっていました。爆弾が落ちたのか?しかしどうも様子がおかしい。目に映るのはそこにはないはずの倒れた高層ビル、折れたスカイツリー・・・。

ここで物語は終わります。(だいぶ省略しています)
最後のこのシーン。突然として未来に戻されるので若干混乱しますが、どうやら核が落ちた東京のようです。なぜ核が落ちたのか、そしてこのタイムスリップは何だったのか、これについては一切言及がなく物語が終わります。
しかし、最後の絶望感は凄まじいものとなっています。唐突にすべてが持っていかれたようなそんな気分になる終わり方です。

本題

このドラマは大きく分けて2つのポイントがあると感じます。一つは戦争とは。もう一つは現代の若者とはという点です。

まず、戦争について。
日本人の戦争感は戦後80年あまりたったこともあり大きく変わったと思います。戦争経験者もいなくなり、(作中でも出てきますが)戦争の番組なども放送されづらくなった現在において、戦争を知る、考える機会も減ってきたと感じます。
このような社会に生きていると戦争についての判断力が落ちていくことが懸念されると私は考えます。こういった経験や知識が乏しくなっていくと、戦争に対する自身の確固たる意志がゆらぎ(というよりなくなり)、それっぽいことを言う人に左右されるようになってしまいます。それこそ作中の子どもたちのように、あの戦争を知りながら周りの空気に流されていくようになるのです。もちろん彼らの考えが間違っているとは言いません。ただ、あの様子を見るに自分たちの意思がどんどんなくなっていくように感じたのです。実際、空襲を経験し、おかあさんと離れ離れになってしまった稔は父のように避難を呼びかけます。あれは、彼が周りの雰囲気に流されて、戦うと言っていたが、実際に現実を突きつけられて考えが揺らいだシーンに見えました。
昨今の世界情勢を見るに、いつ大規模な戦争が起こってもおかしくない状況だと感じます。そんな世の中で私達は何をしていけばよいのでしょうか。私は戦争を知ることから始めることが良いと思います。戦争を始めるのはその国にいるすべての人々です。国が誤って方向にいかぬよう、また誤った国から己を守れるよう、私達は常に勉強し続ける必要があるのです。

次に若者について。
作中の新也の変貌っぷりはすごいなと感じました。まさに怒れるZ世代(どちらかというとα世代?)私もZ世代ですので彼の気持ちはすごくわかります。多様性、多様性うるさいと。
多様性を推し進めながら、実際には多様性を認めない大人達(私ももう大人になってしまったのでそうならないように気をつけなければいけませんね)。無能な教師(無能というより無力のほうが正しいかも)。多様性を履き違えてる同級生(バカッター的な?)。腹が立ちますよね。
実際、今の若者はかなり優遇されている面と、かなり不利な面で2極化していると感じます。私達の世代は過去一自由な生活を送っている日本人世代なのではないかと個人的には思っています。職業は自由に選択できます(さらにやめようと思えばすぐやめられる)し、上司、先生、親ですら縛り付けることができないほど自由に暮らしています。でもこれって一部の人間だけなんですよね。先生や親の言うことを聞いて真面目に生きている子もたくさんいますし、仕事を辞めずに働いている子もたくさんいます。恥ずかしながら私は一回辞めているので本当にすごいと思います。
つまり何が言いたいかと言うとみんながみんな多様性を主張して生きているわけではないということです。理不尽な指導や過度な労働などはもちろんダメではありますが、かといって変にヨイショヨイショするのも違うと私は思います。なくすべきは理不尽であって、理にかなった指導や評価体制は崩す必要はないと感じるのです。そしてそれを望んでいる若者もいるはずです。一部のおかしな風潮に流されないでほしい。新也のシーンはそういった願いが込められているように感じました。
このあたりの問題は非常に難しいと思いますが、私も日頃なにかおかしさを感じていたのでこのシーンは非常に印象に残りました。特に腰の”決まらない教師”というのはなんとなく覚えがあるなあという感じです。”叱らない教育”が何かと話題になることがありますが、本当にそれが正しいのですかね。理不尽な”叱り”と適切な”指導”はちょっと違うと思うのですが、うまい着地点が出てくると良いですね。

最後に

実はこのドラマ、もう一人登場人物がいます。田宮家の祖母になる清子おばあちゃんです。本題には特にかかわらない人物だったので、あえて掘り下げなかったのですが、清子さんには良いエピソードがありました。
清子さんは家族の中で唯一の戦争経験者だったのですが、つらい初恋の記憶がありました。彼女の初恋の相手は出征し、帰ってこなかったという辛いエピソードがあります。このエピソードで思い出したのが、靖国神社に展示されている、ラブレターです。靖国神社の最後は、はかない恋特集(と言ってよいのか)になっているのですが、そこに出征し帰ってこなかった旦那さん(だったと思います、曖昧でごめんなさい)へのラブレターが展示されています。それを思い出してすっごい切ない気持ちになりました。戦時中の人々が私達と同じ普通の若者たちであったと感じる良い展示だと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。正直民法でこのようなドラマがまだ放送されるのかと思うほど印象的なドラマだったと思います。
SNSなどを中心にイメージだけで語られてしまうようになった太平洋戦争。
”もちろんそういった側面もある”のは事実だと思いますが、すべてがSNSの言うようなほど単純なものではありません。戦争の見方は、いかに客観的に、冷静に、双方の状況を見るということが大切です。そして最終的にどう感じるかは自身が決めることになります。これをきっかけに戦争について、なにか自身の考えがつけばと思います。

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