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【ふるさとを語る】競馬の歴史 その3 ~ばんえい競馬存続の危機から現在まで~【歴史シリーズ】

🐴はじめに

その2は⏩こちら⏪

ふるさとを語る・歴史シリーズの、競馬の歴史もいよいよクライマックスを迎えました。

今回は、平成から令和の現在に至るまでのばんえい競馬の歴史をお話して参ります。

~今回の流れ~

🐴ブームが終わり、売上が徐々に…

🐴存続の危機、その時帯広市は

🐴再起をかけて

🐴ブームが終わり、売上が徐々に…

出典(フリー素材):https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/tourism/kankouchi/banei/1005833.html
折からの好況を背景に快進撃を続けたばんえい競馬。他の地方競馬が低迷する中でも、施設を更新したりファンサービスに努めるなどして、その勢いは衰える事を知りませんでした。

しかし、世の中は諸行無常、盛者必衰の理の枠を超えるものはなく、ばんえい競馬も例外ではありませんでした。昭和55年度をピークに、徐々に売上は減少の一途を辿ります。

こちらでは、巻き返しを図ったばんえい競馬の軌跡や、何故売上が減少してしまったかのお話をして参ります。

🐴巻き返しを図るために

ばんえい競馬に「冬」が訪れる…。
出典(フリー素材):https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/005/833/131206obi17.jpg

レジャーの多様化による競馬離れや、岩見沢競馬場の集中豪雨の被害などの理由により、ばんえい競馬の売上は、昭和56年度に初めて前年度より低下してしまいます。

巻き返しを図るために、それまで行ってこなかった4市競馬場の相互場外馬券の発売を昭和59年から開始。

これにより、レースが開催される競馬場に足を運ばなくても馬券を買えるようになり(当時は4市で開催されていたため、数ヶ月おきに各競馬場を転々としながらレースが行われていた)、この年の総発売額の23.6%を占めるまでになりました。

また、現在のナイトレースに相当する、薄暮競馬(イブニングレース)が行われ始めたのもこの頃です。


🐴バブル景気により、活気を取り戻す

初の1億円馬となったキンタロー。キンタローが活躍したこの頃は、ばんえい競馬が再び活気を取り戻しつつある時代だった。無類の強さを誇ったため、「第2のキンタローを俺の手で」というのが厩舎関係者の目標であるという。
出典:https://blog.oddspark.com/baneiinfo/2010/05/1_3.html

巻き返しを図るために行われた様々な努力や、バブル景気による好況に後押しされ、ばんえい競馬は再び活気を取り戻し始めました。

平成元年には北海道市営競馬組合を設立し、それまで各市単独開催だった開催業務を共同で行う新体制を整え、経営の合理化や経営基盤の安定化を図りました。

その結果、3年連続で売上を更新。平成3年度には過去最高の約322億円の発売額を叩きだし、入場者も年間84万人、1日平均6千人を超えるまでになったのです。


🐴バブル崩壊の影響で…

実体の伴わない好況が長く続くはずもなく、総量規制の導入や公定歩合の引き上げなどの金融引き締め政策により、1991年ごろにバブル景気は崩壊します。

それによる先行き不安からか、平成7年度に初の単年度赤字を計上してから、徐々に売上が低迷の一途を辿ることとなります。

やがて、ばんえい競馬史上最大の危機を迎えることになりました。


🐴存続の危機、その時帯広市は

当初は存続が絶望視されていたばんえい競馬。救いの手はあったのだろうか。
出典:https://banei-keiba.or.jp/dl/pdf/ebook/10th_thebanba/p038_039.pdf#view=FitV#view=FitV
バブル崩壊の影響は多くの業界に及び、世の中に暗い影を落とします。

特に不況の際に「不要」と人々に見なされやすい、娯楽・レジャー業界が大きな打撃を受け、ばんえい競馬も例外ではありませんでした。

🐴廃止か?存続か?窮地に立たされたばんえい競馬

バブル崩壊による不景気により平成7年度に赤字を計上してから、売上が低下し、平成18年度には累積赤字が31億円にも膨れ上がってしまいました。

ついに平成18年の6月中旬、旭川競馬場での開催が終了したところで、旭川市は撤退を決定。

その当時、夏季開催の岩見沢、秋季開催の北見、冬季開催の帯広は開催継続の考えでしたが、夏季開催が終わると岩見沢も、秋季開催が終わった11月27日になると北見も撤退を表明します。

当時の帯広市長、砂川敏文氏は(帯広・北見による)2市開催に前向きだったものの、北見も撤退となった事で「単独開催は困難」との考えを示し、ばんえい競馬の歴史に終止符が打たれる事が決定的となりました。

ばんえい競馬が廃止されれば、数百人のスタッフが行き場を失い、ばん馬の生産者や馬主にも大きな打撃を与える事になってしまいます。

ばんえい競馬馬主協会やばんえい競馬調騎会は市に請願書を提出し、ばんえいファンや市民有志も立ち上がり、廃止反対の署名活動を開始。

そうした中、先行きが不透明のまま開催された冬季の帯広開催。新聞の報道では、もう廃止へという流れに傾いておりました。


🐴砂川市長の決断 ~救いの手が差し伸べられる~

しかし北見が撤退を表明した2週間後の12月14日、事態は急展開を見せます。帯広市の砂川市長は、民間の支援を得て帯広市単独でばんえい競馬を存続させる意向を表明。

その内容は、ソフトバンクの子会社・ソフトバンクプレイヤーズが設立する新会社に対して、競馬法で認められている範囲内の業務を委託し、同社グループの経営手法を取り入れるというものでした。

これにより、ばんえい競馬はひとまず続く事となり、首の皮1枚で何とか繋がりました。まるでばんえい競馬のレースさながらの逆転劇でした。

競馬場のスタッフの雇用・生活を守る意味でも、ばんえい競馬というかけがえのない文化遺産を守る意味でも、この時の砂川市長の決断はまさしく「英断」だったと言えます。


🐴再起をかけて

ソフトバンクプレイヤーズの支援により、なんとか継続へ漕ぎ着けたばんえい競馬。とは言え、このまま従来のやり方を続けていたら、廃止は必至でした。

そこで同社の支援だけでなく、帯広市や地元市民によるボランティアも立ち上がり、ばんえい競馬の改善に官民一体となって改善に取り組んだのです。

こちらでは、その改善の軌跡と、現在の完全復活に至るまでのお話をして参ります。

🐴再起をかけた、改善の軌跡

帯広競馬場への入口アーチも、単独開催を機に新設された。
元はコンクリートの地の色そのままで殺風景であったが、塗装後は鮮やかになり、親しみやすい雰囲気に。
現在の帯広競馬場。帯広単独開催を機に、外壁がモスグリーンに、内壁がライトグリーンに塗装されたが、内壁は地元民のボランティアが行った。
グッズ販売コーナーも設けられました。
場内も一新。撮影しなかったがトイレなども新しくなっており清潔感があった。
ビギナーコーナーも設けられ、新規客取り込みにも余念がない。

様々な改善を果たし、平成19年4月27日に新生「ばんえい十勝」が幕を開けました。4日間に渡るオープニングイベントがとりおこなわれ、多くのファンが訪れました。

同年6月16日からは、ばんえい初となるナイター競馬がスタート。これに合わせて競馬場3階にプレミアムラウンジがオープンしました。

イルミネーションに彩られたナイター競馬も開始された。
出典:https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/005/833/20171030_1.jpg
競馬場3階にあるプレミアムラウンジの様子。
出典:https://www.banei-keiba.or.jp/spot_premiumlounge.php

また、ばんえい競馬馬主協会の主催で、JRAのトップジョッキーとの交流イベント、JRAジョッキーDAYが始まったのも同年です。

2010年には、武豊騎手も参戦!その他にも錚々たる面々が👀。

これは毎年夏季の恒例行事となりましたが、現在は新型コロナウイルスの影響により行われておりません。復活が望まれる所ですね💦。

その他にも、帯広商工会議所が中心となっている「とかちばん馬まつり」、NPO法人「とかち馬文化を支える会」による馬文化イベント、地元企業とのタイアップイベントなど、多くの催事が開催されました。

その甲斐あって、初年度の入場者数は前年度を大きく上回る約23万7千人を記録。関係者らが力を合わせ、施策に努めた結果でした。


🐴完全復活 ~過去最高の売上を更新し続けるまでになったばんえい競馬~

出典:https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/005/833/131206obi21.jpg

順調な滑り出しを見せたばんえい十勝は、その後も様々な改善に取り組んでいきます。

2年目の平成20年度には、競馬場を囲んでいたフェンスを一新し、開放感が改善されました。同年には地元のパン屋さん「ますやパン」とのコラボレーションカフェ「カフェ・ド・ペルシュロン」が3年間営業。

さらに平成22年には競馬場敷地内に現在でも好評を博している「とかちむら」がオープンしました。

飲食店も隣接している。
験担ぎに最適な、輓馬神社なるものも。
とかちむら内部の様子。
名産品や鮮度抜群の野菜など、品揃えが豊富。

今では帯広の新名所としてすっかり定着し、地元民のみならず観光客にも愛される施設になりました。

それだけに留まらず、初年度から行われている参加型イベント「とかちばん馬まつり」は回を重ね、今では2万5千人を動員する人気行事に。中にはばん馬のソリを人間がひく「ワールド人間ばん馬チャンピオンシップ」なるイベントも。

そうした取り組みにより、多くの観光客が訪れるようになり、市内随一の集客数を誇る観光スポットに発展しました。

更には、鳴海章の小説が原作の映画「雪に願うこと」や、平成24年のNHKドラマ「大地のファンファーレ」、中川郡幕別町出身の漫画家・荒川ひろむ氏の大ヒット作「銀の匙 Silver Spoon」はアニメ化され、実写版も製作されるなどしました。

こうしたメディアへの露出が後押しとなり、遂に平成25年、単独開催7年目にして初の黒字を計上するまでになりました。

その後も好調に売上が増加し、新型コロナウイルスにより経済が停滞する中でも、馬券のネット販売に助けられ、令和3年度には517億円と過去最高の売上を記録しました。

ばんえい十勝の初年度売上が約129億円であった事を考えると、隔世の感があります。正しく完全復活を遂げ、現在に至ります。


🐴まとめ

🐴好況を背景に売上が伸び続けるも、昭和55年度をピークに売上は徐々に低下していく

🐴様々なテコ入れ策やバブル景気に押され、再び活気を取り戻した

🐴しかしバブル景気は崩壊し、先行き不安から再び売上は減少していく

🐴遂に平成18年に旭川市・岩見沢市・北見市が撤退を表明し、存続の危機となる

🐴当時の帯広市長、砂川敏文氏の決断により民間会社の支援のもと存続が決まった

🐴官民一体で巻き返しを図り、メディアへの露出も増え、ネットの馬券販売も好調に推移した結果、過去最高の売上を更新し続けるまでに復活を遂げた

🐴あとがき

如何でしたでしょうか?

わけもなく気分が落ち込み、3年以上大切に飼っていたカタツムリ🐌が虹の橋を渡ってしまった事もあって余計気分が落ち込んでいる中での執筆でしたが、何とかやり遂げました😌。

今回で競馬の歴史も一旦終了でございます🙇‍♂️。しかし、ふるさとを語る・ばんえい競馬シリーズはまだまだ終わりません。

今後、重賞レースの模様や様々な豆知識レベルの情報を随時発信していく予定です。

不定期更新になってしまいますが、投稿の際はよろしくお願い申し上げます。

それでは、今日はこの辺で🤗。

また会いましょう☺️。


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