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日記1-甘えはなくせ。言葉は使え。


どうも、陽毬(ひまり)です。今日はある出来事をきっかけに、言葉について考えてみました。

先日家族と話をしていた時のことです。保育園の先生が子供達の引率をして出かけている光景を見て、「私もこんなに小さかったなぁ…」って感慨深くなりました。そういえば小学校に関する記憶はおろか、中学校での記憶すらも「曖昧」になってきたことを家族に伝えたら、苦笑いされました。「陽毬、曖昧って言葉は中国語ではそんな使い方をしないよ」って。

その時はっと気づきました。

私はまだ本当の意味で帰国できていない…


日本語脳を身につけられたが、中国語を話せなくなった

私は留学生として日本でかなり長い間滞在しました。そのおかげで、母語のように完璧に扱うレベルまで達していないにしても、日常的に困ったことがありませんでしたし、日本語を用いた研究論文の発表もこなせました。日本人に変な日本語を喋ってるなぁ…って思われていた可能性もありますが、まぁ私としては自分の日本語力に比較的に満足しています。英語の勉強で「英語脳」を鍛えることの重要性が良く言及されているように、私は日本語の勉強において重要な「日本語脳」を身につけることができたように思います。

日本に住んでいた頃の私は、確かに日本語脳で毎日を過ごすことができました。漢字熟語を見にすると、真っ先に日本語での意味が思い浮かびました。文章を作成する際も、中国語から日本語に訳すのではなく、何も考えなくても思うままに言葉を綴れば普通の文章になりました。日本語脳を作ることができたことはとても喜ばしいことです。しかし、中国語についてある程度勉強したことがある人ならわかると思うのですが、実は日本語と中国語は文法的にかなり違います。そのせいもあって、中国語が母国語のはずなのに、私が日本に長くいればいるほど中国語で話す際に違和感を覚えるようになりました。

留学生あるあるの「日本語が出てこない」(私の場合は中国語が出てこない)はもちろん、私の場合はそれに加えて、語順が明らかにおかしくなったことを自覚しました。一番わかりやすい例は、「目的語を前に持ってきがち」です。中国語では目的語を文章の最後に置くことが普通ですが、日本語だと目的語の後に動詞を置くので、中国語ネイティブにあるまじき中国語を発することが増えました。そして、家族に「外国人が中国語を話してるみたい」と笑われるのが定番でした。

卒業後は帰国して就職すると決意した時から、帰国後のあれこれについて考えることがあっても、「まぁ、私中国語ネイティブだし、どうにかなるでしょ。」という謎の自信がありました。しかしどうだ。いざ帰国してみると、早速言葉遣いがおかしいと指摘されました(笑)。

いや。
これから就活で中国語を使うし、会社に入ったら何もかも中国語でこなすことになるだろうし、
そもそも中国語さえ上手く話せない台湾人って何!?
急に笑い話ではなくなってきました(真顔)。


日本語と中国語における「曖昧」の意味

ここで一旦話を先日の出来事に戻します。

日本語と中国語は共通して漢字を使用します。中国語が母国語である私にとって、漢字熟語は非常に理解しやすかったです。だって中国語にある言葉なら大体そのままの意味で日本語として使われているから。しかし厄介なことに、中には微妙に意味が違うものもあれば、全然意味が異なるものも存在します。

今回の「曖昧」に関しては前者にあたります。「曖昧」は日本語で「態度や行為がはっきりとしないこと」を指しますが、「曖昧な表現」、「記憶が曖昧」などの表現は日常生活で普通に使われます。一方、中国語での「曖昧」も「はっきりとしない」意味を含みますが、「曖昧」という言葉が使用される場面はかなり限定されており、恋愛関係における「友達以上、恋人未満」の関係性を表す際に用いられます(「曖昧な関係」とか)。このように私は、言葉の意味としては合っているが、ニュアンス的に微妙な使い方をしてしまいました。


母国語を上手く話せなくなった理由

以上の文章からでも分かるように、私は中国語と日本語をはっきりと区別せずに使用していました。多分無意識でやっています。いつの間にかこういうスタイルになっていました。

とはいえ、心当たりがないわけでもない。私は日記を書いたりするのですが、基本的に思い浮かんだ言葉をそのまま書き出すだけなので、中国語と日本語をごちゃ混ぜにして書いています。どっちも慣れ親しんだ言語なので、「この言葉は中国語・日本語で言うとなんだっけ…」と考えずに済むし、のびのびと書けるから、メリットいっぱいです。その結果、私しか読めない混乱極まりない日記が出来上がります。中国語から始まる文章が途中から普通に日本語になっちゃうし、日本語の文章の中に普通に中国語の単語が入ってしまっています。多分、使っている言葉の意味がわかるから、文章がしっかりしていなくてもいいやという自分に対する甘えがあったと思います。

日記は楽しく書ければオッケー派なので、ごちゃ混ぜの文章も別に悪くないし、むしろこのままのスタイルで書き続けたいと思っています。日記は自分だけ理解できれば良いですから。しかし、人と対話する時は相手が理解しやすいように分かりやすい言葉を選び、文章をしっかりと組み立てることが必要になってきます。今の私は、「留学帰りだから言葉がちょっとおかしくても許される」という甘えがあるのではないか?と自問すると、ないとは言い切れません。

私が母国語を上手く話せなくなった理由はズバリ、「使う機会自体が減っていたから」、そして「自分と周りに甘えてしまったせいで、母国語を疎かにしてしまったから」だと思います。言葉は使う機会が減ると忘れてしまうものです。そしていつまでも甘えていると、永遠にポンコツ中国語しか喋れなくなります。これらのことを心に刻み、これからについて考えてみました。


最後に:せっかく鍛え上げた日本語脳をこれからどうする?

というわけで、中国語主体の環境で生活するのであれば、中国語脳への切り替えが必要です。とはいえ、日本語脳は私が長年築き上げた実績の一つでもあるので、正直帰国したからって完全に中国語脳に切り替えることが勿体無いような気がします。

なので、これからは中国語脳と日本語脳の共存を目指したいです。まずは、疎かにしてしまった中国語を取り戻すところから始めます。「この言葉は中国語で言うとこれ」と勉強し続け、考え続けること。そして、他人と会話する時になるべく中国語のみを使うこと。次に、日本語を使い続けることも忘れない。日本語の読書を続けること。日本語で書き続けること。とりあえず今まで以上にこの二つの言語をもっと大事にしたいと思います。理想で言うと脳の中で中国語:日本語が6:4くらいの比率で安定してくれれば嬉しい。できるかどうか分かりませんが、やってみます。何か嬉しい進捗があればまた報告しようと思います。

なんか色々まとまっていない気もしますが、長い文章を読んでいただき、ありがとうございました。


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