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日記4-伝えること。文章を書くこと。

どうも、陽毬(ひまり)です。
今日は、またもや言葉について考えていました。きっかけは「エモい」という言葉でした。

伝えること

私は「エモい」という言葉を愛用しています。理由は使いやすいからです。
言葉にできないほど嬉しい時、悲しい時、切ない時、とにかく心が揺さぶられた時に、「エモい」は私が伝えたい感情をまとめてくれるとてもありがたい言葉です。
他人からしたら与えられた文面でさまざまな「エモい」の意味を汲まないといけないし、どこが「エモい」のかを考えなければいけない。こんなに色々考えてまで気持ちを理解したいと思わないかもしれない。
しかしそれで良い。
なぜならこの伝えたくても伝わり切れない感情こそが、私が伝えたいものだから。

世間では「エモい」や「やばい」など、極めて曖昧で抽象的な言葉を多用することに批判的な意見を持つ人がたくさんいるけれど、私としてはむしろ進んで使いたいと考えています。
感情を伝えること。
それは非常に難しいことで、過去から現在まで多くの人がそれを試みては挫折することを繰り返しています。
そもそも人の感情は言葉で完璧に伝わるものだと私は思わないし、完璧に伝わる努力を否定しないが完璧に伝える必要がないような気もします。
一方、感情を理解することもまた難しい。
理解しようと何回考えても理解し切れない。それならもういっそ考えるのをやめてみてもいいのはないでしょうか。
時には脳で考えるのではなく、心で感じることの方が重要なこともあります。

感情を伝える・理解するについて考える時、私はいつも音楽のことを思い出します。
世間には難解な歌詞や複雑なメロディーについて考察して、その裏に隠されているものを全てを掘り尽くそうとする人々がいる。それも一つの楽しみ方でしょう。
ただ、目を閉じて何も考えずに聴くことだけに集中して楽しむというもう一つの楽しみ方もおすすめしたい。
全部分からなくても意外と楽しめるし、もしかしたら新しい発見も得られるかもしれません。

ここで、色々考察できそうですがただ目を閉じて聞いて感じて欲しい曲を貼っておきます。
ヨルシカの作曲家であるn-bunaさんが書いたボカロ曲「始発とカフカ」です。高校の時この曲が出た時からずっと大好きで、かれこれ9年近く聞いています。
カフカの『変身』を元に書かれた曲だそうですが、いまだにn-bunaさんは何を伝えたいのかよく分かりません。
でも、ぜひ感じて欲しい。
この切なさを、この胸を締め付ける痛みを。
エモいです。

文章を書くこと

今までの私の記事を読んでくれた方ならすでにお分かりだと思いますが、理系出身だからなのか、私は論理的に話したいたちで、文章を組み立てようとした結果説明的な文章を書いてしまいがちです。
文章を書くことに関してはまだ模索中ですが、とりあえず文章を書く際に色々と調べ物をしてから書くようにしています。
今日も同じように「エモい」について検索していたら、このnoteに出会いました。

このnoteを読み終えた私は、軽く放心状態になりました。エモいについて、言葉について書く前に調べといてよかった。こんな文章がすでに世に存在しているのなら、私ごときが同じテーマについて書く必要なんてどこにもありません。
なんという文彩。語彙力の低い私には到底書けないようなきれいな文章です。
しかもその整然とした思考ときたら。私が書きたいものを筆者が綺麗にまとめくれただけでなく、それ以上に深いものを見せてくれました。
大袈裟かもしれませんが、言葉についてずっと感じていたモヤモヤが吹き払われたような気がして、興奮と尊敬と憧憬で晴れやかな気持ちになりました。
この筆者はどんな人生を歩んできて、どんな人たちと出会って、こんな素敵な文章を書けるようになったのだろう。
「こういう文章を書ける人になりたい」、ただ強くそう思いました。
今までも読書中に驚くほど味深い文章にたくさん出会えたのですが、なぜかこの文章だけが、そう思わせてくれました。

外国人の私にとって、そこに辿り着くまでの道のりが途方もなく長く、険しいかもしれない。
それでも、何年もかけて少しずつでも近づけられたら嬉しい。

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