次の出会いがあるのだろうな・・・。
最近、結構、かなんことが多かった。
かなん、というのは大阪弁である。
一方で、喜ばしいこともたくさんあったのである。ちょっと考えられないような合格がいくつかあった。まだ高校受験が残っているけれど。
こういう時には、次の出会いが待っている。
というか世界が変わる予兆であったりする。
別に、その相手を憎むほどの関係性でもないし、そうそうこれからの人生に関わってくることもないだろう。こちらが信頼関係を築こうと努力しているのに、まるでハンマーで、築いたものを壊して回っているようなことを続けていた人に気持ちはない。
私は、そういうところはとってもサバサバしている。
私のプロ意識的なところに触ったら、私はどこかで、怒る、とか腹立つ、とかいう以前に醒めてしまう。いやいや、基準を超えてしまうくらいに触ったら、ということである。大抵は、気長い教師をしている。ともに目的を持った同志として、ご依頼について、最大限に努力する。
逆にプロだから、あれこれ手を尽くす。それはもう、周りも認めるくらい。塾の範囲を超えてますよね!とか、先生、もし、指導料と先生のしていらっしゃることをお金に換算したら、先生、絶対損してますよね・・・、とよく言われる。先日も言われた。
指導以外のことは好きでやっていることなので、決まった額以上に、お金をいただくつもりもない。ただ、私の時間は相当に使っていたりはする。
でも、もし、私が必死で、これ以上できない、というくらいの工夫をし、サポートもし、あれこれ親子の人間関係を調えもし、いろんなことの折り合いもつけてきて、精一杯やって、結果もそれなりに出ているのに、それなりの表現をされたら、私は、腹が立つ以前に、醒めてしまうだろうと思う。
情熱を賭けていた状態から。
思う気持ちから。
これは、学校現場にいたときとは、少し違う気持ちである。
学校は、生徒さんの人生をずっと見守る場所である。だから、同窓会もある。ああ、立派になって・・・。あなたにはずいぶん泣かされたけど・・・、というのもある。
私塾の場合は、もっと気持ち的なつながりになる。思いがあればつながってもいくだろうけれど、それがなければ、所属するものでもないので、当然、醒めれば終わりになる。
それに、学校の先生になら、言わない言葉を、塾の先生になら言える人もいる。お金を支払っているから・・・。いや、学校の先生だって、怒ってしまわれることもあるだろう。
では、支払ったお金が、その指導に見合わないものだったとしたら、どうだろう・・・?たくさん手間暇を掛け、あれこれ精神的にもサポートをし、みんなが喜ぶような結果も出して、それでも納得いかないときって、どうすればいいのだろうか・・・?
離れるしかないだろう。
何もつながる理由が存在しないのだから。
なあんと、私にしては、冷静過ぎる表現だけど・・・。
人間には限界というものがあるから。
言っていい表現と、そうでない表現があると思う。
いくら何でも、自分の思い通りでないからと言って、してはいけない表現はある。
そういう人、人生で何度か出会って来たなあ・・・、となぜか冷静に、ああ、そうだったんだなあ・・・、という風に思い出してみたりしている。
さて、心ある生徒さんや保護者の方のために努力することにいたしましょう!
今日、大学に入る生徒さんのための、英語講座を開いていた。
テキストを使っていたら、ある資料が紛失していることに気づいた。
昨年、一緒に使っていた卒業生にラインした。ちょうど帰省していた彼女から、すぐさま折り返しのラインが来て、すぐに持って来てくれた。
そのありようを見ていた、今年の卒業生が。何を考えたか・・・?
私は、てっきり、ああ、卒業生との連携ができている・・・、とか、信頼関係が・・・、とか、仲いいんですね!
だとかだと思っていたら、
私たちもこれからは、こういう風になるのか・・・。
と思ったそうで、
エッ!?それって、明日は我が身!?ってこと?
と言うと、
いや、嫌な意味ではなくて、そうではなくて、信頼関係が・・・、嬉しくて・・・。
と言ってくれて、ホッとした。
その信頼関係を壊すようなことをしてほしくないなあ、と思うのである。
たかが私塾ではありますが・・・。
いや、別にいつでも卒業生に帰ってきてください、とか、いつまでも覚えていてね、とか言っているわけではなくて・・・。
まあ、そんな先輩の姿を見て、喜んで英語を勉強してくれていた大学生になる生徒さんたちの姿に希望をもちたい、と思います!
もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。