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至らぬ母ではございますが・・・。

母と話していて、結局いつまでたっても平行線。結論が出ないまま、というよりそもそも結論なんか求めていない。ただ、気持ちを受け止めてほしいだけなのに、いつまでも母は、正当性を主張して、「○○が○○したから・・・。」、とか、「その件について、そんな風に言ってほしくない。」と話すと、「あなたが先に、○○と訊いたから・・・。」と言って譲らない。

それに、母は、私のルーツになる人の悪口を結構平気で口にする。確かに娘に、姑の悪口を言うのは普通のことであることもわかりつつ、でも私は嫌だったので、絶対子どもたちに彼らの血縁になる人々の悪口を言わなかった。

仮に、周りのせいでしんどい想いを自分がしたとしても、その人たちにつながる子どもたちには関係がないわけで、しかも自分たちのルーツになる人間の悪口を言ったら、自分の中にもその人たちのDNAが伝わっているということになるので、自分の悪口を言われていると、嫌な気分になるのではないか?と思うのである。しかも、母の場合は説得に近い。

私なら、子どもたちとのことで、仮に何か言い合いになったとしても、正当性なんて、お互いに主張できるものだと思うから、そう、主観的なものだから、そんなものお互いが主張しあったら、平行線になるのはわかっている。だから、どちらかが議論を降りるべきであると思うし、そこは母親。こちらの方が下りるべきだろうと思っている。べき、というのもなんだけど・・・。

大抵の議論は、途中で、この人と話してももう無理だな、と思った時点で、私は議論を降りる。それが母にはできないのである。

なぜか?

母は、絶対的自分の正当性を主張するから・・・。

あっちから見たら、そう見えるかもしないなんていう考え方がない。

だいたい、相対的にものを考えるということがない。

私たちの仕事で、相対的にものを見る、という視点を持たなければ、もう、仕事ができない。

仕事のせいかなあ、とも思う。

でも、あれだけ主張する人も珍しいなあ、と思う。

先日、入院したが、80歳のおばあちゃんである母は、お医者様に、「えらいしっかりしてるなあ・・・!」と感心されたそうである。

頭が回る回る。

私だって、母に言わせればどちらかと言うと頭の回るほうかもしれない。

けど、たぶん心情的に違う。

私は、議論を降りるだけの余裕がある。

母に言わせれば、ちょっとおっとりしているらしい。

で、思い出すのだけれど、私は、子どもたちが何か主張したとき、気持ちを受け止めることを心掛けていた。

というより、主張というより気分を聴いていた。

本当に子どもたちの気分を聴くということだけは努力した。

なぜなら、子どもたちへの子育てで、大切なのは、意志を育てることだと教わってきたから。

初任の高校で、周りの先生方は、子育て現役中で、それは真剣に子育てをしておられた。

そんな中で、子育ての重要さを実感させられてきた。

幼稚園から小学校から、その総合学園の中で育つ子供たちは、情操教育、なんてレベルではなく、人間性を育てられていた。

だから、いつも、誰かとぶつかったとき、というより心理面で、自分の中で、何かが起こったとき、誰かに何かを思ったときは、自分を成長させるチャンス!とばかりに、教師に相談に来た。

だから私も、さして年齢の変わらない生徒の相談を聴いているうちに、自分の中の悩みに、「あっ、そうか―!」と気付くことも多かった。

まして、生徒の親御さんとの面談について上司に相談すると、「だいたい親が子どもの気持ちをわかってないんだから・・・。というか、わかろうともしてないんだろう・・・。」なんていう、生徒の生きている背景にまで及んで、生徒を理解しようと努めておられた。

そんな耳学問的に子育てについてあれこれ聴いているうちに、心の中で、結果的に、「子育ては意志を育てること。子どもの気持ちを聴くことなんだなあ・・・。」と感じていた。

振り返って私・・・。

頭の回る、どちらかと言うと理屈屋の母に、気持ちを受け止めてもらったことなどあるのだろうか・・・?と親不孝なことを考える。

もちろん、母が考える「私のため」には一生懸命してくれたと思う。けど、私の気持ちについて、考えてくれていたのかどうかはいささか疑問である。

とはいえ、子どもたちだって、私の子育てをどう思っているのかなんてわからない。

ただ言える。

至らない母なりに、一生懸命子どもたちの気持ちを聴き、意志を育て、親が仮に死んでしまっても生きていけるだけの強さだけは身に着けさせたと思ってる。

もっと上手にピアノを教えてあげればよかったのかもしれない。もっと勉強を教えてあげればよかったのかもしれない。

でも、当時の私は、若いなりに、これさえあれば生きていけるというものを一生懸命伝えようとしてきたことだけは事実だ。

それについて、どう考えるかは、お任せだし、どう思われたって、それが私の精一杯だったのだし、それでだめなら謝りもするけど、でも、これ以上はできない、という努力はしたから。だから、自分の中では納得しているから。

これだって、教師という仕事をさせていただいてきての、ようやくわかったことかもしれないし、そもそもそんなこと考えずに、喧嘩も含めて親子をしている人も多いのかもしれない。

でも、それにしても、子育て、人間を育てる、というのは、一生のうちの大仕事だよなあ、と思う。

でも、結構楽しいんだよな、これが。

ときは夏期講習真っ盛りだし・・・。(笑)

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