見出し画像

目も合わせられないし、話すこともできない

子どもです。
そんなことわかっています。
経営者です。
もっとドライになれよ・・・。
そう何度言い聞かせても、どうしたって、昔取った杵柄。
生徒という人間を見てしまいます。

今、私はある生徒と目が合わせられません。
幼い表現をすれば、私はひどく傷ついているのです。
彼女のしたことに。

私が、彼女の抱えているあれこれをお聞きし、できることはさせてもらおうと思っていました。
でも、自分のことを正しいと信じ込んでいるからか、それとも確信犯か?私にはどうも周りをコントロールして、うまくやろう、と思っているように思えるし、仮に思っていなかったとしても(成り行き上そうとは考えられない。)、事実としてはそうしているとしか思えないのです。

不機嫌な様子をして、こちらが、

どうしたの?

と言って、あれこれ事情を話す。
勉強の意欲があるのなら・・・、とこちらも何らかのことを提供する。
彼女にはそういうこと、何度あったことでしょうか?

彼女の態度が気になったことも何度かあり、その度先輩たちや周りの大人に相談し、私の思い違いではないか?周りには気にならないことなのではないか?と注意してきました。そのたび思い方を変えたり、対処したり、あれこれ対応してきました。
ところが、本当に受験指導さ中の年末から年明けに掛けて、もちろん彼女にも大変なことがあったのはわかるのですが、もう不機嫌を振りまいていました。
そういう生徒さんって、ある意味の対立構造を生み出したりします。
仕切りたい。
あちこちの先生方にも、

よく気が着いてくれて・・・。

と言われているとかそうでないとか。
私は彼女が入塾してきたとき、自分の範囲が狭まるのを感じました。
教条主義というのか、正しさで生きている感じでした。
かと言って、成績は良くない。
良くないのに、いつも偉そうです。

おそらくは、こんな大変な状態で頑張っている私は偉い、のでしょう。
そして、自分が良くないことをするには理由があるとでも思っているみたいです。
おそらく彼女が、道徳的でないこと、あるいは悪いことをしなければならなくなったとき、彼女は言い訳をしてやむを得なかったことを列挙することでしょう。

誰にでも正義はあります。
それに、結構ゆとりのある仕事なら別ですが、むしろ融通が利かないと、仕事というのは成り立ちません。
トータルで役に立っていればいいとも言えます。

私は、かつての職場で本当にいいことを教えていただいたと思っています。
真面目なだけでは評価などされない学校でした。
臨機応変なあり方を求められ、優等生では務まらない面がありました。
だいたい、通学に送り迎えのリムジンがあり、お食事もすべて用意され、すべてのことを誰かが完璧にやってくれることでなければ、どこかにほころびもひずみも出て来るものだと思います。

かつて医学部を目指していた、真面目な生徒さんを受け持っていました。
どこか気が合う感じで、そうそう勉強ができたくらいで生意気なところの全くない彼でした。まあ、何か言うとすれば、幾分固いかな。
私は以前の職場で学んだことを伝授しようとある日、彼が驚くのを承知で、おもしろいことを言いました。

ちょっと、5分くらいかな?指導に遅刻しました。
それはお互い様。生徒さんにもないことではありません。

ごめんなさいね。

と言って、さらに、

私、のどか湧いたから、何か買ってくる・・・。

と言って、教室から出ていき(その頃には彼はちょっと驚いた顔をしていました。)、彼の好きなスポーツドリンクを二本買ってきました。

はい。

彼に渡して、

さあ、飲もう!

と言って一口飲みました。彼は自分の好きなものを覚えていてくれた、と言って嬉しそうでした。
それから、

今のことで、私があなたに何を伝えようとしたか、わかる?

と聞きました。

わかりません・・・。

あのね、のどが渇いたまま指導しても効率的ではないし、それにね、遅刻してはいけない。でも一回の遅刻を引きずって、その後の指導や勉強に影響するのはもっといけない。
昔教えていただいたのよ。ちょっと休憩とって、仕事をする横で、ちょっとチョコレート、ちょっとコーヒーを飲める人でないと仕事ができないって。夫も、先輩から、仕事の途中で喫茶店入ってる?遊びをもて、と言われたらしいのよ。
患者さんを前にして、疲れたまま診察するよりも、ちょっと横向いて何かを口に入れる勇気が私は必要だと思うのよ。

と、仕事の仕方を伝えたのでした。彼がこれから飛び込んで行こうとしている世界を知っているわけではありませんでした。でも、どんな仕事も同じで、ちょっと休憩、ちょっと甘い物、などは共通することだと思ったのです。

ある日、図書館で、私の最も嫌いな苦手な仕事である、出席簿の確認をしていました。学期末に計算するあれです。自分の教務手帳に書いてあるのが間違っていてはいけないので、確認するのです。
もう、その頃は寝不足でふらふら。定期考査の採点や、一年目の自分が想像していなかった仕事がこれでもかとやってきていました。周りはできていないと催促するし、あっちこっちに入れられている私は、どう頑張ったって完璧になどできないのです。
イライラしながらなかなか計算の合わない、あ、そうでした。出席簿だけではなく、国語の古典と現代国語の点数を合算して掛けたり足したり割ったりの計算が合わなくて、イライラしていたのでした。

そんなとき、図書館にお手伝いに来ているのか、仕切りに来ているのかわからないわがまま娘?代表の小学校の当時教頭先生の奥様が、プリンをもって来てくださいました。

後でいただきます。これ終わってから・・・。

と言ったら、

今食べたら意欲になるのに。

と言われました。

エッ!?
衝撃的な言葉でした。

それまでの私の人生観とは違いました。
それから私は、差し入れしていただいたり、誰かに何かいただいたときには、まずありがとうの言葉と共に、

おいしそうですね!

と言って、すぐにそちらに向くようにしました。
そして、ちょっといただくのです。
そして、

おいしいー!

と感動するのです。
そしたら、その後の仕事がとんでもなく捗るのです。

その時の感動が、今でも心に蘇ります。
どこにもそんなことを教えてくれるところはありません。
私はラッキーだったと思います。

教室にはあれこれあります。
教師席に座っていても、2階の自習室であれこれ。何かが足りなくなったり、空調のことであったりいろいろあります。
でも、私は、仮に2階に何かがあるとわかったら、すぐに教師席を立って2階に行きます。そして用事を片付けてきます。
そして気付いたことはたいてい即座に動きます。
灯油が切れた音楽が鳴ると、すぐに鳴り終わらないくらいな頃に立ち上がります。
今目の前の仕事が終わってから、なんて考えません。

そのおかげで、本当に切り替えが早くなりました。
切り替えの早さには定評があるのです。
行動もそうですが、思考もそうです。
右を向いて悩んでいたのに、左を向いて何かを解いていたりします。
国語の次に物理が来ても全然大丈夫です。

今でこそ自然にやっていますが、昔はそうではありませんでした。
主婦が長いからというのもありますが、心の慣性のまま、そのままでいるのではなくて、ちゃんと切り替えていたいのです。

そんなこんなを教えていただくまでは、本当に私ほど教条的な人間はいなかったのではないか?と思います。

だから、彼女もそうなのかもしれません。
かつての自分を見ているようで辛いのかもしれません。

ただ、大学受験などという、人生での大ごとで、ずっと正しくあろうとしても無理があります。
私が弱っているのは、彼女は、自分も咎め立てしますが、当然に私などにもその目を向けるのです。
そんなことされたら、とっても仕事ができない。

彼女はそしたらご自分ができていないことを指摘されたらどうなるのでしょうか?

一人ひとりに正義はあります。
みんなおそらくは自分が正義だと思っています。
その正義が、自分一人のものだと気付くのはいつ頃なのでしょうか?

私もそういう時期があったとはいえ、その目で見つめるのはやめてほしい。
あなたよりも少なくとも私は勉強はしてきたし、私の人生に何があったのかを誰も知らない。
あなたは自分が一番大変だと思っているようだけれど、それぞれに大変な人生を生きている。それは言うか言わないかだけであって、比べられるものではない。
それに仮に自分が抱えていても周りには関係ないというよりも、それをわかってほしいというのはちょっと違うと思う。
協力されるだけの自分にならなければ、誰も協力してはくれない。
ましてや咎められたり、自分が一番正しいと思っている人に何ができようか?

などと考えていたのです。
もしかしたら、若いころの自分に対して嫌な思いをしているのかもしれません。

私もあんな感じやったんかなあ?

あるいは、

うちの子も、ああいうところあるんかしらん?

と思ってみたり、周りに尋ねてみたりしています。

とりあえず生徒さんから、何か学ばせてもらっているんだろうな。
ここを乗り越えたら、また何か見えてくるのかしらん?

もしもサポートしていただけましたら、そのお金は文章を書いて人の役に立つための経験に使います。よろしくお願いいたします。この文章はサポートについて何も知らなかった私に、知らないうちにサポートしてくださった方のおかげで書いています。